グアム(GuamもしくはGuahan)は、太平洋の島である。1898年の米西戦争からアメリカ合衆国の領土になった。1941年から1944年までは日本軍が占領統治し、「大宮島(だいきゅうとう[1])」と呼ばれた[2]。経済面では、アメリカ軍と日本からの観光客が重要な位置を占めている。日本語では「グァ・ム」、「ガ・ム」と発音されることが多い[3]が、近年は「グ・ア・ム」の発音も主流になっている。
グアム島に人類が住み着いたのはB.C.3000年~2000年頃で、東南アジア系民族チャモロ人がマレーシアやインドネシア、フィリピンから航海カヌーに乗って移住してきたことに始まると考えられる。そのことはラッテストーンと呼ばれる古代チャロモ遺跡が残存していることでわかる。
1521年にポルトガルの探検家マゼランがヨーロッパ人として初めてグアム島に到達。[4]。1565年にレガスピが来島してスペインの領有を宣言し植民地となり、フィリピンのマニラとメキシコのアカプルコを結ぶ航路が1568年に開かれ、スペインの大型船ガレオン船が太平洋を行き来するようになり、1年に1度6月ごろロタやグアム周辺に現れ、チャモロと物々交換を行った。 1668年にスペインのカトリック教会使節サン・ビトレスを中心としたイエズス会が布教活動のため訪れるようになった。先住民はチャロモであるが、サイパンを含む北マリアナ諸島から移住させられたチャモロが多数いた。 しかし、宣教師が祖霊崇拝を始めとするチャモロ人の伝統的な習慣や文化を厳しく禁止したため、不満を持つチャモロ人も多く、その不満は1669年のスペイン・チャモロ戦争として現れた。キリスト教に反抗的な村は全て焼き払われ、10万人いたとされるチャモロ人が5000人以下に激減した。そして、以降は目立った反抗は無くキリスト教文化が定着するようになったといわれている。
1898年にアメリカとスペインの間で勃発した米西戦争にアメリカが勝利し、同年のパリ条約によりグアム島はフィリピン、プエルトリコとともにアメリカ合衆国に割譲された。
1941年12月8日に太平洋戦争が勃発。日本海軍は真珠湾攻撃の5時間後(日本時間午前8時30分)、グアムへの航空攻撃を開始した。同月10日日本が占領したが[5]、1944年8月に米国が奪還(グアムの戦い)した。以後、戦争終結までアメリカ軍の日本本土の爆撃拠点として活用された。
1950年にアメリカ合衆国議会により「グアム自治基本法」(Organic Act of Guam)によって主権に制限を受け、「アメリカ合衆国自治的・未編入領域 (organized unincorporated territory)」という政治的地位となり、スキナーが初の民間人知事となった。現在まで米軍の太平洋戦略上、重要な基地のひとつとしてグアム島は活用され、近年は日本からの観光客を中心とした観光地、リゾート地として発展を遂げている。
改名問題 [編集]
準州知事フェリクス・カマチョは2010年2月15日、演説の最後に、グアムの呼称を以前のGuahanに変えるように呼びかけた[6]。同日、カマチョは島名を変更する政令を出した[7][8]。カマチョは同時に自らを「Guahanの知事」と呼び始めた[9]。
歴史家のToni Ramírez(グアム公園保養局文化財保護所)によると、Guahanとは「我々のもの」("we have")もしくは「所有している場所」("a place that has")[6]を意味し、島の川や天然資源を指して使用した。川や天然資源はミクロネシアの他の諸島では比較的希少なものであったと言う[8]。
Guahan或いはGuajánは、1521年から1898年の間に島名として広く使用されていた[6][10]。しかし、グアム、そしてGuahanという名前は両方とも歴史文書や地図に数百年も遡って見出されると言うのが、Peter Onedera(グアム大学チャモロ語教授、歴史家)[9]による見解である。初代グアム知事を務めたRichard P. Leary提督は1900年、「グアム」を採用したが、それは彼が「グアムの小島」と読んだからである[8][9]。
知事2期目を務めるカマチョ(グアムにて3選は出来ない)は2011年にはグアム政府から引くことになる[9]。彼は演説の最後にて、改名は知事の遺産として基盤とし、歴史上自分が改名路線の固定化を為すべき立場にある旨を説明した[9]。彼はGuahanへの改名が明確な独自性とチャモロ文化の遺産を再認識させることになるだろうと論じた[8]。カマチョの政令は次のように明確に述べている。「チャモロ語の使用を広め、歴史的、文化的な連携を島にもたらすよう邁進しよう」[9]。政令は今回は地方のグアム政府機関、公式のやり取り、商業取引、標識にのみ適用される[9]。しかし、カマチョは地域社会の指導層、財界、議員達にGuahanの名を同じように採用させることに関心を持っている[9]。カマチョは更に、法的にも改名を実施するためグアム立法院で法案331号を提案すると発表した[6]。政令には政府機関が変更する際の猶予期限がないが、これは景気後退が長引いているため、準州政府の時間的、金銭的負担を軽減するためである[9]。改名は新しい便箋を発注する際など都合のよい時になされるべきだと言う[9]。
変更案に対する反応は議員と住民共に複雑なものだった。立法院のJudith Won Pat議長は、改名がグアムにてこれまで認識されてきた独自性の喪失を、回復するのに役立つことに留意した[8]。彼女はメディアに「これは人々が自分達が何者なのかを知ろうとし、彼らの独自性を見つけようと望む世代が世界中に広がっているということです。これはとても重要なことであり、グアムでも同じです」と語った[8]。作家で元立法院議員のKatherine Aguonは政令が出る少し前にチャモロ語-英語辞典を出版したが、改名を支持する一方で、どんな提案でもグアム有権者の信認を得なければならない旨を強調した[9]。
グアムの名が改名されると、経済的な影響が考えられる。Eddie Calvoは2010年の知事選の共和党候補者であるが、政令を支援するためには標識、文書、広告の改名の際の費用を考慮しなければならない点に注意を向けている[8]。グアム政府観光局(Guam Visitors Bureau,GVB)は、何百万ドルもの予算を消費して主要な観光客やビジネス客に対してこの島の現在の名前、グアムを商標として使い、改名問題が惹起した頃に新しいキャンペーンをはじめた。そのキャンペーンでは「私たちはグアムです」("We Are Guam")と銘打った[11]。全ての道路標識と歓迎の看板を変更する費用は文書や観光キャンペーンと同じように見積もる必要性が指摘されている[11]
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