世界は「正しさ」だけでは鎮まらない
【 神話に学ぶ、分断を抱きしめる力 】
世界が荒れるのはなぜでしょうか。
それは、「どちらが正しく、どちらが悪いか」が決まらないからではありません。
それぞれが、正しすぎるからです。
私たち日本人の精神の底流には、
イザナギ・イザナミの神話が流れています。
そしてそこに、静かに重なってくるのが「くくり姫」という存在です。
今日は、裂けたままの世界をやさしく抱え直す、
古くて新しい知恵について綴ってみたいと思います。
国生み ― 「むすび」が自然だった頃
物語の始まり、イザナギとイザナミの働きは、天と地をつなぎ、混沌に形を与えることでした。これは「ムスヒ(産霊)」の力です。
この時代、生と死はまだ分かれず、
男性性と女性性も対立していません。世界は、生成し続ける一つの流れの中にありました。
統合の力である「くくり姫」的な働きは、特別に名指しされることもなく、世界の前提として自然に息づいていたのです
火の神の誕生 ― 世界に裂け目が入る
しかし、火の神カグツチの誕生によって、イザナミは命を落とし、世界に初めて「死」が固定化されます。
ここで、生と死、清と穢、此岸と彼岸という決定的な断絶が生まれました。
自然に働いていた「むすび」が、断ち切られてしまった瞬間です。
黄泉比良坂 ― 結べなかった境界
亡き妻を追って黄泉の国へ向かったイザナギ。
しかし、そこにあったのは再会ではなく決別でした。
最後に行われたのは、和解ではなく
千引の岩による封印でした。
それは、「くくる神」が不在の世界の姿。
正しさと穢れを分けることでしか、
秩序を保てなかった在り方とも言えます。
禊 ― 再生しても、分断は残る
黄泉から戻ったイザナギは禊を行い、天照大神、月読命、須佐之男命が生まれます。
確かに再生は果たされました。
しかし、夫婦は戻らず、生と死の分断はそのまま残ります。
くくり姫 ― 裂けた世界を抱きしめる力
ここで重なってくるのが、白山くくり姫です。
くくり姫は、生にも死にも偏らず、
天にも地にも属さず、境界そのものに立つ神です。
雪(天)・水(地)・山(境界)が重なる白山はその象徴的な場所でもあります。
くくり姫は、黄泉比良坂で果たされなかった「結び直し」を別の次元で引き受けた存在。
イザナギの神話が「切る」ことで世界を保ったのに対し、
くくり姫は「結ぶ」ことで世界を整える。
どちらが正しいのではなく役割が違うのです。
『古事記』において、くくり姫の登場はごくわずかです。
それは、『古事記』が「世界がどう始まり、なぜ分かれたか」を語る書だからでしょう。
一方で、分かれたものをどう生き直すか、分断とどう共に在るか。
それは、後代を生きる私たちに託された問いです。
正義と正義がぶつかり合う現代。
白黒をつけて「切る」ことだけが答えではありません。
矛盾したものを、矛盾したまま抱え、裂け目をやさしく「くくる」
そんな、くくり姫のような力が、今の私たちにこそ必要なのかもしれません。
全国古事記塾主宰 今野華都子 記す