映画「クライマーズ・ハイ」(2008年)は、1985年8月12日に起きた日航機の御巣鷹山墜落事故を巡る地方新聞社のてんやわんやと、日航全権デスクだった主人公の悠木が谷川岳の衝立岩を登山するなかで回想するシーンとが描かれており、混乱と静寂、動と静とが交互に絡み合いながらクライマックスに向かって展開していき、思わず引き込まれてしまう作品でした。個人的には、日本航空123号機墜落事故について、当時の新聞やテレビニュースなどで見ておりましたが、全体の流れや現場の状況、それから新聞記者たちが苦労しながら取材し、記事にしている姿を、映像としてまとめて観ることができました。墜落事故のドキュメンタリーも、山岳登山のドラマもそれぞれにいっぱいありますが、やはり一つのドラマとしてまとめられているので、全体像を把握することができました。

 

 この映画ではさまざまなことが対比されて描かれていました。大手の全国新聞と地方新聞の力関係と競合、新聞社の内部では、記事を作る編集部と販売を担当する部署との対立、編集部内では日航機事故の記事と政治や生活などの記事との紙面配分を巡る争い、世代による価値観の違いによる記事の評価などが入り混じって展開していき、緊迫感のある展開でした。そのなかに記者各個人の苦労や苦悩などが織り込まれており、観る者によって、共感や反発などはいろいろあったかと思います。会社などで仕事の苦労をしてこられた方は新聞社の格差や社内の苦労話に、会社の人間関係で苦労してきた方は会社の経営者におもねる上役やかつての栄光にあぐらをかいている幹部たちと闘いつつ仕事をする主人公の姿に感情移入したことでしょう。この映画には、セクハラあり、パワハラありの、ある意味では懐かしい時代を垣間見せてくれる作品でもありました。

 

 この映画で、どうにも腑に落ちない展開がありました。墜落事故現場にかけつけた新聞記者二人、佐山と神沢が沢を登っているとき、トランプの「スペードのエース」を見つけ、神沢が財布かなにかに入れて大事にとっておいて、その後、神沢は五百数十名の死体を見たショックでPTSD(心的外傷後ストレス障害)になり、交通事故で亡くなってしまいます。仏前にその「スペードのエース」が置かれており、そのとき日航全権デスクの悠木が、「チェック、ダブルチェック」の話をします。この言葉が映画の重要なキーワードでしたが、どうして「スペードのエース」から連想するわけ?と疑問に思っていると、実はこの言葉は、悠木が新聞記者になるきっかけとなった、ビリー・ワイルダー監督の映画「地獄の英雄」(1951年)の原題が「Ace in the Hole (エース・イン・ザ・ホール)」であり、地方新聞の老編集長の口癖がまさに「チェック、ダブルチェック」なのでした。記事を書くときは、まずチェック、さらにチェックを欠かすなよ、というもので、悠木デスクの座右の銘となっていたのです。

 

 そして墜落事故原因が機体後部の圧力隔壁が破裂し、そこから空気が噴出して尾翼を全損させ、操縦不能に陥ったものらしい、という噂をキャッチした記者たちが、現場に来ている事故調査委員会の首席調査官に探りをいれます。編集部は事故原因のトップ記事もできあがって、現場記者からの確認を待っています。「事故原因は圧力隔壁の破裂ですか」と記者が質問して、主席調査官の顔色から「イエス」だという感触を得たと報告が入ります。しかし、100%確実ではない。現場記者は、100%確実だけれども、現時点で100%というのは怪しい、とも言いました。悠木デスクは迷った。日航機事故原因の特ダネだけれども、誤報の可能性もゼロではない。全世界が注目している事故の誤報なら大変なことになってしまう。結局、悠木デスクは怖気づいてしまい、トップ記事にするのを中止してしまった。しかし翌日の毎日新聞が圧力隔壁の破裂が事故原因とのトップ記事を書いていた。記者が悠木デスクの自宅に駆けつけてきたとき、自分が全権デスクでなかったら、君たちは有名になったのに、と謝った。しかしその記者が、やめたのは間違いではないと思います、と言います。映画の本編が終わってから、テロップで「航空史上未曾有の犠牲者を出した日航機123便の事故原因には、諸説がある。事故調は隔壁破壊と関連して事故機に急減圧があったとしている。しかし、運航関係者の間には急減圧はなかったという意見もある。再調査を望む声は、いまだ止まない」と出て終わります。

 

 このシーンを観ていて、おかしいと思いませんでしたか。事故原因に関する疑問は後になって出てきたことです。墜落事故直後には、どうしてジャンボ機が操縦不能になって迷走したのか、どうして尾翼が吹き飛んだのか皆目わからなかった時点で、もっともらしい原因の可能性が出てきたら、記事にして世に問うべきでしたし、事故調査委員会の見解を問いただすべきものでしょう。疑問は二つあります。まず第一に、記者が事故原因をつかんだというのは、ドラマをおもしろくするためのもので、毎日新聞のトップ記事から、自分たちも実はつかんでいたのに、慎重を期してやめただけ、というエクスキューズだったのかという疑問です。第二に、記事を出さない理由として、「チェック、ダブルチェック」をもちだしただけなのかという疑問です。この言葉は、自分の行動基準としてもっていることは大切ですが、得てしてなにもやろうとしないお役人の「魔法の言葉」でもあるのです。ひどい役人になると、「石橋を割れるまで叩く」やつもおります。満点でなくとも、100%に近いという確信があるなら、実行すべきでしょう。

 

 この点を確かめるために、原作小説に当たってみました。原作では、似たような展開ですけれども、映画と違って、それが原因で社長が悠木デスクを辞めさせることにはなっておりませんでした。悠木がデスクを辞めるのは、日航機墜落事故に関連して亡くなった神沢記者の親族が、墜落事故は新聞で大ニュースになっているのに、どうして記者の死は無視されるわけ、大きな死と小さな死に違いはあるのか、墜落事故の遺族に涙は流しません、という投書を悠木が新聞に載せ、それで世間から遺族に謝れと袋叩きされて、社長が激怒したということでした。

 

細かいところでは、いろいろ疑問点はありましたが、いい映画でした。