SEX&DRUG&ROCK'N'ROLL&VIOLENCEな日々を送っていた時代のある俺が言うのもおかしな部分があるがちょっと書きたくなったので。


というかライブハウスで酒飲みながら暴れていた時代が懐かしい。


あの頃は薬漬けだったなあ。


今はもう出来ないな。




『暴力』には物理的な物や言葉の暴力、色々有るが共通して思う事が有る。


『痛み』を知らない人が振るう暴力は只の破壊活動だと思う。


今の若い人達は痛みを知らない人が多い。


過保護な程に守られている事もあるだろう。


また、ヴァーチャルな世界で暴力の部分とその快感等だけを知り、リアルな痛みを知らない人が多い事もあるだろう。


俺もヴァーチャルな世界は嫌いではない。


なのでヴァーチャルな世界を否定はしない。


むしろそこでしか味わえない事もあるだろう。


だが、リアルも大切にしたい。


痛みを知らない暴力が殺人や自殺に追い込む程の破壊活動を起こしている。


そもそも『暴力』という表現について肯定的な事を書いている事が間違っているのかもしれないが。


俺は俺の解釈する暴力については否定しない。


痛みを知らないから自分が責任の持てる範囲で暴力を振るえないのだと思う。


俺は殴り合ったりする事で一時的でも呪縛から解き放たれた。


それはここまでならという自分の責任の下でだが。


また殴られてもそれですっきりする事も有った。


なので今の暴力は怖いと思う。


『力』を持ってそれを振るうにはその『痛み』を知らないと『力』を振るう資格は無いように思う。


世の中にはSもMも居る。


俺が思う『暴力』で何かを得る人も居ると思う。


その度合い、種類は様々だと思うが。


そういう俺も未だに『力』の飛び交う世界に身を置きたいと思う事もある。


その中では生きている事に疑問など持たずに居られるからだ。


それは自分も『力』を持っている場合だけなのかもしれないが。


言いたい事は、『痛み』を知らない『暴力』には反対だという事だ。