さて、兄弟たち。
私の身に起こったことが、
かえって福音の前進に役立ったことを
知ってほしいのです。
 ̄ ̄
人々の中には、
ねたみや争いから
キリストを宣べ伝える者もいますが、
善意からする者もいます。
ある人たちは、
私が福音を弁証するために
立てられていることを知り、
愛をもって
キリストを伝えていますが、
ほかの人たちは党派心から
キリストを宣べ伝えており、
純粋な動機からではありません。
鎖につながれている私を
さらに苦しめるつもりなのです。
しかし、
それが何だというのでしょう。
見せかけであれ、真実であれ、
あらゆる仕方でキリストが
宣べ伝えられているのですから、
私はそのことを喜んでいます。
そうです。
これからも喜ぶでしょう。
 ̄ ̄
私の願いは、
どんな場合にも恥じることなく、
今もいつものように大胆に語り、
生きるにしても死ぬにしても、
私の身によって
キリストがあがめられることです。
ピリピ人への手紙1章
12,15~18,20節