悩んだ末の決断(SONY SS-G7 スピーカー購入) | kkのブログ

悩んだ末の決断(SONY SS-G7 スピーカー購入)

とうとう、ポチってしまった。我慢が出来なかったと言えば聞こえが良いが、実際は意志が弱くそしてまたこのスピーカーを巡ってああでもないこうでもないとバカバカしいような試みを色々するのだろうと思うと、今この場で懺悔したい気持ちだ。

とは言うものの、オーディオ人の一番の楽しみというか結婚に相当する一大イベントともいうか、スピーカーの変更とはそれ位大きな決断だ。この前のブログでも書いたが、現有のボストンアコースティックリンフィールド300Lがウーハー部から異音が出るようになり、メンテナンスも考えたが、全く違った方向としてSONYのSS-G7の購入を決意したのだ。購入に至るまでの悩んだ時間の楽しいこと。

それにしても近代スピーカーの旗手とまで言われたリンフィールド300LからSS-G7とは方向転換も甚だしいと言われそうだが、理由は色々とある。実は、白状するが私はSS-G7は一度も音を聴いたことがない。ましてや普段の主張であるホーンスピーカーでなければ出ない音があるという方向とも全く逆である。小型ハイスピードな低音の魅力を訴えていたのに、38cmのしかも重そうな振動板の旧世代のスピーカーである。

さらに白状するが、最近Yahooオークションの落札価格が高騰していたので、諦めて保証も付くということで結構良いお金を出して中古オーディオショップから購入することにして本日契約をしたのだ。実は今日までYahooオークションでSS-G7の比較的状態の良い機種が出品されていたのだが、どうせ高騰して割高になってしまうだろうと入札を早々に諦めたのだが、先程確認すると何と落札価格は¥17,600也。普段の相場の半分以下といったところか。正直、くやしいやら落札した人が羨ましいやら。私がいくらで中古オーディオショップから買ったかはちょっと言えないが、ショックを受けたのは間違いない。まあ、古い機種なので中古オーディオショップの安心を俺は買ったんだと自分で自分を慰めるしかない。

さて、SS-G7を選んだ理由だが、まず見た目でデザインが気に入った訳ではないことは確かだ。さらにこれは理想のスピーカーを求めた結果でもない。どちらかというと、手間を掛けずにソコソコの音が出てくれることを期待しての選択だ。しかしサブスピーカーという心算は毛頭無く、メインの座に据えることを考えている。リンフィールド300LはSS-G7が気に入れば場合によっては売却して手放すことも考えている。普通の人に言わせれば逆の選択ならあるだろう。大型で場所を取るSS-G7から小型でも高性能な近代スピーカーに置き換えるなら話は分かりやすい。しかし私のやろうとしてることは丸っきり逆行している。それで良いのだ。私がSS-G7を選んだ最大の理由が、日本の大手電機(家電)メーカーが本気でスピーカーを作っていた時代の製品を使うというのが一つの大きな目標だからだ。

候補は色々有ったが、まず玉数が多い必要がある。優秀な機種でも玉数が極端に少ないのでは情報も少なく、メーカー修理が利かない旧機種では万が一の故障の時にもジャンクからの保守パーツの入手などもどうにもならないので注意が必要だ。OTTOのSX-P1が随分と魅力的であったが、残念ながら候補から外した。他、東芝やシャープの機種もやはりあまりにも台数が少なく、技術的な魅力はあるにしてもこれもパスした。オンキョーやダイヤトーン、パイオニアにも良い機種もあるが、昔からこれらのメーカーの音があまり好きでないのと、良い機種は馬鹿みたいに高額な金額で取引されているのでやはりパスした。外国製の機種も候補に考えたが、こちらもJBL等はユニット単体では安く手に入ったとしても組み上げが面倒でそれをやるなら初めからゴトウユニットに着手するということでこれらもパス。もちろん完成品の外国製はバカ高くて候補外なのは言うまでも無い。有名なところではYAMAHAのNS-1000Mがあるが、商品価値以上に程度の良くない製品が氾濫していて、またあまりにも胡散臭い部分が多くて触手が伸びなかった。またNS-1000Mは年代の割りに痛んでいる機種が多く、ベリリューム振動板に魅力は感じるもののメーカーとしての製品品質(設計品質)に疑問があるのも事実だ。

そうやって色々な機種が候補から外れ、最後に残ったのがSS-G7という訳だ。1976年当時、1台¥128,000円という高級機種でありながら1万台以上が売れたと言われる名器で、現在の中古相場も若干上がり気味だが、それでも妥当な価格の範囲だと思う。1万台も売れた為、発売から35年が経過した今でも中古市場でもよく見かけ、ユニットも外部からの物理的な破損をしない限り健全な物が多いようだ。ネットワークも比較的良質な部品が使われており、エンクロージャーも頑丈で立派なものである。開発責任者がダイヤトーンのモニタースピーカーとの関わりが深く私がブログの中で何度も取り上げた「ハイファイスピーカ」の著者としても有名な中島平太郎であるのも大いに影響を受けた。

SONYは駄作のスピーカーを量産することで有名だが、時に間違ったようなこういう機種をポッと出してくるから面白い。まあ、天下の中島平太郎がSONYという巨大資本をバックにスピーカーで好き勝手やって作った製品がSS-G7とも言えるので期待は大きい。ましてや日本だけでなくこのスピーカーは世界でも売れたということで、音質の良さを多くの人が認めていたことも間違いない。

うっすらとした記憶だが、SS-G7の開発にあたり良い音のスピーカーを作るには良い音を知る必要があるということで、技術者に良い音を身近で聴かせる為にベーゼンドルファーだったかスタインウェイのグランドピアノを購入したとか、スピーカーのコーン紙を漉く水を全国から求め音を聴いて最終的には山梨の水が良いと判断したとか、色々な逸話があったと思う。オーディオが産業として萎んでしまった今では考えられないが、当時は悠長な時代だったこともあり、優れた技術者を大勢使って本格的なオーディオの研究がされていたのだ。その成果の結晶がSS-G7というスピーカーだと思うのである。YAMAHAのNS-1000Mがヨーロッパの放送局で正式モニタースピーカーとして採用されたことを宣伝文句にしてベリリュームというハイファイ素材の目新しさもあり、爆発的に普及したのと比べると、如何にもSS-G7はユニット構成からしても地味での宣伝としてもインパクトが弱いが、ありとあらゆる素材が溢れる現代において振り返ると、素材による性能は結局は音質の一部でしかなく、一般的な素材であってもキチンとコントロールすることで充分良い音が出ることをキチンと説明しているSONYの方が、余程良い音がしそうであると個人的には思う訳である。結局、モニタースピーカーだから良い音がするというのは幻影でしかなく、レコーディング用モニタースピーカーならまだしも、放送局のモニターは音質の良さだけでない部分での要望が大きいということも今なら当たり前に多くのオーディオマニアが知っているが、当時は「モニター」という言葉に殊更マニアは弱かったのだ。NS-1000Mの牙城は崩せなかったが、この地味なSS-G7がここまでセールスが好調だったのは、一重に音質が良かったからだと私は想像する。

無論、35年前のスピーカーであるのは事実なのでその間の技術進歩があるのも事実だろう。ただ、先のホーンスピーカーの音源位置を考えていく過程で、この頃を境に優れた測定装置が安価に入手できるようになって、設計が高度化されるのと共に、イタズラに無意味な素材競争に各メーカーが邁進した挙句の果てに肝心な耳で聴く評価がドンドン疎かにされ、結果として音がドンドン悪くなって行ったのではないかと思うのである。

35年前の製品であっても良い音として設計された機種は、今でも立派な良い音で鳴るような変な自信があるのだ。ちょっと大袈裟かもしれないけど、そういう失われた音を今に復活させてみたいのだ。だから音を聴かないで買うという暴挙に出た訳だが、果たして商品が届いてもこうやって平然とブログを更新していられるだろうか・・・。

来週の日曜日に商品が届くことになっている。いまから第一声を何で鳴らそうか悩んでいる。こういう時間はたまらなく幸せだ。何故か、SS-G7を注文してからリンフィールド300Lの音が良くなったように感じられる。狭い部屋なので何台もスピーカーは並べられないのだが、それぞれに捨てがたい魅力があったらどうしようと、今から無駄に思案しているのである。