俺は運よくまだ生きている。
本当ならば今頃生きてはいなかっただろう。
大事故も何度も経験したし、毎日の処方箋がODクラスの時に副作用で死ぬ思いもした。
首を吊った事もある。
まあ何故か事故は奇跡的に全て身体は無傷で済んでしまったが。
薬の副作用の時は死がこんなに怖いとは思わなかった。
精神が限界に達して首を吊った時は、現実から解放される気持ちと、意識が遠のいていく感じが凄く気持ちよかった。
この経験が俺はいつでも死ねるという支えになった。
生きてる意味が見つからない、生きる理由が見つからないとよく見かけるが、生きる事に意味や理由などいらない。
必要なのは今この時間死なない理由。
どんな事でもいい。
メールの返信しなきゃとかくだらない理由でいいんだ。
その一時一時の積み重ねが生きていく事だと思う。
言い換えれば生きてる意味や生きる理由を持ってるような言い方をされてる人は、それがそのまま今死なない理由だと言える。
どんなに大層な事を目標に掲げていようと、どんなに小さな理由だろうと生きている事実は皆同じ。
どうせ誰だっていつかは死ぬ。
今か後かなだけ。
俺はくだらない事や、世間的にはあまりよくない事、どんな理由でも今死なない理由を見付けて今この時間を生きている。
人に『生』を押し付けるつもりもないし、『死』を肯定するつもりもない。
今この時間生きている事実だけがそこに存在してるのだ。
理由なんて簡単、童貞ならやるまで死なないとか、持てないならホストやキャバクラ行く金貯めて行くまで死なないとか。
本当に死んだらこの世界とはまったく関係無くなるのだ。
親や周りに迷惑かかるからなんて言ってる人はどこかにまだ『生』への未練が残っているんだと思う。
死んだら後の事なんて知らないし。
だけど誰かを養っていたり等責任はある時もあるので無責任となる時もあると思う。
俺の生きてる意味なんて、まだ会って無い、これから会うかもしれない知ってる人、存在すら知らない人の中に俺に素晴らしい暇つぶしを与えてくれる人が居るかもしれないというだけだ。
生きる事なんて過ぎていく時間をどう暇を潰して過ごすかだと思う。
例えばアルコール依存は身体に悪いが今飲まないストレスで自殺してしまうより飲んで今生き延びたほうが長く生きてる事になる。
依存をやめる強い精神を持っていれば依存に立ち向かってもいいだろう。
俺はそんな強い精神は持っていない。
ギャンブルやら性(恋愛)やら色々依存しながら生きていくのだ。
あと欲しいと言えば色々な刺激か。
刺激は依存と関係してるので機会があったら書くかもしれない。
『生』を実感しやすいのは『刺激』がある時だろう。
取り敢えず言いたいのは、どんな事でも今死なない理由を見つけたら取り敢えず今は生きていられるという事。
『生』と『死』を迷ってる人は『生』に未練があるという事だから、どんな理由だろうと今死なない理由を見付けて欲しいと思う。