旅の4日目

今日はブハラ観光の続き、この後はサマルカンドへ移動します。


イスマーイール・サーマーニー廟は、サーマーン朝時代、2代目君主のイスマーイールが父親のために建てた霊廟で、その後本人や子孫も葬られたそうです。


10×10mで、周囲を3周すると願いが叶う⁉︎


レンガは20cmで、ラクダのミルクが練り込んであるそうです。

太陽の角度によって色が異なって見えるようになっているそうです。


これは伝統的な赤ちゃんのゆりかごで、股の間に排泄物を流す木でできた樋のような物を入れて、ベットの下に流す仕組みになっています。

赤ちゃんは布で動けないようにベットに固定されているので、姿勢が良くなるとか⁉︎


チャシュマ・アユブは、ヨブの泉という意味で、


ヨブがこの地を訪れた時、杖で地面を叩いたら泉が湧き出て、水不足を救ったという伝説があるそうです。

円錐屋根のてっぺんに、コウノトリがいるのがかわいい♪


ボラハウズ・モスクは、1712年に建てられた王様専用のモスクらしく、とても美しい!


20本の柱はくるみの木で、


天井装飾も素晴らしいです。


中に入るとイメージが一転して、白を基調にしていることで、青が際立ちます。

思わず「キレイ!」と言ってました。


アルク城は5〜20世紀初頭まで、ブハラの支配者の居住地だったそうです。こちらはレジスタン門でこのレジスタン広場は、王に反する市民が処刑された場所でもあったそうです。


奥に見えるサマルカンド門は、修復されていないようです。


昨日ライトアップを楽しんだ場所を改めて。

ミル・アラブ・メドレセ、ミルは平和の意味とのこと。


ソ連時代に開校許された神学校で、1階が教室、2階が寄宿舎だそうです。


現在も神学校ですが、今は教室のみだそうです。

なので、ちょとだけのぞき見。学生さん、ごめんなさい。


カラーン・モスク、カラーンは大きいの意味。


カラーン・ミナレットは48mで、チンギスハーンにも破壊されなかったとか?

かつてモスクは1万人を収容でき、金曜モスクとして機能していたのですが、チンギスハーンに破壊されてしまったそうです。

現在のモスクは1574年に再建されたものだとか。

中庭と

モスクの中


ウズベク・メドレセは1418年に建てられ、いまは中が博物館になっています。


食器や


洋服にも


文字が書かれています。


「向学心こそ、ムスリムになくてはならない」


アブドゥールアジズ・ハン・メドレセはウズベク・メドレセよりも200年後に建てられ、


トルコやインドネシアや影響を受けた装飾が特徴的です。


タイルが幾何学模様ではなく、植物がモチーフになっています。


絨毯屋さんによって、


手仕事を見せていただきました。

絨毯買わなくて、ごめんなさい。


ランチタイム

いつものにんじんサラダにビーツがミックスされている!


暑くて乾燥しているので、ビール最高!


豆のスープ


ラグマンは、ミートソースうどんみたいな?


いよいよサマルカンドに向かいます。


15:44初の高速鉄道アフラシャブに乗ります。


ホームが広くてゆったり、でも低いから乗る時大変。

荷物は観光中にバスで先にサマルカンドへ運んでもらったので、助かったー。

2等車の車内はこんな感じ。


車内販売もあるよ。

あれは、航空会社払い下げのミールカート?再利用?

アイスクリームは、いつカップに入れたのか?

んー、全部売れるのか?オーダーされてから、カップに入れてはダメなのかな?

車窓からの景色、遠くに湖が見えました。

砂漠のオアシス?キレイ!


17:27サマルカンドに到着しました。


大きな駅ですね。


本日の夕食はロシア料理。でもナンはウズベキスタン。


ボルシチと


ペリメニ

ここのレストランで、ずっとニヤニヤしながら私たちのことを撮影している変な男がいて気持ち悪かったんだけど、どうもレストランのPR動画を撮影していたらしいです。でも、ガイドさんが全部消すように言ってくれて、実際動画が残っていないことを確認してくれました。

黙って撮影しないで、予め趣旨を伝えれば、映ってもいいよ、協力するよっていう人もいるはずなのに。バカだなー


今夜のお部屋、ここはメッカの方向が示されたシールが天井に貼ってある!

今晩から3泊、お世話になります。