イタリア映画「ライフ・イズ・ビューティフル」(1997年)は「人生は美しい」というラブロマンスみたいな題名ですが、ナチスの絶滅収容所を舞台とするストーリーですから、極めて深刻な悲劇的作品です。しかし重苦しい映画なのかと気を張って観ていると、ドリフの志村けんみたいな役者がドタバタ喜劇を演じるコメディで始まりますから、初めて観る方は面食らってしまい、ついていけなくなるかもしれません。しかし後半の強制収容所における悲劇を理解するためには、この前半部分に仕込まれているキーワードをしっかり押さえておかないと、なにがなんだかわからない映画になってしまいます。

 

 映画の舞台は、イタリアの北部、第二次世界大戦の始まる直前の1939年から、ナチスが撤退するまでの数年間です。イタリア系ユダヤ人の主人公グイド(監督・脚本・主演)が叔父さんを頼って、友人と都会に出てきます。そこで学校の先生ドーラ(主演のパートナーでもある)と出逢い、惚れてしまい猛アタック、婚約者から奪いとり、結婚して息子ジョズエが生まれるまでの幸せな部分が前半です。この前半部分に、後半部分を理解するために欠くことのできないことが散りばめられております。なお、前半部分のロケ地は、トスカーナの古都アレッツォです。フィレンツェから南東に電車で1時間くらい、内陸部ですから、坂道が多い街です。

 

 まずショーペンハウエルという哲学者の言葉「意志の力があれば、なんでもできる」が出てきます。この哲学者は、日本が西欧の哲学を受け入れて大学で教えられるようになり、学生が歌ったデカンショ節の、「ショ」にあたる哲学者です。「デ」はデカルト、「カン」はカントという哲学者です。キリスト教世界では、神が自分に似せて人間を造った、とされており、人間が自分に似せて神を造った、と逆転するのはまだ先の話です。デカンショの観念哲学では、観念がまずあり、目の前にあるものはすべて、観念によって認識されて初めて存在することになる、というものです。なので、意志によって念ずれば願いは叶えられる、ということで、映画では、眠りたいと念ずれば眠れるし、眠っている人の目を覚まさせたいときは、耳元で「起きろ」と口に出してブツブツしゃべっていると、相手を覚まさせることができるというギャグにされてしまいます。グイドは意志の力で、ドーラと結婚することができました。この意志の力というのが、この映画を貫いている一本の筋です。

 

 この映画の前半部で、オッフェンブックのオペラ「ホフマン物語」から「ホフマンの舟唄」が歌われるシーンがあります。歌詞はフランス語で字幕は出てきませんが、みなさんもどこかで聴いたことのある懐かしい曲です。ホフマン物語は三つの悲恋の物語(ドイツ、ギリシャ、ベニス)です。映画の舞台がイタリアですから、ベニスの舟唄が使われているのでしょう。

 

 グイドの叔父さんはホテルの給仕長をしており、グイドは給仕として雇われます。後半でグイドは強制収容所の給仕として働くことになる伏線です。このホテルを舞台にいろんな人と出会い、いろんなことが起こります。ドーラの婚約発表会の会場もこのホテルです。お客さんに謎々が大好きなドイツ人の医者がいます。医者の出した謎々「広がるほど見えなくなるものはなにか?」にグイドは「暗闇」と答え、グイドは謎々の天才だと褒められ、仲良くなります。グイドの出した謎々は「白雪姫と七人の小人はいつ会うか」です。答えは7分後ですが、医者は寝ないで考え、やっと答えがわかりました。医者の次の謎々は、「その名を呼んだとき、もう私はいない、私はだれだ?」でした。グイドは「沈黙」と答えます。この医者の謎々は、これから「暗闇と沈黙」の世界が始まることを暗示しています。グイドが強制収容所で給仕をしているとき、その医者に出会います。ドイツの軍医だったのです。グイドは軍医に、妻もここにいる、と助けを求めますが、軍医は謎々で答えます。「デブで醜くて黄色で、どこにいるかと訊くと、クワックワッと答える、歩きながらウンチをする、そいつは誰だ?アヒルの子?いや違う、私はわからなくて困っている」と言います。グイドは真剣に聞いていて、謎々の答えがわかったようですが、なにも言わずに落胆して帰っていきます。おそらく、謎々の答えは「ユダヤ人」で、私はユダヤ人のあなたを助けることはできないんだ、わかってほしい、というメッセージだったのでしょう。

 

 ナチスの強制収容所というと、ポーランドにあるアウシュヴィッツを思い浮かべると思いますが、強制収容所にもいろんな種類があります。第二次世界大戦が始まるずっと前から、ナチスは「ゲットー」をあちこちに作り、世界でいちばん優秀な民族であるドイツ人の発展を阻害する者、その可能性のある者を隔離する政策をとっていました。ゲットーというのは、そもそもベニスの発祥です。ベネチア共和国が、民衆から襲われるユダヤ人を保護するという名目で、旧大砲工場(大砲のことをジェットといいましたから、ゲットーは大砲工場という意味です)に押しこめ、夜になったら門に鍵をかけ、外出禁止にしたものです。シェークスピアの「ベニスの商人」の高利貸しシャイロックが住んでいたところが、そのゲットーでした。キリスト教徒は利子をつけて金を貸すことが許されませんでした。友愛精神で困った仲間に貸してあげますが、利子をとりません。ユダヤ人は人間でないとされ、金融業が許されていたのです。後々、金融業がユダヤ人に占められることになり、ナチスがドイツ人の不満をユダヤ人に向けさせる遠因になっています。

 

 第二次世界大戦が始まり、ナチス・ドイツは東ヨーロッパを占領していき、ゆくゆくは東方の敵であるソ連を殲滅しようとします。ロシア人がいなくなったらどうするか、その穴をユダヤ人で埋めようとしたのかもしれません。ナチス・ドイツはゲットーを解体して、強制収容所を作っていき、そこにドイツ支配下のヨーロッパ中のユダヤ人を強制的に収容していきます。体力のあるユダヤ人には強制労働をさせ、使えなくなったユダヤ人を殺害していきます。それをドイツ国内でやるのは憚られたのか、ポーランドにたくさん作りました。さすがのドイツ人もユダヤ人を銃殺することで精神を病む者が出てくるようになると、「人道的」見地から、ガス室で処分するようになりました。ドイツ人は極めて論理的なのでしょう。一から百まで論理の筋道がきちんと立っています。ただ出発点がちょっとだけ間違っていると、途中がきっちりしていますから修正がきかなくて、間違いが大きくなっていき、最後に巨大な悲劇となってしまうのです。

 

 ドイツ国内には国民の目を欺くためか、比較的に普通の強制収容所がありました。アンネ・フランクが亡くなったのは、ドイツ北部にあるベルゲン・ベルゼン強制収容所です。本映画の監督の父親もこの強制収容所で働いていました。ここは連合国の捕虜となったドイツ兵との交換用に「価値」のあるユダヤ人が収容されました。アンネ・フランクは、アウシュヴィッツに行かされる予定だったのですが、アウシュヴィッツにソ連軍が近づいてきており、予定が変更されてベルゲン・ベルゼンに収容されたのです。そこでチフスに罹り、亡くなってしまいました。比較的に緩やかなところは通過収容所と呼ばれます。どこへの通過かというと、アウシュヴィッツなどの絶滅収容所です。絶滅収容所というより、「焼却炉」とした方が合っているかも知れません。

 

 映画の後半の舞台は、イタリアにある唯一の絶滅収容所「サン・サッバ」強制収容所です。イタリアの北部、ベニスより東方にある旧ユーゴスラビアとの国境にあるトリエステ市にあります。映画の撮影もここで行われました。19世紀に建てられた精米工場を戦時中に強制収容所に転用したものです。イタリア各地からドイツ・ポーランドへ連行されるユダヤ人たちの中継ポイントとして、また反ナチ抵抗運動の政治犯を拷問・処刑するために使用されたものです。ポーランドにある強制収容所の多くは観光用として小綺麗にされているそうですが、サン・サッバ強制収容所はそのまま遺されているようです。ただ遺体焼却炉は取り壊されており、本館にその跡がくっきりとついているので、焼却炉の亡霊みたいで、かえってゾッとします。

 

 グイドとドーラが結ばれて、やがて男の子ジョズエが生まれました。ジョズエはおもちゃの戦車が大好きです。シャワーが大嫌いで、母にシャワーを浴びなさいと言われると、ゴミ箱に隠れてしまいます。シャワーを浴びるとは、強制収容所の隠語で、毒ガスを浴びて殺されることです。ジョズエは強制収容所で「シャワー」から逃げて助かります。そしてゴミ箱に隠れて生きのびることができました。ナチスが撤退して、ジョズエは本物の戦車に助けだされます。ジョズエは母と再会して、ぼくはゲームに勝ったよ、と母に自慢します。母が、私たちは勝ちました、と答えますが、もちろん戦争にです。この映画は、ジョズエが大きくなって、母に教えてもらったことを語るものであるということが映画の冒頭に出ています。

 

深刻な問題を笑いのめそうとしても虚しいだけです。ただその背後にある悲しみと怒りに共感してあげないといけません。