21日
落語界の巨星、風雲児、天才、立川流家元…
立川談志さんが
喉頭がんのため75歳で亡くなられました。
俺みたいな小童が、若輩が、二束三文が談志師匠の事について書くのは本当におこがましいと思います…でも…
僕は物凄く感銘を受けて、一時期とてもお世話になって…何より今の僕の奥底を支えて頂いているので
僭越ながら書きます。
勿論知ってました。子供の頃から知ってました。ただ、子供の俺には何が凄いのか?なんなのか?理解できていませんでした。
ただ、子供の頃の神様だったビートたけしさんが…弟子入りしたとんでもない人だというのは理解はできていたと思います。
そこから特に落語を見まくった訳でもなく、TVに出て来てはTVの世界の名だたるお笑いの先輩方が皆、師匠に尊敬の眼差しを向けている。どんな人なんだ!?何をやったんだ?そう思っていました。
勿論その後師匠のやって来た偉業…いや、異形かもしれません…それは皆さんの方がご存知だと思います。
この世界に入りようやくちょこっとだけ笑わす事ができ、ボキャブラ後
…オンエアバトルという番組によく出ていました。
嬉しくも、第一回チャンピオン大会に出させてもらった時予選では自分達の一番好きな…でも、あんま受けないけど大好きなネタ「テクノ体操」をやろうと決めました。理由は一つ。オンバトでは受けてもなんだろうと会場審査員のボールがバケツに入らなければオンエアされない。
オンエアされないと何やっても駄目だけど…
チャンピオン大会は違う。どんなに受けが取れなくてもオンエアされるんです。勿論、滑るつもりでやるバカは居ません。
ただ、好きなネタだから、
全国に見せたかったから選んだのです。
その当時、うちら的には意外と勝負…
ってか、面白がってたのかも…。
で、収録で思いっきりやって165KBかなんかの自己最低点!ネタ終わってからもスタジオで暴れてました。
勿論落ちてエンディング。
そこにいきなり現れたのが…
神の神!
立川談志です!
そう、まさに現れたのです!!
んで、
「あんた達が一番元気あったよ。やるよ。」
立川談志特別賞を貰いました。
実は、底ぬけAIR-LINEとしてネタでテレビでもらった賞はこれだけだったのです。たった一つの賞が
これだという嬉しさ。
この後打ち上げで師匠に呼ばれ
「ここで飲むかい?若い女の方がいいかね?まあ、似たようなもんだ。」
確かこんな感じに優しく声をかけて頂いたと思います。
そこから色んな色んな話をしてくださって
その時言ったことで覚えているのは
「底ぬけ…なんだか知らないが、あなた達の芸は面白かったですよ。
その後の暴れっぷりも良かったですよ。
俺ならあんな評価されたらもっともっと暴れちゃいますよ。だから良かったんです。
ああいうのは、つまり、イリュージョンなんです。
パッとやってパッと受ける。
意味があるとかないとかどうでもいい。
パッとやってパッと受ける。それで良いんです。イリュージョンなんです。」
衝撃でした。
なんすか!!?イリュージョンって!!?
それからも数回飲みに誘って頂いて…
テツとも、アンジャッシュらと一緒に行った師匠行きつけのバーでの飲みの席では…
山城新伍さん、中尾彬さん、ミッキーカーチスさん、野末陳平さん、筑紫哲也さん…などなどまるで歴史年表の中の人並の豪華なメンツの真ん中に
俺ら、テツとも、アンジャッシュが座る…
とんでもない会もありまして…
そこでも師匠は
「こいつら良いんだよ。何が良いのか俺には分からないけど…って事は悪いのか?いや、良いんだよ。」
と、紹介して貰いました。
んー、なんか夢だったのか…今思えば…夢だった感じが…いや、本当です。
それから師匠の独演会で前座をやらせて貰ったり…その打ち上げで朝まで飲みに連れていって
なんか、小さなお店でテツともとかと師匠の前だけでネタをホンキでやった事もありました。
その時も師匠は繰り返し
「良いよ。イリュージョンだね。君達はイリュージョンなんだよ。わかるかい?」
何度も言っていただきました。
沖縄に師匠が遊びに行った際に師匠から手紙が届いた時は驚きました。
中身は筆で一言。
「どうだ?遊んでいるか?」
…その時始めて思いました。
「…あ、この人すげー。」
きっと俺らなんか下も下過ぎて芸人の後輩なんて思わない…孫みたいな存在だったから…だからこんなに近くで接してくれたのでしょう。
そうでも思わないと理解できませんよ。
なかなか近年お会いできずにいて…
亡くなったのをニュースで聞きました。
僕なんかよりもっともっと関わった人が…星の数ほどいます。俺なんかが語るなんてふざけんな!って怒られるかもしれません。
でも、書きました。
師匠、雲黒斎…
素晴らしいイリュージョンです!!
心から心からご冥福を祈ります。
元・底ぬけAIR-LINEの大きい方
落語界の巨星、風雲児、天才、立川流家元…
立川談志さんが
喉頭がんのため75歳で亡くなられました。
俺みたいな小童が、若輩が、二束三文が談志師匠の事について書くのは本当におこがましいと思います…でも…
僕は物凄く感銘を受けて、一時期とてもお世話になって…何より今の僕の奥底を支えて頂いているので
僭越ながら書きます。
勿論知ってました。子供の頃から知ってました。ただ、子供の俺には何が凄いのか?なんなのか?理解できていませんでした。
ただ、子供の頃の神様だったビートたけしさんが…弟子入りしたとんでもない人だというのは理解はできていたと思います。
そこから特に落語を見まくった訳でもなく、TVに出て来てはTVの世界の名だたるお笑いの先輩方が皆、師匠に尊敬の眼差しを向けている。どんな人なんだ!?何をやったんだ?そう思っていました。
勿論その後師匠のやって来た偉業…いや、異形かもしれません…それは皆さんの方がご存知だと思います。
この世界に入りようやくちょこっとだけ笑わす事ができ、ボキャブラ後
…オンエアバトルという番組によく出ていました。
嬉しくも、第一回チャンピオン大会に出させてもらった時予選では自分達の一番好きな…でも、あんま受けないけど大好きなネタ「テクノ体操」をやろうと決めました。理由は一つ。オンバトでは受けてもなんだろうと会場審査員のボールがバケツに入らなければオンエアされない。
オンエアされないと何やっても駄目だけど…
チャンピオン大会は違う。どんなに受けが取れなくてもオンエアされるんです。勿論、滑るつもりでやるバカは居ません。
ただ、好きなネタだから、
全国に見せたかったから選んだのです。
その当時、うちら的には意外と勝負…
ってか、面白がってたのかも…。
で、収録で思いっきりやって165KBかなんかの自己最低点!ネタ終わってからもスタジオで暴れてました。
勿論落ちてエンディング。
そこにいきなり現れたのが…
神の神!
立川談志です!
そう、まさに現れたのです!!
んで、
「あんた達が一番元気あったよ。やるよ。」
立川談志特別賞を貰いました。
実は、底ぬけAIR-LINEとしてネタでテレビでもらった賞はこれだけだったのです。たった一つの賞が
これだという嬉しさ。
この後打ち上げで師匠に呼ばれ
「ここで飲むかい?若い女の方がいいかね?まあ、似たようなもんだ。」
確かこんな感じに優しく声をかけて頂いたと思います。
そこから色んな色んな話をしてくださって
その時言ったことで覚えているのは
「底ぬけ…なんだか知らないが、あなた達の芸は面白かったですよ。
その後の暴れっぷりも良かったですよ。
俺ならあんな評価されたらもっともっと暴れちゃいますよ。だから良かったんです。
ああいうのは、つまり、イリュージョンなんです。
パッとやってパッと受ける。
意味があるとかないとかどうでもいい。
パッとやってパッと受ける。それで良いんです。イリュージョンなんです。」
衝撃でした。
なんすか!!?イリュージョンって!!?
それからも数回飲みに誘って頂いて…
テツとも、アンジャッシュらと一緒に行った師匠行きつけのバーでの飲みの席では…
山城新伍さん、中尾彬さん、ミッキーカーチスさん、野末陳平さん、筑紫哲也さん…などなどまるで歴史年表の中の人並の豪華なメンツの真ん中に
俺ら、テツとも、アンジャッシュが座る…
とんでもない会もありまして…
そこでも師匠は
「こいつら良いんだよ。何が良いのか俺には分からないけど…って事は悪いのか?いや、良いんだよ。」
と、紹介して貰いました。
んー、なんか夢だったのか…今思えば…夢だった感じが…いや、本当です。
それから師匠の独演会で前座をやらせて貰ったり…その打ち上げで朝まで飲みに連れていって
なんか、小さなお店でテツともとかと師匠の前だけでネタをホンキでやった事もありました。
その時も師匠は繰り返し
「良いよ。イリュージョンだね。君達はイリュージョンなんだよ。わかるかい?」
何度も言っていただきました。
沖縄に師匠が遊びに行った際に師匠から手紙が届いた時は驚きました。
中身は筆で一言。
「どうだ?遊んでいるか?」
…その時始めて思いました。
「…あ、この人すげー。」
きっと俺らなんか下も下過ぎて芸人の後輩なんて思わない…孫みたいな存在だったから…だからこんなに近くで接してくれたのでしょう。
そうでも思わないと理解できませんよ。
なかなか近年お会いできずにいて…
亡くなったのをニュースで聞きました。
僕なんかよりもっともっと関わった人が…星の数ほどいます。俺なんかが語るなんてふざけんな!って怒られるかもしれません。
でも、書きました。
師匠、雲黒斎…
素晴らしいイリュージョンです!!
心から心からご冥福を祈ります。
元・底ぬけAIR-LINEの大きい方