今回の映画「カサブランカ」(1942年・アメリカ)は名作ですから、事前の解説は不要と思っておりました。とはいえ、私は何度も観ておりましたが、やはりスクリーンで、みんなといっしょに観るというのもいいものですね。いろんなことに気づかされます。

 

 私は9年前にモロッコに観光旅行にでかけたことがあり、カサブランカに一泊したので、かつてリックのカフェ・アメリカがあったというホテルまで歩いていったことがあります。カフェそのものはもうありませんでしたが、スタッフの方にいろいろ説明していただきました。モロッコは映画のロケ地としても有名です。ヒッチコックの「知りすぎていた男」(1955年)のマラケシュの市場にも観光にいきました。「アラビアのロレンス」(1963年)の砂漠のシーンもマイト・ベン・ハットゥで撮影されました。

 

 リック(ハンフリー・ボガート)がイルザ(イングリッド・バーグマン)とのパリでの楽しい日々を思いだす場面がありました。オープンカーを運転して凱旋門のある大通りを走っているのですが、道路は確かに右側通交なのに、そのオープンカーはなぜか右ハンドルでした。フランスやアメリカなどは左ハンドルのはずですから、調べてみましたところ、フランスは第二次世界大戦の前くらいまでは、右か左かは決まっていなかったようで、車種によってまちまちだったようです。ただ、映画「カサブランカ」は反ナチスのプロパガンダ映画で、ハリウッドで撮影されたものですから、ほとんどスタジオ撮影だったようです。どうして右ハンドルにしたのか理由はわかりません。ただ原作によるものかどうかわかりませんが、脚本家は車好きみたいです。警察署長ルノーはフランスの車ですし、カサブランカの裏社会を仕切っているボスはイタリア人で、フェラーリという名前でした。

 

 本作は第二次世界大戦のころのプロパガンダ映画です。ただし、反ナチスですけれども、アメリカの戦争を美化するためのものではありません。映画の公開は1942年ですから、アメリカはもう連合国側として参戦しております。しかし制作は1941年です。アメリカが参戦するのは、真珠湾攻撃の直後の1941年12月11日でしたから、映画制作中はまだアメリカは参戦していなかったでしょう。アメリカは、ヨーロッパのことはヨーロッパにまかせておけ、アメリカ・ファーストでいこうよ、というヒトラー支持の陣営と、自由と民主主義が危機にさらされているのではないか、積極的に参戦すべきであるという陣営が対立しており、大統領としても身動きがとれない状況でした。民主主義派が反ナチスのキャンペーンを張り、そのプロパガンダとして映画「カサブランカ」が制作されたのでした。同じようなプロパガンダ映画に「オズの魔法使」(1939年)があります。東の悪い魔女(ナチスのドイツ)と西の悪い魔女(日本)をドロシーちゃんが、脳なしカカシと心のないブリキの木こりと臆病ライオンとともにやっつけるというお話です。オズの魔法使いは臆病な大統領で、問題の解決を先送りしていると非難している作品でした。アメリカは日本に嫌がらせをして真珠湾攻撃に追いこみ、米国民が怒ったところで、太平洋戦争に立ちあがる、というプロパガンダ作品でした。映画「カサブランカ」の方は、ヨーロッパ側での反ナチス映画です。

 

 上映会の後の感想会のとき、Aさんが、今日の映画の字幕は「君の瞳に乾杯」ではなくて「この瞬間(とき)を永遠に」になっていたのでがっかりした、と言っておりました。このセリフは三ヶ所出てきました。英語では「Here’s looking at you」です。辞書では飲み会などの「乾杯!」という意味とされております。「乾杯」を状況に合わせて日本語には翻訳するというのは至難の業です。この英文には、難しい単語は一つもありません。「Here’s」は「ここに~がある」という意味ですが、なにがあるのかは明示されておりません。次の「looking at you」は、「あなたを見ています」ということなのですが、主語がありません。だれがここにいて、だれがあなたを見ているのか。キリスト教の国ですから、省略されている暗黙の主語は「神」です。「ここに神がいる、神があなたを見守っている、それでは乾杯」という常套句です。たいして意味はありません。

 

 とはいえ、字幕担当者は訳さなければなりません。「神があなたを見守っている」という直訳では日本人にピンときません。話している人の気持ちを最大限に翻訳して、日本人観客に伝えなければなりません。リックとイルザがパリで出逢い愛しあったとき、この一瞬の幸福なときがいつまでもつづくことを願っている、という状況からすると、「この瞬間を永遠に」と訳す方が妥当かなと思います。とはいえ、最後にリックとイルザの別れのシーンでは、涙を浮かべて見つめるイルザにリックが「この瞬間を永遠に」というのも変な訳になってしまいます。

 

 私が持っているDVDでチェックしました。こちらの最初の出逢いの場面では、イルザには亡くなったと思われている夫がいて、そういう事情を伏せており、過去のことは訊かないでという状況ですから、リックがおしゃれに、「謎の美人に乾杯だ」と訳しております。二度目のシーンは、パリがドイツ軍に占領され、リックとイルザはパリから逃げていこうとして、パリに別れを告げる乾杯です。私のDVDは、「君の瞳に乾杯」となっておりますが、ここは「パリに乾杯」くらいでいいのではないかしら。最後の別れの場面では、目に涙を浮かべているイルザに「君の瞳に乾杯」という名訳の方がぴったりくるかなと思います。もともとたいして意味のない「乾杯」の言葉なのですから、臨機応変に訳せばいいだけの話だと思います。

 

DVDによって字幕が違うということを今回、初めて知りました。DVDを販売している会社が違えば、翻訳者も変わるから、訳が変わっても不思議ではないのですけどね。