中国外交文書に「尖閣諸島」=日本名明記、「琉球の一部」と認識-初めて発見
【北京時事】沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)をめぐり中国政府が1950年、「尖閣諸島」という日本名を明記した上で、琉球(沖縄)に含まれるとの 認識を示す外交文書を作成していたことが27日分かった。
時事通信が文書原文のコピーを入手した。
中国共産党・政府が当時、尖閣諸島を中国の領土と主張せ ず、「琉球の一部」と認識していたことを示す中国政府の文書が発見されたのは初めて。
尖閣諸島を「台湾の一部」と一貫して主張してきたとする中国政府の立場と矛盾することになる。
日本政府の尖閣国有化で緊張が高まる日中間の対立に一石を投じるのは確実だ。
この外交文書は「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」(領土草案、計10ページ)。
中華人民共和国成立の翌年に当たる50年5月15日に作成され、北京の中国外務省档案館(外交史料館)に収蔵されている。
領土草案の「琉球の返還問題」の項目には、戦前から日本側の文書で尖閣諸島とほぼ同義に使われてきた「尖頭諸嶼」という日本名が登場。
「琉球は北中南の三つに分かれ、中部は沖縄諸島、南部は宮古諸島と八重山諸島(尖頭諸嶼)」と説明し、尖閣諸島を琉球の一部として論じている。中国が尖閣諸島を呼ぶ際に古く から用いてきたとする「釣魚島」の名称は一切使われていなかった。
続いて「琉球の境界画定問題」の項目で「尖閣諸島」という言葉を明記し、「尖閣諸島を台湾に組み込むべきかどうか検討の必要がある」と記している。
これは中国政府が、尖閣は「台湾の一部」という主張をまだ展開せず、少なくとも50 年の段階で琉球の一部と考えていた証拠と言える。
東京大学大学院の松田康博教授(東アジア国際政治)は「当時の中華人民共和国政府が『尖閣諸島は琉球の一部である』と当然のように認識していたことを証明している。
『釣魚島』が台湾の一部であるという中華人民共和国の長年の主張の論理は完全に崩れた」と解説している。
中国政府は当時、第2次世界大戦後の対日講和条約に関する国際会議参加を検討しており、中国外務省は50年5月、対日問題での立場・主張を議論する内部討論会を開催した。
領土草案はそのたたき台として提示されたとみられる。
中国政府が初めて尖閣諸島の領有権を公式に主張したのは71年12月。
それ以降、中国政府は尖閣諸島が「古来より台湾の付属島しょ」であり、日本の敗戦を受けて中国に返還すべき領土に含まれるとの主張を繰り返している。
領土草案の文書は現在非公開扱い。中国側の主張と矛盾しているためとの見方が強い。
ソース:時事ドットコム (2012/12/27-14:37)
中国の主張の「ほころび」が出ましたねw
これを受けて、中国政府の対応は…
【北京時事】中国外務省の華春瑩・副報道局長は27日の記者会見で、中国政府が1950年に「尖閣諸島」という日本名を明記した外交文書を作成していたと
時事通信が報じたことについて、「よく承知していない」と直接的なコメントを避けつつ、「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は古くから中国固有の領土だ」と改め
て強調した。
華副局長は「中国が釣魚島に主権を有する十分な歴史的・法的根拠があり、中日両国の専門家も詳しく論じている」と主張。
「日本にも明白な傍証となる政府資料が多くある」と反論した。
ソース:時事ドットコム (2012/12/27-18:24)
「良く承知していない」ってw
いいから、さっさと確認しろよ( ̄▽+ ̄*)
それでも…
中国にしてみれば、この外交文書の存在は不利に働くでしょうが、おそらく認めることなく、今後も主張をし続けてくるのはまちがいないでしょう。
このような中国の動きを見て、安倍政権ではさっそく防衛関係予算と自衛官人員拡充を検討することで動き出したようです。
対外的には波風を立てず、まずは国内の防衛面での整備と充実を優先するということでしょう。
中・韓に対して表向きは友好路線と見せかけて、静かにしっかり準備していくのが安倍内閣の方針と言えそうです。
パフォーマンスよりも実務重視な政権となりそうですね。
経済・復興を含め、国防面でも結果を出すことが国民の信頼を経て、安定政権をつくる為には重要ですからね。
まずは民主党がボロボロにした部分を整備して、国としての足元をしっかり固め、支持を得る。
対中国・韓国の外交で勝つためにも、まずはその部分から固めて、積み上げていって欲しいなと思いますね(‐^▽^‐)