豊橋市つづきです
豊橋は古くから東海道の主要な宿場町であり
戦国時代に吉田城という城が築かれて
城下町でもありました。
今は一帯が豊橋公園となっていたり、
市役所・美術博物館などがあります。
城の中心、本丸跡へ
石垣や土塁、空堀などはよく残っていますが
元あった建物はひとつも残っていません。
が、奥のほうに・・
昭和29年に復元再建された
鉄櫓(くろがねやぐら)
という建物だけが建っています(名前カッコいい)。
ただし正確な資料が残っていないので
“模擬的な復元”であり、元の建物と同じとは言えません。
吉田城には“天守”という名の建物はありませんでしたが
この鉄櫓が、かつてあった9つの櫓のなかで一番大きく、
建物自体の格や建っている立地的にも
事実上の天守と言える建物だったと思います。
(当時は幕府に憚って、「天守」と呼ばずにあえて「櫓」という名前にしていたことが、地方の藩の城ではよくあったようです)
城の裏手はすぐ大きな川になっています
三河湾からの舟運の大動脈としても重要な
この地域一番の大河川“豊川”
この感じは、以前訪れた犬山城に似てますね~
さて、ではでは・・
石垣をよく見てみましょう。
この城では“チャート”という岩石がよく使われていました。
チャートは1億年くらい前の海底で出来た岩石です。
近くで採石できたようですね。
とても硬い石ですが
こんな感じに
縞状に割れたりして、
思うような形には成形しにくい石だと思いますが
上手いこと積んであります。
これらの石を使ったのは
吉田城を大城郭に造り替えた、
一時期城主となった池田輝政(照政)です。
池田輝政はその後、姫路城を築城します。
高さが2m以上ある大きな鏡石!
これもチャートです。
でも、違う場所をみると・・
こちらの石垣の石は種類が違っています
この石垣では“花崗岩”が使われています。
花崗岩は、火山活動によって出来た岩石です。
どうやら江戸時代に入ってから石垣を直した所には
花崗岩が多く使われているみたいです。
これらの岩石は三河でもちょっと離れた所で採れますが、
吉田城で使われた花崗岩の石材は、
名古屋城の石垣を造るために用意した石材の余りが使われたのではないか?
という説があるそうです。
とても興味深い城でした!
(つづく)