安保法案で大きな議論が交わされています。
賛成派も、反対派も、どちらも熱意をもって、自説を主張します。
ですが、その両者の話し合いは、まったくもって接点が見えません。
接点のなさから、互いへのいらだちや不信感を抱き、感情的なり互いの距離をより遠ざけてしまいます。
その原因についての私の考えを多くの方に理解していただきたいと思い、ここに書きます。
少し長くなりますが、ぜひ最後まで目を通していただくことを望みます。
---------------------------------------------------------
だれかが素敵ななにかをたくさん手に入れたとき、
あなたのとり分はどうなると思いますか?
「Aさん」は、こう思うかもしれません。
「だれかがたくさん手に入れたら、その分自分の取る量が減る」
そして、こうも思うかもしれません。
「自分がたくさん手に入れたら 、その分だれかがとる量が減る」
すなわち
「他者のプラスは、自分のマイナス」であり
「他者のマイナスは、自分のプラス」なのだと
そう 思っているかもしれません。
そのAさんは、
だれかの「プラス」を喜ぶことは できません。
だれかの「プラス」の分だけ 自分の「マイナス」になるのだから。
Aさんが「プラス」を得たなら、だれかが「マイナス」になりますが、
それはやむを得ません。
だれかが「マイナス」にならなければ「プラス」は生まれないのだから。
別の「Bさん」は
「だれかが たくさん 手に入れても 自分のが減ったりは しない」
そして
「自分が たくさん手に入れても だれかのが減ったりは しない」
と 思っているかもしれません。
Bさんは
「他者のプラス/マイナスは、自分のプラス/マイナスに一切影響しない」
と 考えているので
だれかの「プラス」は、Bさんにとってもうれしいできことで
だれかの「マイナス」は、Bさんにとっても悲しいできことです。
だれもが「豊かに生きたい」と思っているのだから
Bさんの豊かさも ほかの誰かの豊かさも、Bさんは「嬉しい」と思えます。
AさんとBさん、いったいなにが違うのでしょうか。
Aさんは器の小さい人で、Bさんは人格者なのでしょうか。
そうではありません。
Aさんは その素敵な何かを、
だれかが多くとれば ほかの誰かの取り分が減ってしまう
「ピザ」のようなものだと思っているのです。
Bさんはそのすてきな何かを、
だれかが多くとっても ほかの誰かの取り分も十分にある
「海の水」のようなものだと思っているのです。
「ピザ」の場合は
だれかの一切れが「+5」多くなれば、必ず他の切れが 「-5」になります。
増えた分と減った分の合計は、5-5=0 と必ず「ゼロ」です。
「合計」は英語で「サム」(SUM)
合計がゼロになることを、「ゼロサム」といいます
全員が必要なだけ取れば「足りない」のが、「ゼロサム」です。
「海の水」のようなものなのであれば
だれかが「+5」になっても、他のだれかも「+5」になることができます。
増えた分と減った分の合計は、5+5=10
と、プラスになることができます。
合計がプラス(ポジティブ)になれることを、「ポジティブサム」といいます
全員が必要なだけ取っても「余る」のが、「ポジティブサム」です。
その素敵な何かを
Aさんは、「ゼロサム」のもの
Bさんは、「ポジティブサム」のもの
そう思っており、それが考え方の違いを作っているのです。
もし「生きるために必要なもの」が「ゼロサム」、つまり全員に必要なだけの量に足りなければ、
生きるために必要なものを必要な量だけ「手に入れる人」と「手に入れられない人」がでてきます。
「手に入れられない人」は生きられないので、「手に入れる人」にならなければいけません。
だれもが「手に入る人」になりたいので、必ず競争がおこります。
そして競争の勝者が必要な分だけ「手に入れる人」で、敗者が必要な分だけ「手に入らない人」です。
「ゼロサム」は、「WinーLose」 の世界です。
「WinーLose」の世界では、他者の「Win」は自己の「Lose」です。
他者の「Win」「勝者」「優位」を、許してはいけないのです。
しかし、「ポジティブサム」だと考えていれば
他者がどれだけ手に入れても 自分も手に入れることができます。
他者の「Win」「勝者」「優位」を、許すことができます。
自分が 「Win」 「勝者」 「優位」 である必要もありません。
「ポジティブサム」であれば、 「Win-Win」の関係を作ることができます。
目的は「勝ち負け」ではなく「豊かであること」になります。
欲しいものが
十分な量のない「ゼロサム」なのか、たっぷりある「ポジティブサム」なのか。
それによって、欲しいものを求めて取る「行動」は変わってきます。
新しいiPhoneが発売されたとき、朝早くから行列ができたりしました
もし、そのiPhoneの品数が、100倍用意してあったら、早朝の行列はないかもしれません
いつ行っても、手に入るからです。
スーパーのトイレットペーパー売り場に 行列はありません。
もし、トイレットペーパーが人々が日々消費する量を供給されなくなったら
トイレットペーパーの発売日には行列ができます。
iPhoneも、トイレットペーパーも、必要性は変わらないのに、
「足りる」か「足らないか」で、欲しい人の行動は変わります。
ーーーーーーーー
さて、このたびの安保法制は、武力行使ができる範囲を限定的に拡大するものです。
「賛成」する方と「反対」する方の考え方の違いは、
無意識に「ゼロサム」を前提としているか、
無意識に「ポジティブサム」を前提としているか、の違いなのです。
ゼロサムのなにかをだれかが「奪い」に来たら、そのなにかを「守り」ます。奪われたら、足りなくなるから。
そのなにかが「なくては生きていけないもの」であれば、命を懸けて戦ってでも「守り」ます。
奪われれば生きられないのであれば、それが自分たちの命を守るために必要なことなのです。
ポジティブサムのなにかをだれかが奪いに来たら、そのなにかを「譲り」ます。奪われても、十分にあるからです。
そのなにかが「なくては生きていけないもの」であっても、「譲り」ます。
奪われても生きていけるのに、命を懸ける必要はないのです。
もちろん相手の命も同じです。
どちらも、自分や家族や大切な人たちの命を守りたいと思っています。
その目的は同じです。
ゼロサムであれば、奪いに来た者と命さえ懸けて戦うことが、大切な人の命を守ることです。
そのなにかを奪われれば、大切な人の命を危険にさらすのです。
ポジティブサムであれば、奪いに来た者と戦うことは、大切な人の命を危険にさらすことです。
そのなにかを譲って戦わない方が、大切な人の命を守れるのです。
大切な人たちの命を守ることが「善」だとすれば、
ゼロサムであれば「戦うことが善」で、ポジティブサムであれば「戦わないことが善」。
同じ目的のためにすべきことが、まったく逆なのです。
この、「無意識の前提の違い」に気づかないままお互いの言い分を聞いているので、お互いに「大切な人の命を危険にさらしたいのか!」と非難したくなるのです。
本当に大切な人の命を守るための議論は、この無意識の前提の違いに気が付かなければ先に進めないのでは、と思うのです。
まず、お互いに「非難するような表現」をすることをやめてみませんか。
そして、理解できない考え方を非難するのではなく、「なぜそう考えるのだろう」と関心を持ってみませんか。
ご自身はポジティブサム/ゼロサムどちらの前提をもっているか、相手はどちらの前提をもっているか、を考えてみてください。それがわかると、「だからそういう考え方をするんだ!」と、理解することができるようになると思います。
ぜひ、やってみていただけたら、嬉しく思います。