五十音の根っこにある

「あ行とわ行の“対(つい)”」を、ことばの感覚でほどいてみます。


あ行は「立ち上がる力」

あ行の音は、口をひらき、息が前へ出ます。

 • あ:在る/生まれる

 • い:向かう/意志が立つ

 • う:育む/内に満ちる

 • え:得る/結実する

 • お:終える/形を持つ


あ行は、いのちが「わたし」として立ち上がる音。


始める、名乗る、決める。

輪郭を与え、世界に向かって立つ。そんな方向を持っています。


一方、わ行は力を抜く音です。

口も心も、少しゆるむ。


 • わ:和す/ほどく

 • ゐ:居る

 • ゑ:出会う/結ばれる

 • を:通す/渡す


わ行は、立ったものを、もう一度世界にひらく音。


受け取る、ゆだねる、関係させる。そして循環させて、次へ渡していく。

そんな方向を持っています。


あ行とわ行は、対立ではありません。世界がめぐり続けるための両輪です。

 • あ行:立つ

 • わ行:ほどく


 • あ行:決める

 • わ行:ゆだねる


 • あ行:名指す

 • わ行:和して結ぶ


もし、あ行だけだったら。

世界はどんどん固くなります。

正しさが尖り、境界が増え、勝ち負けになりやすい。


でも、わ行があることで、

一度立ったものを、もう一度やわらかくほどける。


そして、関係の中で整え直せる。


だから、日本語には 「あわい」 という言葉があります。


あ(立つ)+ わ(ひらく)= あわい


白黒の間。

内と外の間。

私とあなたの間。


ここは不安定にも見えるけれど、本当は、いのちがむすび直される場所。


決めすぎず、逃げすぎず、

つながったまま在る。


その感覚を、音が支えていました。


🌿🌿🌿🌿🌿


生き方としての「あ行」と「わ行」


もしこれを、暮らしに置き換えるなら。

 • あ行的に生きる:

 「私はこう在る」と立つ


 • わ行的に生きる:

 「自分を整え和していく」とほどく


この往復があると、

人は折れにくくなります。

尖りにくくなります。

そして、巡り“強さ”と“やさしさ”が、同じ道を歩きはじめる。


全国古事記塾主宰 今野華都子記す


ふわり、ゆるり、ぶらり。

このようなやまと言葉は、一瞬で情景をイメージさせます。

そこにただよう気(け)やいのちの動きを、そのまま差し出す言葉です。

古事記の世界もまた、「何がどうなったか」を説明するより先に、どんな気配が生まれ、どう響いたかを語ります。

やまと言葉は、その感覚を今に残している言葉なのです。

日本語には、擬音語・擬態語が数多くあります。

ふわふわ
しとしと
ぶらぶら

これらの言葉にあるのは、定義された意味ではなく、

身体が先に知っている感覚。音とともに、呼吸や間(ま)、いのちのリズムそのもの。

英語にも副詞はありますが

けれど多くの場合、

意味が先にあり
音はあとから添えられる
という構造をしています。

一方、やまと言葉では、音・意味・感覚が分かれていません。

音を発した瞬間に、すでに情景が「在ってしまう」。

これは、世界を切り分けず、人と自然を分けず、いのちを丸ごと受け取ってきた日本人の感性そのものです。

やまと言葉は、世界を固めません。

意味を決め切らず、正解を置かず、受け取る人の内側に委ねます。

ふわり、には

力を抜き、天にまかせる知恵があり、

ゆるり、には

時を急がず、いのちの拍に戻る感覚があり、

ぶらり、には

目的を手放し、
道と出会う余白があります。

それらはすべて、

「こうしなさい」という命令ではなく、

「いのちのままに、感じてごらん」

という言葉です。

ふわり、ゆるり、ぶらり。

この小さな言葉の中に、

日本人が大切にしてきた

世界との付き合い方が、静かに息づいています。

古事記が今も読まれ続けるのも、そこに説明ではなく、

いのちの気配が生きているからなのでしょう。

全国古事記塾主宰 今野華都子絵と文記す




古事記における「みこのりわけ」は、単なる「命令」や「指示」ではなく、いのちの意志が、言葉として“分かれて現れること”を指します。


みこのりわけを、ことばからほどく

み(御):尊い・神聖な・いのちの中心からの、という響き
こと(言):音・言葉・働き・現象そのもの
わけ(分け):切り離すのではなく、役目として分かち与えること

つまり「みこのりわけ」とは、中心にある〈いのちの意志〉が、それぞれの場・存在・役割に応じて
、言葉や働きとして現れていくことです。

古事記的に見ると
古事記の世界では、神々は「命令で支配する存在」ではありません。

神がみこのりわけをするとき、それは誰かを従わせるためではなく、世界が自然に整っていくための方向づけです。

だから、海は海として、山は山として、人は人として、それぞれが自分の位置に立ちます。

もっと深いところでは
みこのりわけは、正解を押しつける言葉ではなく、その存在が、自分のいのちを生き始めるための合図とも言えます。

あなたは、あなたの場所へ。
あなたは、あなたの役目へ。
そう静かに分け渡すのです。


みこのりわけとは、いのちの中心から生まれた言葉が、世界を争わせず、それぞれを本来の場所へ還していく働き。

命じる言葉ではなく、目を覚まさせる言葉です。

全国古事記塾主宰 今野華都子記す





いのちは、失敗を許すようにできている

うまくいかなかった日。
言い方を間違えた日。
伝えきれなかった日
そんなとき、私は古事記を思い出します。

古事記の世界は、最初から「完成」を目指していません。

世界はまだ形の定まらない「あわい」から始まり、一度で決まらない。

国生みのはじめ、
伊邪那岐命 と 伊邪那美命 は
天の御柱 をめぐる順を誤って、最初はうまくいきません。

でも古事記は「罰」ではなく、整えて、もう一度結び直す道を語ります。

いのちは、固定された完成品ではなく、余白を抱えた運動。

だから失敗は「ダメ」ではなく、調え直す合図なのかもしれません。

深呼吸して、ひとつ整えて、言い直して。
私たちは今日も、結びをつくり直せる。

いのちは正しくある前に、
生き続けようとする。

だから古事記は
失敗を終わりにしないのです。

全国古事記塾主宰  今野華都子絵と文記す。







鬼、と聞くと
こわい顔、金棒、退治される存在そんなイメージが浮かびます。

けれど日本の物語をよく見ていくと、鬼は単なる「悪者」ではありません。
むしろ、とても人間くさい存在です。

そのことを、やさしく、そして痛いほどはっきりと教えてくれるのが『泣いた赤鬼』です。

『泣いた赤鬼』の赤鬼は、
人を脅かしたかったわけでも、
村を壊したかったわけでもありません。

ただ、人間と仲良くなりたかった。けれど、鬼だから、見た目が怖いからという理由で、近づくことすらできない。

この時点鬼とは、「悪」ではなく
受け入れられなかった存在なのだと気付きます。

日本の鬼は、
遠い異世界から現れる怪物ではありません。
山、島、村外れにいますり

つまり、人の暮らしのすぐ隣にいる存在。

『泣いた赤鬼』の赤鬼も、
人間の世界のすぐそばで、
ひとり、様子をうかがって生きています。

鬼とは、
「人ではないもの」ではなく、
人から外れてしまったもの。

そこに、日本人の鬼観があります。

日本神話には、
 • ニギミタマ(和やかに整える力)
 • アラミタマ(荒く突き動かす力)

という考え方があります。

鬼は、このアラミタマが居場所を失った姿なのです。

『泣いた赤鬼』で言えば、
 • 優しさが、うまく届かなかった
 • 想いが、誤解された
 • 力の使いどころが、分からなかった

その結果、
「鬼」という姿になってしまった。

だから鬼は、
 • 強くて
 • 不器用で
 • どこか哀しい

のです。

物語の中で、青鬼は
あえて悪役になります。

人を襲う「鬼」を演じ、
自分が憎まれる役を引き受ける。

その結果、赤鬼は人と仲良くなれるけれど、青鬼は姿を消す。

ここには、日本人がとてもよく知っている構図があります。
 • 誰かが“鬼役”を引き受ける
 • 誰かが、はみ出し役になる
 • 誰かが、嫌われる役を背負う

社会がうまく回るために、
荒ぶる役割を誰かが背負う。

鬼とは、
その役目を引き受けた存在なのかもしれません。

日本の物語では、
鬼は退治されても、
完全に消されないことが多い。
 • 改心する
 • 守り神になる
 • 役目を得る

『泣いた赤鬼』でも、
鬼は倒されません。

ただ、
それぞれの場所へ戻っていく。

節分の「鬼は外」にも、同じ感覚がある

豆まきの豆は、武器ではありません。
食べ物「命の粒」です。

鬼に向かって、命を投げる。

これは
「消えろ」ではなく、

出て行って、整って、戻っておいでという、日本的な祓い。

『泣いた赤鬼』と同じ、
とても静かな優しさが、そこにあります。

日本人は、鬼を倒して終わりにするのではなく、

「どう迎え直すか」を、ずっと問い続けてきたのかもしれません。

鬼は敵ではなく、

まだ名前をもらっていない力なのだと。

全国古事記塾主宰 今野華都子記す

絵は杣栄二さん、裕美さん画





「あわい」は 、あ・わ・い。


あは、ひらく・現れる。


わは、和・輪。対立させず包み、つなぐ。


いは、居る・在る。そこに落ち着かせる。


つまり「あわい」とは、

現れたものを、和で包み、在らせる場所。


白か黒か、正しいか間違いか。

すぐ決めてしまえば楽だけれど、

決めすぎると、いのちは痩せてしまうことがある。


古事記の始まりも、まさにこの「あわい」。


天と地が分かれきらず、形も名も定まらない。 


その「まだ途中」のゆらぎの中で、世界は育っていきます。


「あわい」は曖昧ではなく、

どちらも生かすための、和の技術。


すぐ答えを出さなくてもいい。

揺れたまま、在っていい。


そのやさしい余白に、

むすひと光は、ちゃんと宿ります。



全国古事記塾主宰 今野華都子絵と文記す







日本語って、どこかやさしい。

同じことを言っているのに、きつく聞こえにくい。


そして、不思議なくらい「祈りの言葉」が多い。



その理由のひとつは

日本語は、母音が主役の言語

世界でもめずらしい言語です。


母音は、意味をのせる前の「いのちの響き」


   ・ 驚き → 「あっ!」

痛み → 「いっ…」

安心 → 「う〜」

納得 → 「え」

満足 → 「お〜」



意味のある言葉は、その あと。

母音は「感情の第一声」なんです。



子音が「形」だとしたら、母音は「息・気配・生命」です。


だからこそ、怒りも悲しみも、

日本語はまず母音で受けとめて、いったんやわらげてくれる。




言葉が刺さる前に、

音が、心を包む。





母音を並べた あ行 は、ただの順番ではなく、

いのちの流れそのもののように見えてきます。


あ → い → う → え → お

あ:生まれる(ひらく・はじまる)

い:向かう(意志・方向が立つ)

う:育む(抱え、満ちる)

え:結ばれる(出会い、得る)

お:整い、次へ(おさまり、渡す)


ひとつの循環が結ばれて、

そしてまた、次へ渡されていく。


これは、

呼吸・成長・人生 そのもの。


あ行の母音は、意味以前の「いのちの声」


考える前に、

説明する前に、

すでに私たちはこの音で世界とつながっている。


日本語がやさしいのは、

「言葉」より先に

「いのちの響き」があるから


私は、そう感じています。


全国古事記塾主宰 今野華都子絵と文記す




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今野華都子




「ゐ」と「ゑ」の意味と使い分け
日本語にひそむ、在り方と実りのこと

私たちは普段、
「い」「え」という音を、あまり意識せずに使っています。

けれど、古い日本語には
「ゐ(ヰ)とゑ(ヱ)」という文字があり、

そこには、日本人が大切にしてきた生き方そのものが込められていました。
 

ゐは、「居る」「在る」という力
ゐは、「居る(ゐる)」の音。

何かを成し遂げることよりも前に、まず そこに在る という感覚です。

動かず、比べず、主張せず、
ただ 今ここに、鎮まって存在する。

古代の人にとって
家も、国も、身体も、心も、

「作るもの」というより
いのちが居る場所でした。

「ゐ」とは、根を張る音。
いのちが腰を落ち着ける音。

ゑ は「得る」「結ばれる」という恵み
ゑ は、「得る(ゑる)」の音。

けれどそれは、
力づくで手に入れる「獲得」ではありません。

人との出会い、思いがけない導き、ふと訪れる気づき。
縁によって、巡ってくるもの。

「ゑ」は、
与えられる恵みであり、
結ばれた結果としての実り。

だからこそ
「ゑにし(縁)」
「ゑみ(笑み・恵み)」
という言葉が生まれたのでしょう。

先に ゐ があり、整ったところに ゑ が訪れる。

これは、
国生みも、神産みも、
そして私たち一人ひとりの人生も、同じ流れを持っています。

まず「ゐる」ことから、すべては始まる

何かを得ようと焦るときほど、
私たちは「ゐ」を忘れがちです。

でも、本当は逆。
まず、今の自分を引き受けて、
ここに居る。

すると、必要なご縁や恵みは、
ちゃんと ゑ として巡ってきます。

ゐ は、在り方。
ゑ は、その在り方から生まれる実り。

静かに在ることを大切にする日本語は、私たちにこう語りかけているのかもしれません。

「まず、あなたがあなたで在りなさい。

結びは、あとからちゃんと訪れますよ」と。

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