N0、42 _思い出の人々3_
KIKIです。
こんにちは みなさま、お元気ですか。
涼しくなりましたね。秋はゆっくりと滞在してほしいですね。
さて、わたしは、外から見たら元気にみえるように暮らしています。
から元気をだしていると、ほんものの元気になるのではないかと期待しています。
愚痴を言い続けると心の中もぐちっぽくなるようです。
今月は日本点字図書館の映画は中国映画で「あの子を探して」でした。
中国映画を見ることも中国を知る一端になるのでは、と思いました
毎月副音声つきの映画を見にいっています。
映画がすきで目がよかったら、暇が出来たわたしはどんどん、ひとりで映画を見にいっていたでしょう。
今、ラジオでIPS細胞を成功させた山中さんという方が、それで、ノーベル医学賞を受賞したと伝えていました。ほんとうにうれしいニュースです。難病で悩む人々の光となりますように。
*わたしの小さな引き出し
*思い出の人々③
*Nさん
いろいろな顔、職業をもっていたようです。
おつきあいの年月は5から6年ほどの間でしょうか。
わたしは彼にもさまざまなことを教わりました。
彼は敬虔なクリスチャンで、教会で牧師としてお説教をしたこともあるそうです。
大学で比較宗教学をおしえていたこともあるようです。
また公害の被害者の救援、問題にも生涯をかけていました。
おつきあいの中で感じたことは、彼は人を裏切らないということです。
はば広い知識、者の考え方、豊かな感性、などなどです。
互いに阪神フアンで親しみを感じました。老醜をいかにのりきるか、と言っていましたねえ。
*mさん。
中学の校長で教職を終わったそうです。北からの引き揚げ者で日本に帰国するまで、非常な辛酸な目に遭いました。教職を退職後、学校へ行って指圧師などの資格をとり、
自宅に・・治療院をつくったそうです。
彼の死後、残された妻は老人ホームへはいりました。
わたしは電話で話をしたことのある妻を、ホームへ見舞いにいき、はじめて会いました。
静かな印象に残る老婦人でした。
彼とは誘われて、国際報道写真展を日本橋のデパートへ見に行ったことを、報道写真のすばらしさとともに覚えています。
**わたしの人生の中でいろいろな素晴らしい個性のある知識と人間性の豊かな人々にあい、たくさんのことを学びました。それはとても幸せなことで、思い出になった人々に感謝しています。今でも心を温めてくれています。
中高年になってから会ったたくさんの人々の詳細をわたしの脳は記憶しています。
*2011.3,11金曜日14.46.
地震、津波、原発でできた莫大なゴミを日本中でわけあって、処分したいとおもっています。
小説「もやい舟」より引用」*引用文はとばしてあるところがあります
惜別
船頭さんが舟を動かしだした。わたしは顔を上げ目を細めて、水面の輝きを眺め、春の陽のまぶしさを避けるように、隣に肩を触れあって座っている夫の横顔に無意識に目をやった。
少し顔色が悪く、ほほがこけているように思った。
しかし、それは心に留めただけで口に出さなかった。
夫はつぶやくように言っていた。
「きれいな水だ。ウナギやアユ、エビなどが採れるのだろう」
舟は中州で停まり観光客は降りて、周囲の風景や、連れをカメラに収めていた。船頭が寄ってきて、客のカメラを受け取り家族写真を写すサービスをしていた。夫も人々と同じように対岸のあちこちにカメラを向けていた。今まではこんなとき、夫はカメラを必ずといっていいほどわたしに向けた。だが四万十川で夫はカメラをわたしに向けなかった。
今のわたしは現像した写真の色も形も見えないのだ。数年前に夫にきっぱりと言っていた。
「わたしを写さないで」
近くに精いっぱいおしゃれをした老婦人が立っていた。傍らで彼女を何枚も写している老いた男を見て、わたしは滑稽に思ったが、ふと我に返って、夫は淋しいだろうと、わたしは淋しく、夫の心を思いやった。
しばらく同じところに立って、人々の会話に耳を傾けていた。人々はなんと屈託なく楽しそうであろう……
わたしは広い四万十川のほんの一部を切り取るように脳裡に刻みこんでいた。
「舟が出ますよオ」
と言う声に再び夫に摑まり、元の席に戻った。夫はカメラを上着のポケットにしまってその上から軽く叩いていた。旅先でカメラと携帯電話を忘れることのよくある人でわたしも注意を怠らなかった。
帰路には民謡のひとつも出るのかと期待して船頭さんを見上げたがその気配はなく、帰りの船足は速かった。
それでもわたしと夫は一応満足したのであろう、笑顔で短い会話を交わしあった。
* (もやい舟はデージー図書として、日本ライトハウスと神奈川県相模原市朗読奉仕会)ででています。
しかくしょうがい者でプレストークなどをお持ちの方に紹介してください
*「もやい舟」第四作品集 短編小説4編とエッセイ1編が入っています。
著者片山郷子 定価1575円 発行所鳥影社 発売中
*ネット、書店、図書館などでお求めください。
- もやい舟 (季刊文科コレクション)/鳥影社
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もやい船の**点字訳の本が出来ました。!!点字を読める方に無料でお貸しいたします。
このページをひらいてくださって、有難うございました。
次号は10月25日に開いてくださるようにお願いします。
N0、41 _思い出の人々2_
KIKIです。
こんにちは。
9月は日本点字図書館で「SABU(さぶ)という日本映画をみてきました。
江戸時代の底辺に生きる少年の物語です。
現在の底辺に生きる子どもたちとは、いじめに悩む子、唯一の保護者であるべき親から虐待される子などでしょうか。
いじめはなくならないのですね。いじめる方の子の研究もひつようですね。
どうして彼らはいじめるのでしょうか
いじめる子はどのような環境で育っているのでしょうか。
いじめる子をなくづことは出来ないのでしょうか。
*わたしの小さな引き出し
*思い出の人々②
M子さん。中学時代からの親友でした。彼女は68歳で胃がんで亡くなりました。
わたしのわがまま、非常識をいつも笑顔でうけいれてくれました。
わたしは目が悪くなったことを彼女に話していません。目は序序に進行するので、どの時点で彼女に会おうか、とおもっていました。
会って、彼女の前で思い切ってなきたかったのです。
彼女は黙ってわたしの涙を拭き続けてくれたでしょう。その場面を想像して心の慰めとしながら、わたしは電話でも話しませんでした。
彼女がわたしの家に来るか、わたしが行くか、そのときが必ず来るとしんじていました。
まさか、わたしより先に亡くなるなどと想像していませんでした。
M子さん、わたしは喉までつまっているストレスをはき出して、貴女のそばで今でも泣いていたいです。言葉はお互いにないでしょう・・・。
*Iさん わたしはIさんを思い出すとき、ある会合から、
二人でかえったとき、ホームの階段を上がる前にふと、足を止めて、わたしに行った言葉です。
「Kさん、ぼくは70歳までは生きられませんよ」
そしてふたりは無言で階段を上がりました。
あとは棺の中に横たわって花に囲まれた顔、そしてひとりでお参りしたお墓。
彼は立派な紳士でわたしは彼から多くのものを学び、尊敬していました。
言葉通り70歳前に、晩秋になくなりました。いちょうの大樹が見事な黄金の葉を散らしたようです。
彼から来た分厚い手紙の文字が見えなくなりました。過去は塗り直せない、ということは十分わかっていますが、もし彼が生きていたら、私たちが歳をとらなかったら、彼はどれほどの慰めをわたしに与えてくれたでしょう。
「恋」は必ず消滅するようですが、Iさんとの間に「恋」はありませんでした。だからおつきあいは続いたでしょう。
*2011.3,11金曜日14.46.
昨年津波で親を亡くした小学生がテレビにでました。
そのこどもたちの顔、深い人生の悲哀を知ったような声が耳に残って忘れられません。
親を失った悲しみは一生のこるでしょう。何か手助けが出来たらと思っています・・・。
小説「もやい舟」より引用」*引用文はとばしてあるところがあります
惜別
わたしが目が悪くなって近所の買物に行くときなど、腕につかまるようになっても夫の腕はぎごちなく、小さな羞恥が、明治の男のような気取りが、わたしの腕に伝わるのであった。新婚時代のころ人目をはばからず、腕を組んで歩いていたことを振りかえると、ふたりの上に長い長い年月が流れ去ったことが思い知らされる。
四万十川が幅広く長く続いていた。
わたしたちの前後をばらばらに観光客が歩いていた。土手の隅に簡易に設けられた切符売り場で、半纏を着てハチマキをした男たちから乗船切符を買った。五十分間乗船ということだが、船賃は驚くほど高かった。
船着き場に向かってわたしと夫は歩いた。土手の傾斜した道を下りたが、そこは完成していない道でとても歩きにくかった。観光客がたくさん舟に向かって急いでいた。わたしたちは追い抜かれたり、端に避けて人々をやり過ごしたりした。
舟はボートの大きなもので、船頭が前と後ろにいて、長い櫂で漕ぐものであった。
わたしと夫は小さな座布団に詰めて並んで船頭さんのそばに席を取ることができた。
川の水面はわたしの眼には流れがないように見えた。しかし、見えない川の下に激しい流れがあるのかもしれなかった。わたしはすべてが半分も見えないのではないかと思って川の底へ目を凝らした。
「見えない」ということが表面上の「事物」に対して言われるのは仕方がないが、形而上のことにまで人に言われたことがあった。突然、脈絡なく、脳裡にそのことが思いだされて、少し暗い気持ちになってなおも川底へ目を凝らし続けた。
船頭さんが舟を動かしだした。わたしは顔を上げ目を細めて、水面の輝きを眺め、春の陽のまぶしさを避けるように、隣に肩を触れあって座っている夫の横顔に無意識に目をやった。
少し顔色が悪く、ほほがこけているように思った。
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夫はつぶやくように言っていた。
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次号は10月11日に開いてくださるようにお願いします。
N0、40 _40号小特集・_思い出の人々1_
KIKIです。みなさまお元気ですか。
秋らしくなりましたね。
おかげさまでこのグログは40回を迎えました!!
読んでくださるみなさまとパソコンでわたしの書いたものをブログという形式にだしてくれる松さんの協力があって、濃霧の中から生まれ出るの40号は生まれでました。
ありがとうございました。
感謝です。
わたしは今まったく見えなくなったパソコンのローマ字の上をぽつぽつ売って文章をつくりだしています。
創刊号のときは少し見えるアルファベッドもありましたが、
今は文字番は真っ白です。
わたしのパソコンの講師で視覚障害の方は見える人のような早さで文字を打ちます。
わたしの目はいまは進行の最中です。あと2,3年したら、わたしが健康であったら、見える人のようなスピードでパソコンをうてるようになるでしょう。
なぜならパソコンの操作がわたしが健常者と同じように出来る、数少ないものの一つですから。
そして起き上がって机に向かえるかぎりパソコンはわたしにとってなくてはならないものです。
日記も毎日打っています。無事40号が発行できたことをみなさまに感謝します。
わたしに何かとパソコンを教えてくれた人たちは10人以上います。
あの顔この顔、思い出がいっぱいです・・・。
_秋風が過去の思い出呼び起こす_
*ベランダのトマトは黄色い花がたくさん咲いているそうですが、顔を近づけて凝視しても、どうしても見えません。
次女は赤いとまとになればみえるでしょう、といいますが、どうでしょうか。たった一本のトマトはわたしの心をいろいろに揺すぶります。
40号********松 鶴子のコーナー*****
ブログ40号記念と相成りました。皆様に読んでいただいているおかげです。
さて、このスペースをいただきましたので、ちょっくら書いてみます。
うちの家には犬がいます。 アメリカンコッカースパニエルのあいちゃんです。
昨年から人生で初めて犬を飼いだしましたが、最初はもの言わない犬ですので、しつけやらなんやらと大変でしたが、だんだんその生活の中でお互いのペースがつかめてきました。
当初、私が仕事ででかけるときは、騒いだものですが、今はかえてくるのがわかっているのかおとなしいです。
大阪の実家につれてかえるときも、新幹線では一切吠えないですし、飼いやすい犬です。
このワンコに会えたチャンスは、非常に小さいものでしたが、それを見つけて、お互い育てていけたことに非常に感謝しております。
縁(えにし)とは、1つの点ではなく、それをつなげてこその縁ですね。
引き続き「濃霧の中から生まれ出る」をよろしくお願いします♪
わたしの小さな引き出し
*思い出の人々1
走れメロスに表徴されるように男の友情を描いた小説はたくさんあります。
さて、女の友情は?女の友達は短い間で終りになるように少女時代のわたしは思っていました。
A子の話
A子は高校3年あたりから二十歳くらいの間の友達です。半世紀以上前のことです。
今彼女はいきているかどうかわかりません。同級名簿にも彼女の住所は載っていません。
何人かの人に聞きましたが彼女の消息はわかりません。
高校を卒業して就職した会社の人を熱烈にすきになり、そして失恋して、自殺しましたが未遂で終わりました。
深夜、わたしは電車に乗って彼女の家へ呼ばれていきました。
帰りホームにだれもいない最終の電車で帰宅しました。
2、3年ほどした夜、彼女はわたしの家を突然訪ねてきました。
「明日大阪へ行く。そして大阪支店の人と結婚する」といいました。
夜の町を二人で歩いた記憶があります。相手の人は自殺未遂のとき見舞いに来ていた男性で、東京から大阪に転勤になったようです。
当時はまだ遠い大阪へ一人で発つこと、結婚がまだ前の痛手をひきづっているのではないかと、あやうい不安をおぼえたことを思い出します。
彼女は相手の親の希望で、昭和天皇の結婚式の日にしきをあげるといっていましたが、そのことは彼女の幸せにはわたしには思えませんでした。
それっきりわたしは彼女と会っていません。
住所もしりません。大阪から住所を知らせる手紙がきたかもしれませんが、覚えがありません。
幸せな人生を歩んだようには思えませんが、案外家庭の中では子供に恵まれ、一時期幸せであったかもしれません。今、会いたいひとのひとりです。言葉がなくても理解出来る人のひとりです。
もうひとり、自殺未遂で終わった友達がいます。B子です。
早朝、呼ばれていったとき彼女は意識をとりもどしていました。
おかあさんが、「意識を取り戻すと、親を呼ぶより先にあなたの名前を呼んだ」といって泣いたのをおぼえています。B子は大陸からの引揚者一家の子供で少女時代、今の時代では想像出来ないような苦労をしました。貧しさと食糧難がまともに幼い子を打ちました。
彼女は逆境に強くなったようです。70歳で病死しました。子供を産み育て、生涯をおえました。
彼女のことでよく泣いていた人は産みの母ではなかったと聞かされました。
A子に会いたいと思いますが、生死すらわかりません・・・。色の白い人でした。
*2011.3,11金曜日14.46.
9.11では最新の科学を駆使した人類の暴挙で普通にくらしている人々を殺傷しました。3.11は大自然の暴力です。しかし、その被害の中に原発という科学が混じっていました。この悲惨な悲劇が繰り返されないように祈るばかりです。
*小説「もやい舟」より引用」*引用文はとばしてあるところがあります
惜別
その年の初夏……。
わたしと夫は三泊四日の四国旅行へ行った。旅行と歴史の話は夫婦で趣味の合う数少ないものであった。
夫はまだ現役で「仕事」をしていた。そして常々言っていた。
「七十になったら辞める」
ところが七十歳に近づくと七十五歳と言いだした。その年齢に近づくと、
「死ぬまで働きたい。死がいつくるか、分からないのが問題だが、死ぬ数年前に仕事を辞めて、残りは趣味に生きたい。やることはいっぱいあるよ」
わたしは夫がそんな高齢まで働くことに反対であった。静かに穏やかに日々を送りたかった。
羽田で高知行きの飛行機の出発を待っていると航空会社の係員から、わたしたちは名を呼ばれた。最高の笑顔と丁寧な言葉で係りの女性は言った。
「お客様、お取りしてあるお席より少し前の、非常口に近いお席が空いていますので、そちらへ移っていただけますが、いかがいたしましょうか」
このようなサービスを受けることは初めてだったが、喜んでお願いした。
「ふたりとも高齢者夫婦だものね。それにあたしが白杖を持っていることわかってくれたのね」
とわたしは夫の耳にささやいた。夫はおれはまだ高齢者ではないというように泰然と反りかえった。わたしは夫の態度に、見栄を張って、とおかしかった。わたしは夫より十歳若かった。
空は高く深かった。四万十川は悠々と流れているようだった。
川の土手を夫の上着の袖に摑まって歩いた。自宅から遠く離れていて、見知った人たちはいなかったが、わたしたちは恋人のように腕を組んで歩くことに慣れていなかった。それはもう何十年も前に、短い間したことで、遠い記憶であった。
* (もやい舟はデージー図書として、日本ライトハウスと神奈川県相模原市朗読奉仕会)ででています。しかくしょうがい者でプレストークなどをお持ちの方に紹介してください
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次号は9月25日に開いてくださるようにお願いします。
さようなら
N0、39 _下手な俳句__
KIKIです。
ひどい暑さでしおれていらっしゃいませんか。そういう方は水をあげなくてはなりませんね。
自ら水をあげて生き返りましょう!自分の手だけでは、生き返られな人もいますよね。
ひと手を借りましょうか。
*わたしの小さな引き出し
*ベランダに トマト苗植え 慈しむ
たった一本の、秋トマトと名札がついた苗を買ってきました。
物言わぬ植物を子犬のように、愛しんでいます。農家の方はみんなそうでしょうか。
孤独な老婆だからでしょうか。
わたしの頭の中では鈴なりのミニトマトが輝いています。
なにひとつ一人では出来ないわたしはトマトの苗一本植えるのに、いろいろなひとの手を借りました。
①ガイドヘルパーと苗探し
②10日後くらいに見つけてまたガイドと買いにいく。
③孫が自宅の鉢をもってくる。一緒に土と肥料を買いに行く、植えてもらう。
④次女が支柱を持ってきて鉢にさして、トマトにひもで結わえる。わたしは毎朝水やり。
*夏休み 北大寮より 孫帰る。
彼はこの4月札幌へ単身飛びだちました。
春、合格の知らせにきたとき、
「これからはあまりあえなくなるから」
といってわたしの所へ一泊して、買い物や力仕事を手伝ってくれました。
彼は母親がフルタイムで仕事を持っていたので、1歳児から保育園に預けられ、園中で一番の泣き虫でした。入園当時だけではなく2歳児3歳児になっても泣き虫一番でした。
18年後、身長が180センチ近くになり清純で初々しい若木に成長しました。夢のようです。
保育園に預けにいったとき、わかれるとき、後を追って、大泣きしていた彼が、電話で決めた初めての寮へ羽田から単身とびたったのです。
*カナカナの鳴き声途絶え 闇落ちる
トマトをベランダにおいたため、わたしは朝夕ベランダへでるようになりました。
いすに腰掛けてそよ風にふかれていますとどこかで急にヒグラシが鳴き出しました。
「カナカナ、カナカナ」それは高く美しく澄んで、まじり気がない鳴き声です。
それでいて哀愁を含んだ鳴き声です。
わたしはヒグラシの鳴き声にいつも心をひかれ、心をかき回されるようなものを感じます。
きっと、カナカナはこの世との別れ、愛する人間との別れを心を込めて歌っているのでしょう。ふと、気がつくとベランダもそこから見えるところも暗闇でした。
*2011.3,11金曜日14.46.
原発について。
わたしの周りには原子力発電反対とでも行進をするひとはみかけません。といって賛成というひともいません。もちろん事故で人体に影響があるようなことが、今後起こったら恐ろしいことです。
わたしのように無知な者にもわかるような丁寧な説明がほしいです。政治家からではなく。
*小説「もやい舟」より引用」*引用文はとばしてあるところがあります
惜別
命が育ったのだ、とじんわりと思った。小さな喜びが久しぶりに湧いたが、喪( うしな)った命も思い浮かべた。一年前は夫はここに屈んで土をいじっていたのだ。
「仏様に供えますか」
「ええ、そうするわ。何より喜ぶわ」
わたしは井川さんに独り言のように説明した。
「いまに、百合が咲くと思うけれど、黒い花は北海道、背の低いのは佐渡、一緒に旅行して……」
終わりの方の言葉は口の中だった。
花瓶に差し仏壇の前に置いて両手を合わせた。
あなた、何も手入れをしなかったけど咲いたわ。
夫の嬉しそうな笑顔が脳裡に浮かんだ。
庭に草花を咲かせることは夫の担当だった。わたしは六、七年前から目が悪化してきていた。大学病院で「網膜色素変性症」と診断されていた。徐々に視力低下と視野狭窄(きょう さく)が進み、失明に至ると言われている難病だ。
だんだん庭の草花の色がはっきりとしなくなってきた。形もぼんやりとしてきた。
草花を育てることに、急速に興味を失っていた。それに反して若いときは草花を庭先に咲かせるような趣味をややバカにしていた夫が、老齢になって興味をもってきた。
「田舎で戦後の食糧難のとき、農家の手伝いをして食べ物をもらった。今までそこで作っていなかった新しい作物を植えたり研究したりして、農家の相談にのった。高校生のときだったかなあ」
だから花作りもプロなんだと言いたげに、花の種を買ってきて苗床を作って蒔いたり、珍しい品種の球根を買ってきた。何事も熱心にやる人だったので花作りもそうであった。
春から初夏にかけてはいろいろな色の花が庭に咲き乱れた。わたしは心の底では美しいと想像した。だが、口に出して夫に花を褒めることはできなかったし、水やりもしなかった。心の底で色や形が夫と同じように見えないことに苛立ち、わたしの心は少しずつねじ曲がっていった。
いつから、という区切りがなく徐々に視界が薄れて、眼前に霧が広がっているような世界に身をおくわたしは、心もすさんで行くようであった。色や形のはっきりしない草花を踏みつぶしてしまいたいような、凶暴な感情が湧くときがあった。
だが、娘たちが来ると、
「おとうさんが熱心にやっているのよ。きれいでしょう」
と我がことのように自慢した。
冷淡に夫の作業を眺めているわたしを夫は気にする様子はなかった。変わった百合など育てたときは、家の中にいるわたしのところへ庭から上がってきて、
「そばへ来て見てごらん」
などとにこにこ顔で言った。
あの柔和なちょっと照れを含んだ笑顔は、晩年の夫のわたしへの最大の贈り物ではなかったかと思う。
わたしはあの笑顔を目で見、心で見たのだが、そのときはその笑顔を受け入れることができなかった。視覚障害という目の前に落ちてきた岩石のために、わたしは打ちのめされて、周りを見るゆとりはなかった。
仏壇の中の夫の写真には笑顔はない。あの笑顔は妻のわたしだけのものであろう。
仏壇の前でわたしはぼんやりと考え込んでいた。
なぜ、どうして……、という疑問が浮かんでくる。
「それでは失礼します」
井川さんの大きな声が玄関の方で聞こえた。彼女は介護保険の中の要支援という仕事を一週間に二回、一時間という短い枠の中できちんとこなしていた。
「ごくろうさま」
井川さんを玄関へ見送ってわたしも明るい声で礼を言った。全盲ではなく薄くぼんやりとものが見えるというわたしの今の状態は人に理解されにくい。長く来てくれている井川さんは目の前でゴキブリがひっくり返って死んでいても、わたしには見えないということがだんだん理解できるようになった。
井川さんの姿がドアの向こうに消えると、途端になぜ、という問いが再びわたしの心に浮かんできた。
夫の死は「消えた」という思いが強い。それで不思議なのだ。小さな花の命は冬を越え、繫がっていたというのに、なぜ。
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N0、38 _余生の3点セット。_
KIKIです。
御元気ですか。
線や、偶然つけたテレビで辻井伸行さんのカーネギーホールでのピアノ演奏を放映していました。
わたしはくぎづけになって、演奏を聴きいり涙がでてきました。
チャイコフスキー、ラフノマニフなどのクラシック曲が彼の頭にはいっていることを思えば天才ということなのでしょう。
演奏は激しく悲しく心をうつものがありました。
若さと素直な人柄がしのばれ感動しました。盲目を乗り越えて立派にやっているのです。
(わたしは日頃、ラジオを聞いていてテレビはほとんど点けませんが、耳で聞いていて理解できるテレビは、聞きたいのですが、番組がわかりません。クラッシック音楽、世界遺産、むかしのドラマの再演など聞きたいのですが、日時がわかりません)
*わたしの小さな引き出し
今朝のニュースで東京23区の中で北区が、高齢者の比率が一番高く、4人にひとりが65歳以上と報じていました。もちろん、わたしもその中にいます。
これから先、どのように身を処していくのがよいか、考えてしまいます・・・。
*余生の3点セット
①長寿②健康・③家族(伴侶・子など)
1、健康 2,経済 3住むところ
A、健康 B友人 C趣味・何かをすること、
Ⅰ、心のけんこう Ⅱからだのけんこう Ⅲ克己心
一孤独二欲望三感謝
(孤独・欲望をを自己制御して、まわりに感謝すること。)
A家族(血縁は問わない。一緒にいたわり合って住む人)
Bお金c住居
*2011.3,11金曜日14.46.
あまりの暑さに、気になりながら、冷房の中でくらしています。
小説「もやい舟」より引用」*引用文はとばしてあるところあります。
*惜 別
毎朝、目が覚めると心の中につまらない事柄が浮かんでくる。昨日か一昨日、だれかが言った小さなことが思いだされ、人生の忙しいときであれば気にも留めないそれらの言葉に思い悩んだりする。思うことはすべて過ぎたことだ。
やがて、これが老いだ、という区切りの言葉を我が身に投げつけて身を起こす。そして、今日は介護ヘルパーの来る日だ、という現実的なことが頭に浮かび、通常の自分に戻っていくような感じがある……。
寝室から出て階段を降りるとき何となく下を覗く仕種をするのが癖になった。下で夫がわたしを待っているような気がした。もちろん下にもだれもいない。空間ばかりである。
ひとりで朝食をすませ後片付けをしていると、
「おはようございます」
と介護ヘルパーの井川さんが明るい声で、外からの空気を運んでくる。空気が少し広がる。
井川さんは部屋の窓から庭を見て言った。
「関本さん、あそこに小さなチューリップが咲いていますよ。わかりますか」
「いいえ、見えないわ……」
井川さんが手で示す方を見てわたしは答えた。
「ちょっと一緒に庭に出てくれる?」
わたしは庭に出て午前の柔らかい陽光の中で腰を屈めて足許のプランターを覗き見た。
太陽の恵みが球根を暖め、二十センチほどの茎を育て、小さな花を咲かせていた。
「ぜんぜん気がつかなかったわ。ずいぶん小さなチューリップ。赤ね。切ってくれる?」
「はい、ちょっと待って、あちらに黄色い水仙が三つ……」
「水仙? それも切ってください」
「菜の花がありますがこれはもう終わりです。ダイコンの花が咲いていますよ。薄紫と白。柔らかい色でとても綺麗です」
「みんな夫が植えたものだわ」
とわたしはぼんやりとしか見えない草花を見渡した。現実に見える薄茶色の花々を、色のあるものに想像で変えた。
「夫が入院した後、何の手入れもしないで放っておいたのに、冬を越したのね」
命が育ったのだ、とじんわりと思った。小さな喜びが久しぶりに湧いたが、喪( うしな)った命も思い浮かべた。
* (もやい舟はデージー図書として、日本ライトハウスと神奈川県相模原市朗読奉仕会)ででています
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*「もやい舟」第四作品集 短編小説4編とエッセイ1編が入っています。
- もやい舟 (季刊文科コレクション)/鳥影社
- ¥1,575
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著者片山郷子 定価1575円 発行所鳥影社 発売中
*ネット、書店、図書館などでお求めください。
もやい船の**点字訳の本が出来ました。!!点字を読める方に無料でお貸しいたします。
このページをひらいてくださって、有難うございました。
次号は8月25日に開いてくださるようにお願いします。
N0、37 _→コメント←・副音声つき映画_
N0、37 _→コメント←・副音声つき映画_
*暑中お見舞い申し上げます。
KIKIです。
みなさま、御元気ですか。
熱中症という言葉が定着しましたね。
わたしは音声で数字を読み上げてくれる血圧計を買いました。音声が読み上げる
体温計ももっています。体重計も。
ひとりで健康を維持していくためには、音が出る測量計が欠かせません。
*わたしの小さな引き出し
*コメント⇔
わたしのこのブログにコメントを寄せて下さった方々がいらっしゃいます。
それはわたしにとって、どんなに嬉しいことでしょう!とてもありがたいことです。高齢になって、
新しく知人が出来ることはとてもむずかしい。
有難うございました。ここに取り上げなかったエンドウさまにもいろいろ励ましをいただいています。
*⇔聴覚の障害
自分の目のことばかりを考えていたわたしは最近になって、耳が聞こえない人のことも考えるようになりました。そして聴覚について、まったく無知なことを知りました。わたしは目について、世の中の人があまりにしらないと度々嘆きましたが、聴覚の障害についてわたしは何も知らないと気がつきました。自分のことしか考えない、わからない、というわたしです。
Aさんから、iTS細胞など、⇔。
「医学の進歩が自分に真美合わなくても、
聴覚のほうも神経の再生に進展があれば嬉しいです。
もっとも、あってもやはり私がいなくなってから後の話になりますが、それでも希望を持って亡くなることができそうだからです・・・・。
わたしはAさんの文章を読んでとても感動しましたし、同感です。
自分が死の床についたとき、これからの若い人がわたしのような悲しみ苦しみを味わうことがないように医学が発展したら・・、
この世に光明を見出して、わたしは死んでいけるでしょう。
*Bさんから、⇔
「詩、文学、文芸、会話、などは皆言葉で成り立っていますね。これらの言葉うけとるほうは、人によっていろいろなこと、想像し同じこと考える人もまったく違ったこと考えるひともいますね。
わたしなど、まったく頓珍漢にしか受け止められないことが多いのです。そういう時はごめんなさい」
言葉って本当にむずかしい。
「黒」と思って一生懸命話していても、相手は「白」と思っていることを後で知ったり。
世の中の争いごとの半分は言葉の誤解から生じているとか、聞いたことがあります。
わたしは底に善意があればいいのではないかと思っています・・。
また、あまり気にしないようにと思っているのですが、高齢になると人のちょっとした言葉にも、くよくよします。・・。
*えりかさん!コメントありがとう。
*静岡大学の石川淳先生のこと。
わたしは石川先生の公園を聞いただけで直接お話をしたことはありません。ご著書はデージーで何冊か聞きました。16歳で網膜剥離で失明してから、学究に励まれたようです。
すぐれた能力、豊富な知識、むずかしいことをやさしく話す穏やかな率直な人柄にひかれました。石川先生のような方に若いとき接触できる人は幸せです。
*副音声つき映画
今月は点字図書館でアニメ映画(銀河鉄道の夜)を見ました。家庭用のテレビも花壇に文字が出るとき、副音声が出るようになってほしいものです。
*2011.3,11金曜日14.46.
代々木で脱原発運動のでもが多数の参加者を得て行われたそうで、ラジオで聞きました。九州で多数の死者の出た大雨・・、自然と人工による脅威、これからの日本はどうなっていくのでしょうか、わたしのような者はただ見守るだけですが。
小説「もやい舟」より引用」*引用文はとばしてあるところがあります
箱根のつづき
わたしは目が悪くなってから、背筋を伸ばして、声のする方を見るように心がけている。目で相手の目を捉えられなくても、目をしっかりと動かして、相手の顔の方を見るように意識している……。
それは時として、目を動かして見るべき方向を、わたしが見ている、ということで、見えないと言っているが、見えるのではないかという疑惑を目の良い人に起こさせるようであった。
岩木さんもそれで、わたしを観察していたのかもしれなかった。
人はなぜ、そのような疑惑をもつのであろうか。自分の理解できないもの、異質なものに疑惑をもつのは人の本能だろうか。
水上さんたちに救われた。はじめはおっかなびっくりであったが、出発時刻などのうち合わせに電話をかけてくれる水上さんの明るいきびきびした声にだんだん安心した。彼女は、どうしましょうか、それでよろしいでしょうか、などとわたしの意見を聞いてくれた。
出発当日の朝、心の中のトゲはすぽんと抜けていた。
新宿でロマンスカーの座席に向かいあったとき、わたしたち三人の間に晴れやかな、しかしはにかみを含んだ笑顔があった。山田先生は八十五歳。先生とのこのような旅行は初めてであった。むかしむかしの小学校時代の雰囲気がどこからか、ふんわりと忍びこんできていて、純真な喜びの中にはにかんだような気持ちが存在した。
先生は手提げ袋の中から遠慮がちに、みかんやおせんべいを取りだして、
「こんな物だけど」
と言った。
しばらくおしゃべりをしているうちに、心の底のテレや羞恥に似た感情はすっかり消えていた。
「佐々木さんとは、まあ、半世紀、いえ、それ以上逢っていないのだわ」とわたし。
「あの子のこと、覚えているわ。ほっそりとして華奢(きゃ しゃ)な子だった」
と先生。
「わたしは全然覚えていません……」
といいながらわたしは心の中で思った。金目鯛を食べよいように身だけ取ってくれるという彼女。電話で短く聞いただけだけど、人生の糸を複雑に編みこんできたらしい現在の彼女、その今の彼女と、たぶん隔てなくお喋りできるだろう。
水上さんに聞いた。
「佐々木さんとはどのようなお付き合いがあったの」
「中学高校、その上まで同じ女子校でした。
結婚前後はしばらくお付き合いは途絶えていたのですが、わたくしと夫がドイツにいたとき、それこそ同窓会名簿か何かで偶然、佐々木さんがご主人の転勤でオランダにいることを知ったのです。それで佐々木さんのところを夫婦で訪ねました。その後、ごいっしょに旅行をしたり……」
「まあ、ヨーロッパで同級生と再会するなんてロマンチックね。それでヨーロッパのどこらへんに旅行へ行ったの」
といつまでも少女のようなところのある山田先生が聞いた。先生は小学校を定年退職してから海外旅行を趣味として、それこそ、世界中を廻ったと言っても過言ではない。
水上さんは大きな目をくるっと動かして思い出を語った。彼女は転勤社員の妻としてドイツに渡ったわけではない。ドイツ語も話せないのにご主人についてドイツに渡り、そこでご主人のレストランを出店するという事業の手助けをしたようだ。詳しい事情は知らないが若さと明るい前向きな性格で苦難を乗り越えたのだろう。
「ドイツで動き回るのに車の免許を取ろうと思ったのですが、夫が古い型の人間で、女が車の運転などとんでもないって頑固で、とうとうわたくしは一生車の運転ができない身ですわ……」
と少しこぼした。
わたしは佐々木さんが電話で言った言葉を思いだしていた。
「箱根に住んでからは、三匹の猫と車がわたしのいちばん大切な友だちです」
わたしは想像した。サングラスをかけた初老の婦人が箱根路を紫色の車を疾駆させている。助手席の窓のガラスにチンチラの大きなブルーの目が六個張りついている。その目はドライブを楽しんでキキキキと笑っている……。
だれの人生にも笑いと涙がある。ただ、その量は人によって、まちまちである。
わたしは水上さんと佐々木さんの来し方を思った。美しく生まれた彼女たちはピンク色の雲に乗っているように思えた。彼女たちが学校生活を楽しんでいるとき、わたしの母は療養中で家庭にいなかった。わたしは家事を手伝い、母と幼い弟たちの心配をしていた。そう、わたしは「雨雲」に乗っていた。「雨雲」にヨーロッパ生活はない。わたしは自分のことで手いっぱいで、人を羨むことはなかった。他人に目をやる暇がなかったのだろう。
しかし、今、周りを見回してみると「不幸」とか「不運」とかは寂しがりやで、一人の人間、一つの家族を目がけてやって来ているようだ。これでもかこれでもか、と一人の人間の上に不幸が押し被さってきているのをわたしは身近に知っている。カミサマはアンフェアのようである。
佐々木さんは強羅まで愛車を運転して出迎えてくれる手はずになっていた。
強羅で下車すると、水上さんは素早く佐々木さんの乗用車を見つけて、わたしと先生をかばいながら佐々木さんの車に駆け寄った。
「さあ、乗って。挨拶は車の中で。駐車場が混んでいて、ゆっくりできないの」
車内にみんなが収まると、
「挨拶はホテルでゆっくりとしましょう」
と今度は佐々木さんが言った。そして車さばきも巧みに、強羅駅から離れた。
「紅葉のときはもっともっと車がぎっしり」
車好きな先生は言った。
「運転がとてもお上手だわ」
先生はかなり高齢まで車を運転してご主人を乗せ国内旅行を楽しんでいたようだ。
先生はわたしにささやいた。
「どうも、佐々木さんは子どものころと変わったわ。どうも、違う人みたい……」
わたしは過去を覚えていないから、現状をそのまま受け入れられる。先生はイメージをもっているので、そのイメージと目の前の佐々木さんがかけ離れているらしく、さかんに首を傾げていた。
女だけの気楽さで、食事をして、揃って温泉へ入ってから、佐々木さんは二十年間ほどの自分の人生を短縮して、わたしと先生に物語った。
夜も更けて、三人のおしゃべりの傍らで水上さんは先に眠ってしまっていた。その寝姿はいかにも昼間、きびきびと動き回る彼女を彷彿させた。
「疲れているのよ」
とわたしたちはささやいて彼女をそのままにした。佐々木さんがそっとタオルを掛けた。
その夜は一室に四つの布団を敷きつめて並んで寝た。このような寝方はしたことがないので、眠れないかと思ったが案外わたしは屈託なく眠ってしまったようだ。
(二〇〇九年晩秋)
* (もやい舟はデージー図書として、日本ライトハウスと神奈川県相模原市朗読奉仕会)ででています。しかくしょうがい者でプレストークなどをお持ちの方に紹介してください
*「もやい舟」第四作品集 短編小説4編とエッセイ1編が入っています。
著者片山郷子 定価1575円 発行所鳥影社 発売中
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このページをひらいてくださって、有難うございました。
おついでのときに、お知り合いに紹介していただければ
嬉しいです。
次号は8月11日に開いてくださるようにお願いします。
N0、36 _傾聴ということ・ベランダ_
KIKIです。
天候不順ですが、御元気ですか。最近、とても疲れますね。
*わたしの小さな引き出し
*わたしのベランダに丸いテーブルとイスをおきました。
石?に青い花模様が彫ってあるステキなデザインです。
わたしの目は比較的さわやかな青とあざやかなオレンジ色がみえるようですす。
コーヒーをベランダへもってでて、梅雨間の外の空気を楽しんでいます。
小鳥の声を聴くときもあります。
ここは2階なので、下に樹木があるはずです。いずれ音楽を流せるようにするつもりです。
6月が終わりましたが、歳がひとつ増え、75歳になりました。
うふふ、と笑うほかありませんね。
自治会の食事会のとき、誕生月の人に花束をくれました。
ありがとう。
どうしてこんな長い年月がすぎてしまったのでしょう。だれの上にも起こることですが・・・。
*傾聴
あるNPOの主催で、傾聴ボランテア講座というのを募集してましたので、申し込んでいきました。
計6回の口座で一回2時間です。
受講者が40人もいて、いろいろな意味でつめこみという感じがありました。
尚受講料は無料です。
40人が輪になって座り、カウンセリングの練習で、ひとりがカウンセラー役、ひとりがクライエント役で順番にその役は後退して、みんなはそのふたりの会話を聞きます。
傾聴とは、その漢字の意味のままのようで、いかに他人の話を耳だけではなく心を傾けて、話を聞くかということです。
技術的には“受容”ということが大切で、いかに相手の言葉をさえぎらずに、そのまま受け入れて聞き、自分の意見は言わないことらしいです。
黙って相手の言葉を聞く、ということの大切さをといているようです。
母親は子供に、妻は夫に(その逆も)学校の先生は生徒に、強い者は弱い者に、なんとたくさんの言葉をおしつけていることでしょう!
わたしはこのような催しものに参加するとき、ガイドヘルパーさんが毎回家まで迎えにきてくれて、帰りも自宅まできてくれます。
そして障碍者はわたしひとりで、年齢は最高ですが、無欠席です。
すべてわたしはひとりでは何もできません。
*わたしは自分が一番興味があるものは何か、わかりました。
それは網膜色素変性症という難病を治すことのできる医学の発達です。
人体・再生医療です。自分の時代には実現できないでしょう。しかし、
次世代の人たちの目!にと、祈り続けます。
*2011.3,11金曜日14.46.
クーラーをぎりぎりまで点けないようにがんばっています。大震災まえまでは、自分の家庭の家計を考え節電も倹約でしたが、いまは、前と少し違って、我が家の電気代だけをかんがえているのではないようです。
小説「もやい舟」より引用」*引用文はとばしてあるところがあります
箱 根
わたしは長い人生の中でたくさんの失いものをしてきたが、その中で最も大切なものとして「単純さ」があるように最近考えるようになった……。
小学校時代の恩師の山田先生のご主人が亡くなり、高齢の先生を慰めたいという気運がわたしたち教え子の心の中に生じていた。
箱根のマンションに住んでいるという佐々木さんから声がかかり、先生をお誘いして箱根へ行くことになった。
夏の喧噪(けん そう)は消え紅葉の人出には少し間があるころであった。
佐々木さんとは赤羽小学校時代の同級生だが、卒業以来一度も逢っていなかった。
わたしたちと佐々木さんの間を細々とコーディネートしてくれたのは、やはり同級の水上さんで、彼女とは半年くらい前に一緒に山田先生のお宅を訪問していた。そのとき、彼女はわたしが白杖なしで歩けないことを知ったが、それに頓着する様子はなかった。表立った言葉はなかったが、そっとわたしに寄り添って腕を組んで歩いてくれた。それは、心地好いほどのごく自然な身のこなしであった。別れるとき、
「わたくしにお手伝いできることがありましたら、なんなりと遠慮なくおっしゃってください」
と言って大きく手を振った。
彼女は夫婦して、レストランを経営していたが最近社長の座を娘に譲ったという。しかし、今も現役で働いて娘を補佐していた。体型が七十歳になっても娘時代と変わらないというので、その秘訣を聞くと、
「朝の犬の散歩、ラジオ体操。あとはよく働くことです」
と笑った。
箱根のホテルの夕食に金目鯛が出ると聞いて、わたしはホテルを予約してくれた佐々木さんの自宅へ直接電話をかけた。
「……わたしは目が悪くて、骨のある魚は苦手なのです」
彼女は気軽に答えた。
「あたしが貴女と先生の骨を取って差し上げます。そんなこと何でもありませんよ。小皿に身だけ、ちょいちょいと」
わたしは彼女の顔も浮かんでこないのだが、ありがとう、よろしくお願いしますと電話を切った。
半世紀以上の年月が流れ去ったことを、受話器を見詰めながら思っていた。耳に不思議な音が聞こえてくるような気がした。それは人間の作りだした音ではなく、過ぎてみてわかる、時の流れのすさまじい音だった。
模糊(も こ)としたむかしの情景に懐かしさを覚えながら、箱根一泊の旅を安心して、喜んで迎える気持ちになれたのである……。
同じ年の春のころ、わたしは中学時代の同級生と赤羽駅近くの中華料理店で会食した。中学時代からなんとなくできた四人グループで中高年になってからは四、五年に一度くらいの割で会っていた。旅行も行った。
前回逢ったのは新宿で、そのときはYさんのご主人が亡くなっていた。今回はわたしの夫が亡くなっていた。人生の終わりに近い道を我々は歩きだしているようであった。
その上わたしの目はかなり進んでいた。
わたしは日々薄れゆく視界の中で、対人関係には時としてかなり神経質になっていて心は相手によって、石のように硬くもなり柔らかい餅のようにも変化していた。
四人は九階レストランの窓際に向かいあった。窓から見える風景はスモッグがかかっているようであった。見慣れた赤羽の風景が上から俯瞰(ふ かん)するとこんなに汚いものかと、わたしはふと、途惑いを覚えた。
料理が運ばれてきた。なるべく簡単な食べよい品を選んで注文したが、中華のつるつるとした四角い箸は持ちづらく食べづらかった。割り箸を取り寄せるゆとりがわたしの心から消えていた。なぜなら、向かいあわせに座った岩木さんが、わたしの食事の仕方をじっと見ている視線を感じたからである。斜め前に座った本山さんが、
「それ、肉のようよ。隣のは」
と声をかけてくれたが、目の前の岩木さんはあくまで無言であった。
だが、わたしは自分の皿の中の料理が何かわからない、向かい側の人の口が開いているか閉じているかも見えない、それなのに、向かいの人の視線がどこにあるのか感じ取ることができると思っている……。
わたしのぎこちない箸の持ち方、箸からこぼれ落ちる総菜、岩木さんの視線はそれら一つ一つの動作を追っていた。まるでそれはわたしの粗相を確認するような視線であった。
わたしは瞬時に、まだ目がそれほど悪くないとき、彼女と旅行へ行ってホテルへ泊まったときのことを思いだしていた。ホテルの部屋へ入って洗面所へ行ったとき、彼女はいらいらした声を出して言った。
「この洗面所、水道の横に水が跳ねているわ。ちゃんと掃除したのかしら。あたしこういうの大嫌いよ」
わたしは黙っていたが、その言葉を後で思いだしたとき、彼女より先にわたしが手をあらったような気がした。水を跳ねて気がつかなかったのはわたしなのだ。洗面所はピカピカに磨かれ白い光沢を放っていて、水のたまりは見えづらかった。それにわたしはそんなことはどちらでもよかった。たとえ水が跳ねているのを見つけても拭くことなどしなかったであろう。彼女とは価値観の違いを感じていた。
そのことを思いだして、わたしは彼女に対して嫌な感情を募らせた。
しかし、今は、彼女の視線はわたしの誤解かもしれない……、と反省する気持ちがなかったわけではない。ひねくれ者になっていく自分が見えなくなっているわけではない……。
だが、彼女の視線が針のようにわたしの左右の手に突き刺さっていた。ウーロン茶を持った左手が急にぶるぶる震えだした。それは音を立てるかとわたしには思われた。わたしは岩木さんの目からその震えを隠そうとして右手で左手をおおい、湯飲みをそっとテーブルへ置いた。
わたしは語らない人の言葉を想像することができると思っている。見えない「視線」を感じ取ることができる、と思っている。人の心が見えると思っている。それはわたしの傲慢であるかもしれない。偏見、狭量、誤認であるかもしれない。
岩木さんが唐突に話しだした。
「あたしは母を十年近くも看病して見送ったのよ。ようやく身軽になったのだから、これからボランティアなんてこと、真っ平よ。独身の兄がいるんだけど、あたしが看病するようになったら大変だから、早くいい有料老人ホームを探して入ってちょうだいって、いつも言っているのよ」
聞いてる人たちはみな黙っていた。だれも母親の看病の大変さを慰めたり、彼女の努力を労ったりしなかった。
わたしの心に、これはわたしに対する当てこすりだろうか、という邪推が浮かんだ。
しばらくの沈黙を破って彼女はまた言った。それは全く脈絡ないものであったが、わたしに向かって言われた言葉であった。わたしの密かな気持ちが岩木さんに伝染して言われたような言葉であった。
「Kさんのようになったら」
と彼女はわたしに向き直った。
「仕方がないから、旅行は娘さんと行くか、今は有料ボランティアというのがあるそうだから、そういう人と行くのね。そういう人たちなら何かあって、旅行の目的地まで行かないで途中で引き返したとしても、お金を貰っているのだから文句は言えないでしょう。娘さんたちならなおさらのこと……」
わたしは話を途中で遮って、最近のボランティア活動の説明をしようかと思った。だが、すぐに、この人に何をいっても無駄だ、という思いが素早くわたしを包んでしまった。この人はもっと高齢になって、自分の身が自分の意志で動かせないときがきたら、損得勘定で行動できないときがきたら、そのときは少しはわかるようになるかもしれない。今何を言っても無駄だ、と思ってしまった。
「そのとき」は眼前に迫っているのか、少し先のことか、分からないが必ず来る……。今は、人の世話にならないで生きているという強い自負が、彼女にはあるようだった。
わたしは抗議の言葉の代わりに、何かつまらないことを言って座を明るくしようとしたが、うまくいかなかった。
食事が終わってそれぞれ会計に並んだとき、この四人グループの集まりは再びない、とわたしは思った。
それは、ほんとうはとても残念なことではあった。老齢に向かって、視覚障害者となって、「ひとりの友」は大切である。失いたくないという思いはわたしの中にあった。またその反面、合わない人と無理して合わせることはない、という負けず嫌いな思いもあった。
またそれとは別にして人生のぬくもりが欲しいころになって、冷たい風をながすなんて、淋しいことであった。
その後、長い間、岩木さんの「言葉」と「視線」はトゲとなってわたしの心に刺さっていた。忘れよう、気にしまいと何度もおもった。しかし、それができない。ぐよぐよ同じ言葉を心の中で繰りかえしはじめると、わたしの心は自分で制御できなくなっていく始末の悪いものであった。
* (もやい舟はデージー図書として、日本ライトハウスと神奈川県相模原市朗読奉仕会)ででています。しかくしょうがい者でプレストークなどをお持ちの方に紹介してください
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このページをひらいてくださって、有難うございました。
次号は7月25日に開いてくださるようにお願いします。
N0、35 _ヒトES細胞・バネ指_
KIKIです。
御元気ですか。
あじさいの季節ですね。以前はかたつむりを見たのですが、今はどうなのでしょうか。
あの2本のかわいいツノを思い出します。
*わたしの小さな引き出し
先日ES細胞のことをラジオで放送していました。
神戸のなんとかという研究所でES細胞から人の網膜を作り出すことにせいこうしたということです。
難病”網膜色素変性症“の治療のわずかな先端の道が開けたのです。
今、白内障の手術が簡単にできるようになったと同じく、網膜色素編成の手術が可能なときがくるでしょうか。
研究者たちは日夜研究に励んでくださっているとおもいますが、わたしの生きている間はそれはないでしょう。
孫たちの時代はどうでしょうか。世界の平和が続き軍備費が医学の研究費にまわっていくことを祈ってやみません。
デージー図書で“ES細胞”についてわかりやすく書いてある医学書を探して、聞くことにしました。
“人体再生に挑む(再生医療の最前線)”IPS細胞が再生医療の扉を開く“。
次回の7/11までに聞いておこうと思います。
*2011.3,11金曜日14.46.
被災されたみなさま、いかがお過ごしですか。
*方丈記という古典を聞いていましたら、昔も大地震、大火、竜巻など自然の大災害が打ち続き、人々は飢えに苦しんだようですが、
原子力発電の事故というものはありませんでした。
これからは、何十年に一度か百年に一度か、何百年に一度か、
原発事故が起きることがあるのでしょうか。恐ろしいことです。
小説「もやい舟」より引用」*引用文はとばしてあるところがあります
*代々木
少し前、わたしのパソコンにメールが入った。視覚障害者用の機器を販売している小さな会社からで、弊社と直接関係ありませんが、という前文に続いて、
「視覚障害者GPS歩行支援システム完成報告セミナーのご案内」
とあった。日ごろダイレクトメールには興味を持たないわたしだが、このときは表題だけ読んで(聞いて)すぐ行こう、と思った。メールには次のように書かれていた。
……五年前にはじめた「視覚障害者GPS歩行支援システム」が、このほど多くの皆様のご支援、ご協力により完成しました。そこで、完成を待ってくださっていた皆様に研究成果をご報告したく……。セミナー主催者、静岡県立大学国際関係学部 石川准……
わたしはそのような研究がされていることを知らなかったし、内容の知識もまったくなかったが、セミナーへ行ってみたい気持ちに変わりはなかった。申し込みのファクスを送った。
それから社会福祉協議会へ電話をして、ガイドヘルパーを頼んだ。
わたしはたまたま歩行訓練を受けていたので、指導員にそのことを聞くと、彼は石川先生を知っていた。そして、
「ぼくは直接会ったことはないが、天才的と言っていいほどの頭のいい人ですよ」
とわたしに教えた。
「目の悪い人の中にはたまに、とても頭がいい人がいます。不思議ですよ。石川先生は大学へ入る前に失明されたそうです」
わたしは内心全盲のバイオリニスト、ピアニストを思い浮かべて、心に光が差した。
五月三十日土曜日、初夏というのに肌寒く、小雨が降っていた。雨が酷くならないことを願いながら、わたしはガイドヘルパーのAさんと代々木へ向かった。
会場の代々木ビジネスセンターは代々木駅からすぐで、入り口を入ろうとするとき数人の白杖を持った男性の姿を認めた。
「科学的知識がゼロだから」
とささやきながら、わたしとAさんは教室の前の方に座り、熱心に話を聞いた。
それでもわかったのは外壁だけだった。しかし石川先生の、IT用語や技術用語の日本語の説明は言葉がとても豊富で、適切であった。そして人柄が穏やかで、研究人らしく素朴であった。二時間ほどの説明の間に、わたしの心の中は、清純な賢いもので、拭われたような気がして、石川先生を尊敬する気持ちになった。
わたしが横浜の従兄から教えてもらった予備知識、GPS(global positioning system)……全地球測位システム、人工衛星を利用して自分が地球上のどこに居るか、正確に割りだすシステム。もともと米軍の軍事目的のために開発された。現在では位置情報を得るための手段として広汎に使用されている。自動車、船や目の不自由な人のための位置情報にも使える。
石川先生が研究開発されたもの、また先生の説明でわたしがぼんやりわかったこと。
地球の周りを無数に人工衛星が廻っているが、そこから出てくる電波で視覚障害者が自分の「位置」を知り得る「受信機」を先生は考案した。場所を教える電波は同時に音声化または点字化される。画面のないカーナビのようなものであろうか。
わたしは人工衛星「かぐや」が地上を飛び立ったとき、たまたま見たテレビの画像を思いだした。
わたしにはテレビの画像は白黒のぼんやりとしたものにしか見えないのだが、画面に「かぐや」と球体の星が映ったとき、球体の星を、わたしはすぐに、月だなと思ったが、解説のアナウサーは、「かぐや」から見た地球です、と言った。たちまちわたしの頭の中で球体は青い星に変化した。そして何ともいえない感動を覚えた。なぜ、感動するのであろうか。やはり地球の上に生きているからであろうか……。
質疑応答の時間があった。
参加者はわたしのようなおばさんの姿はほとんどなく、企業からの人、若い視覚障害者、大学生などのようであった。非科学的なわたしは一生懸命に聞いた。まずだれかが立ち上がって、先生の実験の段階で終わらせないで製品までに開発された努力に対して、お礼を言った。それから企業の人たちの専門的な質問の後、一般的な質問になった。質問者は名前とどこから来たか言った。千葉とか茨城の方からも来ていた。
松戸から参加した男性は、現在盲導犬を使っているが、これを使えば盲導犬はいらなくなるか、と聞いた。先生の答えは、
「機械と犬との両方の利点を合わせて使ったらどうでしょうか。今の段階では、これ一つを持って家を飛びだすというわけにはいきません。一度行った道か、事前に家でよく調べて、つまり、かなりシミュレーションが必要です」
というものであった。
わたしは一、二年前、高田馬場の駅近くで会った青年を思いだしていた。彼は白杖を持っていた。横断歩道で何となく言葉を交わしたのだが、
「さっき、チンドン屋についてひと回りしてきましたよ」
と笑い声で彼は言った。
近くにのぼりと太鼓と顔を白塗りした四、五人の人たちがたむろしていた。チンドン屋さんがひと休みしているらしかった。わたしは彼らの賑やかな鳴り物や踊りの後を、白杖を持った青年が付いて歩いている姿を想像して微笑んだ。
「まあ、まあ、楽しかったでしょう」
山の手線の池袋行きの電車をホームで待っていると、また彼に会った。赤羽まで帰ると言う。そして、
「もう少し後ろの方へ」
と彼は言った。電車の何両目と乗る位置が決まっていて、池袋で乗り換えの時、ホームのエスカレーター前に着くと教えてくれた。
電車の中で見ると、彼は分厚い点字図書を抱えていた。赤羽駅北口で左右に彼と別れるまでに、彼は就職試験を受けていて、その返事がこの数日の間に来ることをわたしに話した。
「受かるといい」
そこがすべての出発点のように彼はつぶやいた。さよならを言ったとき、わたしは彼のことを祈らずにはいられなかった。
石川先生は「第一段階の製品は今年の七月に発売されるが、次の段階へすぐに着手します。まだまだいくつもの段階があります」と言葉を結んだ。
わたしが現実にそれを使うことはないだろう。前の席の若い声が、山や海へひとりで行けたらなあ、とつぶやいた。
わたしはそのセミナーの教室から、明るい希望といっていいようなものを心の中に持ち帰った。
雨はあがっていて、代々木の駅前は賑やかであった。
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このページをひらいてくださって、有難うございました。
次号は7月11日に開いてくださるようにお願いします。
N0、34 スカイツリー・箱根
KIKIです。
御元気ですか。梅雨に入る季節、なんだか心身ともに重みを感じます。軽快に毎日を過ごしたいですね。どうしたらいいでしょうか。
*わたしの小さな引き出し
*スカイツリー
先日東京スカイツリーの開通をラジオのニュースでさかんに放送していました。
あいにくその日、東京は雨の一日でした。
わたしの住む団地の9階から晴れた日はツリーが見えるそうです。
二年ほど前建築中のツリーのそばのガラス張りのエレベーターに乗りました。
人々は、わあ、高くなったなあ、と歓声をあげてツリーを見ているようでしたが、わたしはどれがどれだかわかりませんでした。
その時からスカイツリーを見ることは断念しました。
頭の中には旧約聖書「バベルの塔」がでてきていろいろなことを考えています・・・。
また東京タワーが出来たときは3人の子供たちは小学生で、下は幼稚園だったかも、ひいおばあちゃんを連れて、家族6人で、出来立てで混雑るタワーを見物に行きました。
母の母、ひいおばあちゃんは元気そのもので、混んでいたエレベーターを避けてタワーの階段を家族と一緒にあるいておりました。
ひいおばあちゃんが心の中に生きている人はほんのわずかです。
わたしの娘たちは覚えています。とてもユニークな人でした。
*箱根神社
一緒に行ったMさんがおみくじで「大吉」 を引き、わーととびあがって喜んでいました。
絵馬札を買って何やら熱心に書き込みたくさんの絵馬の中にぶら下げました。
願い事がたくさんたくさんあるようです。
善良で賢いMさんを幸運の女神が喜んで捕まえてくれるでしょう!
後日パソコン講師のAにそのことを話すと彼は「ぼくは大凶をあててみたい」と言いました。
少ない確率をあてるのなら、たしかに大吉より大凶の札の方が少ししかはいってないかもしれません。それとも「大凶」なんてお札箱にも、人生の中にもはいっていないかもしれませんね。
それとも人生は大凶ばかり・・・。
A講師が言ったことで感銘をうけている言葉があります。
彼はわたしよりかすかに目がよいかもしれない。
白杖を持って自宅から教室にひとりで通っている青年講師です。彼は言いました。
「画面もキーボードも見ようとしないのです。見ないのです。ぼくは目をつぶってパソコンをうっていますよ・・・」
ああ、そうでした、文字がどうやっても見えないのに、無理してみようとして背中を丸め、目をPCに近づけ、無理してみようとしていました。
そして見えないことに絶望して、目を疲れさせています。
目をつぶって、見ないで姿勢をただし声のみ聴いてパソコン操作ができるようになればいいのです。
「目をつぶってパソコンを操作する」という心の準備、決意をわたしはAから教わりました。
*2011.3,11金曜日14.46.
書くのは恥ずかしいことですが、わたしは東北地方の復興宝くじを買いました。「復興復興」という宝くじ売り場の呼び声につられて、わずかな寄付でもできればいいと、20枚も!買ました。そしてその20枚をなくしました・・・。無言です。
*小説「もやい舟」より引用」*引用文はとばしてあるところがあります
赤羽
肉体が障害者となっても、心はそれに追いつかない……。赤児の成長がその一瞬はわからなくても、身長の伸び体重の増加が目に見えるように、わたしの目の悪化もその一瞬はわからないのだが、三か月半年が過ぎると悪くなっているのがわかった。
我が家から十分ほどのところにマッサージ施療所があった。
最近そこへ行くようになった。
マッサージ師は十五歳のとき事故に遭い、その後全盲になったという人で、八十歳になる。しかし話し方が若々しく、民謡とカラオケをやっているというだけあって声に艶がある。人柄も穏やかである。よい妻子に恵まれているようであった。
彼は目以外は健康で、よく出歩く。若いときは杖を頼りにかなり無茶なひとり歩きをしたそうだ。結婚してからは妻が付き添い、今はガイドヘルパーを利用しているという。
彼はかつて長いこと視覚障害者の相談相手になっていて、盲人××協会などの役員も引き受けていた。
「何でも話してくれていいんですよ」
と言ってくれた。それで筋肉のこりと心のこりを取るためにわたしは、マッサージを受けながら安心してとめどもなく愚痴をこぼしたが、あるとき彼は笑みを浮かべながら言った。
「……そうは言ってもKさん、ぼくは五十年以上も真っ暗な世界にいるんですよ。ときどき夜と昼がわからなくなるときがある」
わたしは、はっとした。そしてよだれのような愚痴を止めた。それ以来、愚痴の中に理性の粒を少しでも混ぜるようにと心がけている。明暗の分からない人に、物の形がぼんやりとはいえ分かるわたしが、こぼし話をしているのであるから。
マッサージをしながら彼はわたしに言う。
「視覚障害者の仲間に入って交流をしなければ、心のやすらぎは得られない」
黙っているわたしに、
「団体がいくつかあるから、どこかへ入っていい人と知り合えればいいのだが」
とつぶやくように言う。それでもわたしはええ、とかまあ、とかあいまいな声を今は、出すだけである……。
また、目のことで理解されないという不満を心にためていたが、最近、相手が理解してなくてもいいのではないかと思うようになった。対面している相手の不便さを感じ取る心、想像する心があって、何気なく相手の「不足」を補う思いやりの心があれば、それでいい。充分であると思うようになった。
わたしの家は赤羽駅から十分ほどのところにあり、家の周りは静かである。桜並木が五分のところにある。小鳥の鳴き声、蟬の声、虫の声が家の中にいても聞こえて、季節感を味わえる。わたしの目は花の色を見なくなったので、庭に咲く花々にわたしは冷淡である。わたしの目から色彩がだんだん消えていく……。
赤羽駅周辺は七、八年前から急速な発展をとげた。日曜日などの歩道は、左右に人が行き交い、自転車、乳母車、キャリーバッグが行く。わたしはその中をゆっくりと杖を片手に歩いている。いちばん怖いのは自転車である。
最近、ふと気がついたことがあった。
それは道を歩くのも、わたし一人のときは自然に他人の世話になっている、ということである。何か尋ねることができる人間がいなければ、わたしは道を歩くのがとても不便だ。仮に道を犬猫だけが歩いていたらどうなるだろう。自然に人間を頼りながら、わたしは歩いているのであった。自然に他人を頼りながら、他人の支援を人知れず受けながら生きている。「支援」がなければ生きられない。しかしそれは、健常者でも同じことではないかとも思う。ただわれわれは受ける支援の量が少し多いのである……。
障害者の存在から、健常者は何も得るものはないのだろうか。
「障害者」と「健常者」、この区分けは、なんと嫌な言葉だろう。わたしは「健常者」という言葉の方を嫌いになった。嫌いになった理由は、時たま差別意識を持っている人に遭遇するためであろう。また「障害者」の方に多く身を寄せているためだろう。健常者と障害者とを分ける前に、まず人間がいる、と少々突っ張って言ってみたくなる……。
先日、家でごろごろしながら、ラジオを片耳で聞いていたら、「心のバリアフリー」という言葉がふたつの耳に入った。わたしは起き上がった。
東大の江藤先生という方の話で、道の段差などの外的なものではなく、人間の本来持っているであろう差別意識、心の障壁をなくそう、また青年を(学問的に、そうあるように)教育しよう、そして、彼らを世の中の中枢へ送りだそう、というような話をされていたと思う。そのようなプロジェクトを、今回大学が立ち上げるという話であった。
早速わたしは安田講堂へ第一回のフォーラムを聞きに行った。我が家から南北線の赤羽岩淵駅までは徒歩十分ほどで、東大前駅までは乗車は十五分くらいである。
福(※)福島智先生という方が「教育のバリアフリーが社会を変える」という基調講演をされた。先生は九歳のとき失明、十八歳で聴力を失った「盲ろう者」の方である。
わたしは講堂の前列に座っていたが、福島先生の全体の姿がほんやり見えるだけであった。顔かたち、貴い目も耳も見えなかった。母上と考案されたという指点字の方法も見えなかった。話す声は少し震えて、反響しあっているようで、わたしは講演の言葉も聞きわけられないところがあった。
それなのに、わたしの心は先生に吸い寄せられていた……。
わたしなら、苦悩が泥にまみれて落ちこんでいるであろう。先生は苦悩、あるいは絶望の中からその高い知性で学問の道をきりひらいたのだ。
わたしは先生の存在そのものに、戦慄を覚えた。身が引き締まるようであった……。
※ 福島智(東京大学教授。盲ろう者として日本初の大学進学、世界でも希有の大学教員となる。)
(二〇〇九年夏)
* (もやい舟はデージー図書として、日本ライトハウスと
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このページをひらいてくださって、有難うございました。
次号は6月25日に開いてくださるようにお願いします。
N0、33 _食事会・遮光めがね
KIKIです。
時間はゆったり変わらず流れているようでもあり、見えないところで激しい変化をおこしているようでもあります。
ふと気がつくとわが身の変わり用・・・・・。完全なるおばあちゃん、何にたとえるべきか・おばけ?・・。
*わたしの小さな引き出し
食事会 わたしは地区の食事会というものに出るのが初めてでした。
人中に出るのは平気でしたが、今、手元の料理が見えないので、こぼさないでうまく食べられるだろうか、とても不それにはそこを紹介してくれた安でした。
きっと視覚障碍者に接触したことのないひとにはわからない不安と緊張です。
しかしわたしはその不安の中へ落ち込んでしまうのも嫌いで、あえてその不安の中へ身を投じる決心をしました。
人をとても頼れると見極めたからでもあります。
会場の外で彼と待ち合わせ、300円の会費の支払い、飲み物の希望を言って食卓の一隅に彼と並んで腰掛けました。
メニューはグリーンピースごはん、味噌汁魚の煮つけ(ほとんど骨がない)浅ずけのつけもの、デザートにアンニン豆腐でどれも大変おいしかったです。
ボランテアの人たちが無償で作ってくれたとおもうので、余計においしいのです。
こぼしてはいけないと思って、ふきんを2枚、大きなスプーンとホーク、マイハシ を持参してましたが出さず仕舞いでした。
まわりの人たちとも雑談して帰宅しました。
食事を作って、テーブルの上に配置してくれることなどボランテアの方々に感謝です。
月に一度とはいえ、継続は大変なことで、ちそうさまでした。
おいしかったとわたしは大きな声でお礼おを言いました。
*遮光めがね
2008年に作った遮光眼鏡が目の悪化で、あまり役にたたなくなりました。
どのような精巧なレンズを使用しても矯正不能な目になりました。
前回同様、東京都生涯センターで測定をしてもらい、あたらしく作ることになりました。
わずか1ミリでも見えるようになりたいのです。
区の福祉化から東京都へ検査を申し込みます。
約1か月先です。
そしてその日、2時間も待たされました。
そして結果は一週間から10日後に区の福祉課に知らされるということでした。
しかし、わたしは検査の結果に不満で、説明不足で、再検査をを依頼して、また一週間後ということになりました。
度のないレンズか少し度を入れるか、微妙なところで、私自身にもなかなか決断できません。
*週末の箱根旅行のチケットが買ってあります。往路新宿ロマンスカー箱根湯本。
帰路小田原から湘南ライナーのグリーン席に乗ります。ちけっとは大切にしまってあります。
*2011.3,11金曜日14.46.
仙台市内に住んでいた孫娘は小学校を卒業して東京の中学校へはいりました。
小学校5年生の弟と、彼らを見ているといかにも地震慣れしている感じです。
小さな地震が度々起こる中で、祖母のわたしに自身の起きた時のことを指導的な言葉で行ってくれます。
直接的な被害に一家は遭いませんでしたが、長期的な風呂のない生活、エレベーターの動かない生活などなど体験した彼らが、地震をどのように抱え込んだ大人になるでしようか。
小説「もやい舟」より引用」*引用文はとばしてあるところがあります
赤 羽
わたしは永年赤羽に住んでいて、地元の道は掌の中の地図のようによく分かっているので、ひとり歩きをすることが多い。
最近近くの小さな信号で見知らぬ人から、
「青ですよ」
と声をかけられることが多くなったように感じる。わたしが高齢で白杖を頼りにひとりで歩いているせいか、信号でとまどっているせいか、信号の色が見えない不便さを人に話すのが自然に伝わっていくせいか、などと思ったりする。
「ありがとうございます」
とっさに大きな声で返礼の言葉が出るようにと心がけてはいるが、声が出ないときがある。それは何かに気を取られているか、そうでなくてもとっさに人は適切な言葉が出ないときがあるようだ。
しかし、お礼の言葉が相手に伝わらないと感じるとき、わたしはとても残念に思う。再びその人にどこかで会っても判別ができないからで、お礼の気持ちがわたしの数センチのところで、ぷっつり切れてしまうように思うからである。
以前田舎の法事で、そこに集まった人の中に、その数年前わたしに手打ち蕎麦をご馳走してくれた人がいたはずであった。彼女は昼食に自宅で蕎麦粉をこねて薄く伸ばし、大きな庖丁でコトコトと刻んで、蕎麦を作ってくれた。彼女はわたしが数日滞在していた遠縁の家の近所の人で、茹で立ての蕎麦を山盛り抱えて昼食に運んできてくれた。祖母の代の親戚の人で、わたしには日ごろ全く付き合いのない遠縁のまた遠縁の人であった。
まさしくそれは善良な人の情のこもったもてなし料理で、蕎麦好きのわたしは遠慮を忘れてお腹いっぱい食べた。
法事の席に彼女が来ていれば蕎麦の礼が言いたかった。だがわたしは名前も顔もよく覚えていない。覚えていても見えない。だから法事に参列していたかどうかも、はっきりとわからない。
先方からは見えたであろう。しかしわたしは別の親戚のグループの中に隠れるようにしていたから、向こうから声をかけてくる気遣いはなかった。
わたしはまだそのころ、障害者の「成り立て」で、「見習い」というようなものであって、親類の中で「障害者」として堂々としていられなかったのであった。そのために不義理をした。
蕎麦の婦人は栃木県の「真名子(ま な ご)」という所の人であった。
五年ほどの間にわたしの目は悪化していった。
銀行へ行って、ATMでお金を下ろそうとした。ところが画面の文字が薄くてよく見えない。今までは普通に下ろしていた。前回下ろしたのは三週間前で不安を感じなかった。今回は台を替えても、数字も文字も薄くなっていた。出金を諦めて、近くのスーパーへ行って気分転換を兼ねて買物をした。
その帰りまた銀行へ寄った。今度はATMの画面がかろうじて見えたのでお金を下ろすことができた。
一週間ほどしてまた銀行へ行ったが、ATMの画面の数字は見えなくなっていた。機械をいくつも替えてみたが、駄目だった。目の方が疲れているのかもしれない。わたしは喫茶店へ入ってコーヒーを飲み、目を軽くマッサージなどして時間を潰し、また銀行へ行ってみた。だが、ついに画面の文字は現れなかった。
明るい店舗や薄暗い店舗がある。翌日わたしは何行もの店舗を回ってみたが、とうとう文字は見えなくなっていた。
いつ、視神経が侵されていくのか、わたしは知らない。わからない。ミクロの世界の中で神経細胞は死んでいくのだろう。死んだら決して生き返らない。見えなくなった文字は、再び見えるようにはならない。
ATMの画面が見えなくなったとき、わたしは現在の、未来の、すべてに対して「駄目」かな、という思いを抱いた。
あこがれのひとり旅も、読書三昧も消えた。もっともっと深い、わたしを立てている心の中の支え棒そのものが倒れた……。
* (もやい舟はデージー図書として、日本ライトハウスと神奈川県相模原市朗読奉仕会)ででています。
しかくしょうがい者でプレストークなどをお持ちの方に紹介してください
*「もやい舟」第四作品集 短編小説4編とエッセイ1編が入っています。
著者片山郷子 定価1575円 発行所鳥影社 発売中
*ネット、書店、図書館などでお求めください。
- もやい舟 (季刊文科コレクション)/片山 郷子
- ¥1,575
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もやい船の**点字訳の本が出来ました。!!点字を読める方に無料でお貸しいたします。
このページをひらいてくださって、有難うございました。
次号は6月11日に開いてくださるようにお願いします。
前回パソコンの故障で発行が遅れましたことを心からお詫び申し上げます。