さて、いよいよ久高島に降り立ったのですが、
そのまえに神の存在について…
昨日の選挙で自民党が圧勝
人それぞれ観点が違うため、政党の話と宗教の話はタブーとされているが、
神の存在について考えてみよう(弁論の自由)
「あなたは神を信じますか?」
ある宗教で有名なセリフ
わたしの答えはイエス
じゃあ何の神?
日本では、八百万(やおよろず)の神々といって
それだけ多くの神が存在するという所以である
たとえば、火の神、水の神、土の神、風の神などが自然の神で
その他、山の神や、米粒にも神、そしてご存知トイレの神様もいますね
わたしは特定の神を崇め奉ってはいない
しいていうならば、神は自分の内にあると信じている
フェリーを降り立ち、この階段を上ると案内所が
もうすでに、ここの植物から特別な生命力を感じる…
はじめてなので、こちらの案内所でガイドさんを頼むことにした
2時間5500円で、島全体を案内してくれるそうだ
しかし、今日はガイドが出払っているということで
久高島交流館を教えてもらい電話したが、
こちらもこの時間からの案内は行っていないとのこと
では、自然にまかせ赴くままに散策しよう
案内所のおねえさんに伺うと徒歩ではこの近くしか行けないらしい
それで、自転車をレンタルすることにしました
レンタルサイクルは1時間300円と超割安!
久高島は南北に広がる約4㎞の細長い島
南の先端にフェリーの港があります
この島の南約5分の1に集落があり、それより先には自販機はおろか水道もなにもありません
東側の集落を抜けたところに、浜がありました
何もないが故に、波の音が一段と大きく耳に響きます
この先の道を少し進んだところで、舗装された道が終わります
そして今度は西側へと進みます
道の両端から伸びる草木は、ぐんぐんと育ち、まるで草のトンネルのようになっています
そこに何気なく立っている杭を発見
なんだかここは空気が違います
澄み切っていて、鼻から入る空気がとっても新鮮です
この感じ、どこかで…あ、伊勢神宮の五十鈴川と似てる!
気になったので自転車を停めて、先ほどいただいた地図を見ると
「ヤクルガー 神女が禊に使う神聖な井戸です。」
井戸へと続く階段を降り、少しだけ聖地を見せていただきました
この島は、感謝、祈りの生活によって守られ、育まれてきた場所です
観光者として、入らせていただいていますと敬意を持つことは、基本的マナーであります
ここで神聖なる風を受け、
そして北へと進もうとすると道があるようなないような…
いちおう、道です
そして、これまでの道中、誰れひとりとして人を見てません…
時間がなかったのが一番の理由だけど、
なんとなく神が宿っていそうで、近づいてはいけないような感じがして
この先へは進みませんでした
そう、この先には立ち入り禁止とされている大御嶽(フボー御嶽)があります
この場所には先祖の魂が宿り、普段は草木一本穫ることを許されない聖域です
この立ち入り禁止の聖域に、入ったのが岡本太郎です
彼は二度この地を訪れており、
一度目に、彼はフボー御嶽に入り、テントを張って1週間ものあいだ野宿したとされています
そこで彼が得たもの
それは、「なにもない」ということは究極の「すべてある」ということである
この「何もない世界」こそが神の領域で、「すべてある」が今生きているこの世界であると考えるならば、
今目の前に広がる世界のすべてが神の存在であるということになる
後に彼はこう語っている
「神は自分の周りに満ち満ちている。静寂の中にほとばしる清冽な生命の、その流れの中にともにある…
一部だけが理解され他がのこる、ということはあり得ない。オール・オア・ナッシングだ。
しかし芸術は、オールであると同時にまたナッシングだという、不思議である。」
二度目の来訪は、12年に一度の秘祭イザイホー を見学するためであった
その4年後の大阪万博であの有名な「太陽の塔」が完成している
太陽の塔に、この久高島の存在が影響を与えたのか否かは、彼にしか分からないが、
この太陽の塔を見たときに感じる力強い生命のエネルギーは、
久高島を訪ねて感じた神の存在と、何か共通するものがある
エネルギーとは、すべての自然、ひと、物の内側に蓄えられている力であり、
そのすべてが神ではなかろうか
この島の大自然、海、風、草木、土を見ていると、それは人間では到底及ばない
なにかとても大きな、特別なものの存在を感じざるにはいられない
この大自然に感謝し、わたしはその場を離れました
島の西側を、港に向けて自転車を走らせると、ふと漁港が目に止まりました。
島は道のほとんどが舗装されずに自然のままだが、この島の産業、漁業の港は立派です
漁港を見下ろす位置に、このような階段があり
その下にはガー(井戸)がありました
途中まで降りて、なんとなく引き返しました
後で地図を広げてみましたが、載っていません
海ぶどうの養殖場を通り過ぎ、集落が見えました
そして、ようやく人の姿が確認できて、ホッと一安心です
通りすがりのおじいさんに話しかけました
「フェリーの港はこっちですか?」
「はっ?」
わたしの特技はお年寄りとの会話です(笑)
出せる限りの低い声をかけます
「ふーねーの港はー、こっちー?」
「ああー、港はそこじゃ。わしゃ潮にやられて耳が聞こえんっ」
「だいじょーぶですよ、充分聞こえてますよ。」
「そーか、どこから来た?」
「わたしは、おーおーさーかです。むこうは寒いですよ。」
「わしの息子は北海道におるんや。」
「へー、それはすごいですねー。遠くてなかなか帰って来れないですね。」
「ちっとも帰ってきたことないわ。」
「さーびーしーくないですか?」
「淋しいのぉー。」
他愛ない会話をしていたら、もう港に着きました
お借りした自転車をお返しし、港に降りようとしたとき
さきほどのおじいさんが「長生きベンチ」と書かれたベンチの肘おきに腰掛けて、海のほうへ沈んでゆく夕日を眺めていました
来る日も来る日もこの夕日を見に来てるのかな
夕日を見ながら何を想っているのだろう
離れて暮らす息子のこと、家族のこと、そして島のこと…?
辺りが暗くなる前に、この島に感謝を告げ、フェリーに乗りました
偉大なる自然の力を感じ、エネルギーをたくさんチャージして…
(あまりにも島が神々しすぎて…おチャラける文章は控えました)











