東京消防庁のハイパーレスキュー隊に亡国の未来を見た | kkのブログ

東京消防庁のハイパーレスキュー隊に亡国の未来を見た

東京消防庁のハイパーレスキュー隊の記者会見を見た人は多いと思う。隊長の一人が「残された家族に本当に申し訳ない」と言って涙ぐんだのがとても印象的だった。

一歩間違えれば死と隣り合わせの放射能という見えない恐怖の中で隊員の安全を守り無事に家族の下に帰さなければいけない責任と国家国民の危機を救う為の使命を帯びての活動は、どれほどの重圧だったかと思う。

ハイパーレスキュー隊は普段から高度な訓練で鍛え上げられた少数部隊であり、どんな危険な現場にも人命救出という使命の下、飛び込んで行く強靭な精神力をも兼ね備えた精鋭の集まりであるが、そういう人達ですら経験の無い恐怖との戦いの中での作業はどれほど困難なものであったかと思わずにはいられない。それが、あの記者会見の「残された家族に本当に申し訳ない」という短い一言に凝縮されていたと思う。

私見だが、こういう人達がいるからこそ、日本はまだまだ大丈夫だと思わずにはいられない。無気力の若者が溢れ年金問題など自国の未来に希望が持てない中でも、それでもそんな日本の未来の為に家族の幸せの為に命を掛けて戦った人達がいる。

福島第一原発の中に残っている50名の作業員や多くの自衛官、そして各地の原子力発電所から駆けつけているといわれる志願の作業員の方々、原発のメーカーである東芝や日立の技術者も自らの危険を顧みず現場に入っていると言われている。何度も言うが日本も捨てたものではない。彼らの活躍で必ずやこの困難な局面は打開できると私は信じている。

何時の日か東北巨大地震と原発事故の傷跡から日本が立ち直り、遠い未来の子供達が社会の中核を担う時が来たら、この時の使命を帯びて任務を全うし日本と世界を危機から救った人々がいたことを思い出すことだろう。そうやって歴史や文化は形成されていく。未曾有の大災害で大きな犠牲が出たのは悲しむべきことだが時計の針は過去には戻せない。我々が今しなければならないことは確実に未来に向かって時計の針を進めることだ。

最近、何故これほど多くの犠牲があったのかと意義を良く考える。この多くの犠牲を無駄にしないためにも、今の子供達は惨状に目を背けずしっかりと見て目に焼き付けておいてもらいたいのだ。そしてここから日本が立ち直る姿を我々の世代で担い子供達に見せなければならない。やがて我々の世代が引退し次の世代にバトンが渡るとき、この困難に立ち向かった大人たちのことを子供達には思い出してもらいたいのだ。魂の遺伝子とでも言うべきか、これが文化であり伝統であり、愛国心となって行く。

今の子供達には、何故、あそこでハイパーレスキュー隊の隊長が涙ぐんだのか理解出来ないかも知れない。けれど重要なのはそれを見て覚えておくことだ。あの記者会見を見て自分の親達までが涙ぐんだ姿を忘れないでもらいたいのだ。小さな波紋かも知れないが、遠い未来には大きな流れになることもある。ターニングポイントのようなものがあるとすれば、今まさにそういう時かも知れない。

この国は今、大きな舵を切ろうとしている。そこに腐敗した政治など無用だ。