筑豊の炭鉱画が日本ではじめてユネスコの「世界記憶遺産」に登録されました。
私の故郷もこの筑豊です。筑豊で生まれ育ったわけです。
私の父親も、炭鉱画を描いた山本作兵衛さんと同じように炭鉱につとめていました。もちろん、世代はいくぶん違います。
みなさんは、「タンジュウ」という言葉をご存知ですか。漢字にすると、「炭住」と書きます。
炭鉱労働者の家族のための社宅(住宅)が、炭住です。平屋の長屋ですね。
私も両親及び姉と一緒にその炭住で生活をしていました。家賃や水道光熱費は、すべて会社が負担するので日常の最低限の生活をすることができましたが、低賃金のため決して余裕のあるものではありませんでした。
そもそも炭鉱労働は、常に危険と隣り合わせの過酷な仕事です。私も幼いころ、石炭を掘るための坑道(トンネル)で落盤事故がおき、死傷者が出た知らせを耳にした記憶が何度かありました。
私の住まいである炭住のすぐ横にボタ山があり、いつもボタ山で夕焼けを見ながら散歩をしたり、近所の仲良しの悪ガキ仲間と色んな遊びをしたものです。
ボタ山は私にとって、庭のようなものでした。
下の写真は、私が通った中学校の卒業アルバムから引用したものですが、校舎のすぐ背後にボタ山がありますね。
今では、そのボタ山も造成されて公園に生まれ変わったり住宅が建ったりして、当時の面影はありません。
当時を振り返るといつも身近にボタ山がありました。
今、そのボタ山と共にした日々の暮らしを今回の「世界記憶遺産」の登録をキッカケに思い出し感傷的な気持ちになっているところです。