私の姉は3歳からピアノを
習っていた
年子の私はそのレッスンを
いつも横目で眺めていた

姉が年長さんになった時
我が家に
アップライトのピアノが
やってきた。

それでもまだ私は眺めていただけ
私が初めてレッスンを始めたのは
小学校一年生になった日から

姉が三年生になった時
グランドピアノが我が家にやってきた
その日からアップライトのピアノは
私の物となった。

グランドピアノの部屋は
聖域。
姉が朝起きてから学校に行くまで
姉が学校から帰宅して寝るまで
その部屋からいつも音が聞こえていた

姉がレッスンを受ける日
その部屋に入れてもらえた
音を聞いて譜面にするレッスンに
私は憧れを抱いた。

母はいつ姉の才能を見抜いたのか。
それから父も最大限の協力をした

普通の勉強がおくれないように
家庭教師もやってきた。
おまけの私も便乗
姉のいつでも成績はオール5
学校でもどこでも目立つ姉
自慢の姉。
私はそんな姉が大好きだった。

ある日
父の事業が失敗し
都落ちした

グランドピアノのだけの部屋が
ある我が家から
借家に

それでもグランドピアノは
四畳半の小さな部屋に運び込まれた
私のピアノは消えた。

その日から姉は
ピアノを弾かなくなった

グランドピアノは私の物となった
私はピアノを弾き続けた。

姉は大学進学しなかった。
まるで水を得た魚のように
社会人の生活を楽しんでいた。

いつの間にか大企業の秘書課。
秘書として活躍。

そして私は家事一般を
働く両親のかわりに担当

いつの間にかグランドピアノは
消えていた。

私が18歳の時
姉が自分のお給料から
ローンをくみ
アップライトピアノを
私の為に買ってくれた。

私は学校とバイトと
友人のつてで安くレッスン
出来る先生を見つけ
レッスンを続けた。

母にとってピアノの音は
辛い記憶ってわかっていても
私は弾き続けた。

なぜ今でも続けたのか
自分でもわからない
母に対しての意地もあったかも

姉の買ってくれたピアノは
もらい火で全焼になった家の中で
水もかぶらず
無傷で焼け跡から現れた

今でも忘れられない風景

ピアノの上の神棚と
押し入れのてんぶくろに
しまってあった土で作られていた
七段飾りのお雛様が
土となって火からピアノを守っていた

奇跡のピアノになった。

私も就職し、
そして結婚。
子どもも3人授かった

姉も私より一年早く結婚
とことん年子。
同じく3人の子どもを。

あのピアノは
いつも私のそばにある

転勤族で東北、関西、関東
どこに行くのも一緒だった

何度か手放そうと思った
でもあの火事の日の朝
朝日の光に照らされて
現れたピアノを忘れられず
離れられなかった。

姉に母が新しいピアノを買ってあげた
三十歳を過ぎて。
もう何十年も弾いてないのに。

姉の娘がピアノを習い始めた時
姉も又は弾き始めた。

姉の娘の発表会で
私達姉妹は連弾を披露した。

素敵な曲。
ライオンハート。

母は胸踊らせ聴きに来た。

いつの間にか姉より私のほうが
上達して姉を超えていた。

それでも母の目は姉の方に
向けられていた。

そう。
私は一度もほめてもらった事が
なかったから。

わかっていたけど
母の目には
優秀だったあの頃の姉が
はっきりと映っていたのだろうな

我が家には二人の娘がいる
もうすでに母となり
今は私のピアノを
楽しそうに弾いてくれる

二人とも生まれた時から
あのピアノがあったから
自然とピアノを弾き始めた

今自分の子ども達にむかって
弾いてくれる。

楽しい時悲しい時。

父が亡くなった時
母が亡くなった時
友人が亡くなった時
愛犬達が亡くなった時

その時も弾いたよ。

今、孫たちに
ピアノの音色の
すてきさを知ってほしく
童謡を弾いては一緒に
歌う。

ライオンハートを弾いてから
もう何十年もたつけど
私の夢はまた姉と
連弾する事。

そしてそれを娘や息子や孫たちに
聞かせてあげること。

その時
空の母から
二人とも上手だよって
褒めてくれるって
信じて。