今日は、今までの中で一番長文です。すみません。
いきます。
2009年10月17日午後四時二十七分
おじちゃ…つまり、この前ここのブログ で書きました…
僕の祖父は…
病室にて息を引き取りました。
92歳、大往生だったと思います。
その時看取ったのが、兄貴一人でした。
兄貴が病室で、応援している楽天がCS第一ステージを勝ち上がり、
涙の球場挨拶をテレビで見ていて…ウルウルしているときに
…ここ数日意識が朦朧としていたおじちゃが、急に
「ガ!」
と目を見開いたと思ったら…心電図やら血圧系やらが0を示したみ
たいです。
兄貴だけが看取る事が出来ました。
僕は亡くなった二日後…
つまり亡きおじちゃが骨になるであろう20
日の前日19日の夜中、実家に着きました。
新幹線での帰省は久々で、調子こいてグリーン車なんかに乗ってたら…
後少しで青森と言う所で車内アナウンス。
「青森・浅虫間で落雷による停電がありまして
…電車を停車しております。
いまの所復旧にかなり時間がかかると思います。御迷惑をお掛けいたしま
す」
との事。それからピタリと動きません。
真っ暗な野辺地駅に電車がポツンです。
ま、俺は兄貴と弟が迎えに来てくれたのでなんとかなりましたが…
他の乗客はJRの職員に切れてたなぁー
「…停車しておりますじゃあ
ねぇじゃんか?!どう保障してくれるんだ!!」
とか、バカみたいに…。
バカみたい。
大雨ですげぇ雷だったもんね。
台風並だったもんね。
JR職員だってどうにもならないのにね。タクシー代出してくれるんだから
いいじゃんか…。
…って、なんか冷めた感じでキレ客の横をすり抜けて兄貴の車に乗りまし
て。
時間はもう深夜の一時半。
確かに他の客はどうしようもないか…
…でも、あんなにキレなくてもさ。
家に着いたら…いつもおじちゃが寝ていた部屋に…
やはり…棺桶がありました。
あるんですね、やっぱ。
お母さん、パパちゃん、兄貴がその側に寝ています。
顔を見ます。そりゃみます。
死化粧ってのかな…綺麗になってました。
…あ~あ、おじちゃです。
とても良い顔してます。
少しして
ここ数週間数ヶ月、朝昼晩とほぼ毎日ご飯を食べさせてあげてたのが
パパちゃんだったから、僕は、労いのつもりでこう話しました。
「ま、パパちゃんも毎日大変だったしね。疲れたべ?」
だって、仕事の合間を塗って…
大変だったはずだし。
正直疲れてるはずだと思ったしね。
すると、パパちゃんから意外な言葉が帰って来ました。
「…だばって(だけど)おじちゃの死に目には会えなかっだも
の…。だめだべ。
昼も…まんまかへに(ご飯食べさせに)行けば良かったのに
な…。あ~あ…。」
パパちゃんは独りっ子。
おばあちゃんは…つまりパパちゃんママは27年前に急に亡くなりま
した。
本当に急でした。
僕が小3かな…優しくて楽しくて…大好きで大好きで堪らなかった
おばあちゃんだったから事細かに鮮明に覚えています。
余りに訳が分からず…火葬場で遺骨になる迄
…涙が全く出なかったです。
でも、今から焼きます…って時に
ぶち壊れて泣きました。
なんか…焼こうとする人達に怒りすら覚えました。
俺なんかより…大人達は…
それを見てるのが辛かったのも覚えています。その死から27年。
これで、パパちゃんの両親共旅立っちゃった訳で……
…寂しいでしょう…。
すごく痛感した。
おじちゃは享年92歳。
でも、亡くなるほんの数週間まえ、自分では「100歳だ!」と嘘をついておりました。
さすがはおじちゃです。
何が凄いっておじちゃ。
お医者さんは今回救急車で運ばれた時は
「長くは無いと思います。」
と、言った位。
それ位危なかったみたい。
で、今月RABまつりのお陰で実家にも帰る事が出来て…お見舞いに
行った時…
俺や弟や姪っ子のリオにスゲー喋ってた。
戦争の話やお得意の名言。
「悪い奴来たら逃げろ。喧嘩するな。早ぐ嫁っこ貰って見せろ。」
俺、
「ありゃ?こりゃ数年死なないぜ!さすが鉄人!」
って思ったし。
慌ててお医者さんが説明しに来ましたもんね。
「…今、信じられない程良い状態なんです。…本当に運ばれた時は…」
ってね。
すげ。
おじちゃはすげーです。
変幻自在です。
僕等が東京に帰って…まだ少し調子良かったみたいで…
そこら辺でどうやらゴンボほり(愚図り)始めたらしく…内容は
自分のウチに帰りたいと。
ずっと住んでた家に帰らなきゃって。
でも、おじちゃは病室から出られる様な状態じゃない訳だし…
そこで、ウチの兄貴とかお母さんとかパパちゃんがお医者さんと話して…
何時間かだけ帰って来たらしいんです。
45年住んだ俺らん家に。
…いや、おじちゃ達の家に。
兄貴曰く、
「その日はもうさ、朝早く目覚めて…今日帰れるんだな!早ぐ、行ぐべしや!」
と、ワクワクした子供みたいだったって。
おじちゃは、孫の俺等から見てもたまに…子供のようでしたね。
らしいらしい。
で、家に帰って来て…こう言ってたらしく、
「…あれ?かんちゃんは、いねんだが(和仁は、いないのか?)
まっちゃん(弟)は?」
…まだ、俺達が住んでいると思っていたみたい。
何時間かして兄貴が「そろそろ帰るよ…」と伝えたら
何かを悟るかのように…静かに頷いた様で…。
おじちゃ…ごめん、いなくて…。
東京に行くよ…って言ったんだけど…な…。
耳、遠いからな…。
ごめんごめん。
20日…僕にとっては通夜や葬式なんかより…ずっと重くて
おばあちゃんの時…とても嫌だった…
火葬場で…体が消える日です。
……詳しくは…書くの嫌です。
92ったって…大往生…ったって…
おじちゃです。
焼くんじゃねぇよ!!
…って。また、思っちゃいます。
…すみません…不謹慎で…勿論、合掌して…沢山のお花と…親戚に見せる
のはとても…男として恥ずかしい…大泣き顔を…手向けました。
…サウスポーの
…オシャレな
…帽子が大好きな
…日曜大工が巧すぎる
…嘘つきの
…足の指が一本欠けた
…ピストルの弾を雰囲気で避けれた
…鉄人の
…老人幼稚園で賞状貰ってた
…ひ孫のリオの名前を覚えれなかった
…茶色の自転車に乗った
・・・小さかった弟の肩…トントン…ってして知らんぷりしてた
おじちゃは…
天国へと旅立ちました。
そです。
絶対天国です。
確証はあります。
だって、リオが言ったみたいです。
「おじいちゃんは出掛けたよ。外に出掛けたよ。
でも、暗い外じゃないよ。
…明るい外に出掛けたんだよ!」
リオはまだ二歳。何かを感じているのでしょう。
羨ましいです。
ま、明るい外で…
27年振りに、おばあちゃんとお茶っごでも…飲んでゆっくりしてさ…。
へば。
和仁
(写真:今年正月に帰ったときに。孫、ひ孫と。このときのおじちゃを遺影にしました。)
長文読んで頂き有り難うございます。
これ書いたら…
まだまだお仕事は沢山ありますぜ!
古坂サーティーROCK…ウンポコウンポコ!!…で、爆進致します
わ!
取り合えず…これはこれでおしまい!
ほじゃまた!!!
いきます。
2009年10月17日午後四時二十七分
おじちゃ…つまり、この前ここのブログ で書きました…
僕の祖父は…
病室にて息を引き取りました。
92歳、大往生だったと思います。
その時看取ったのが、兄貴一人でした。
兄貴が病室で、応援している楽天がCS第一ステージを勝ち上がり、
涙の球場挨拶をテレビで見ていて…ウルウルしているときに
…ここ数日意識が朦朧としていたおじちゃが、急に
「ガ!」
と目を見開いたと思ったら…心電図やら血圧系やらが0を示したみ
たいです。
兄貴だけが看取る事が出来ました。
僕は亡くなった二日後…
つまり亡きおじちゃが骨になるであろう20
日の前日19日の夜中、実家に着きました。
新幹線での帰省は久々で、調子こいてグリーン車なんかに乗ってたら…
後少しで青森と言う所で車内アナウンス。
「青森・浅虫間で落雷による停電がありまして
…電車を停車しております。
いまの所復旧にかなり時間がかかると思います。御迷惑をお掛けいたしま
す」
との事。それからピタリと動きません。
真っ暗な野辺地駅に電車がポツンです。
ま、俺は兄貴と弟が迎えに来てくれたのでなんとかなりましたが…
他の乗客はJRの職員に切れてたなぁー
「…停車しておりますじゃあ
ねぇじゃんか?!どう保障してくれるんだ!!」
とか、バカみたいに…。
バカみたい。
大雨ですげぇ雷だったもんね。
台風並だったもんね。
JR職員だってどうにもならないのにね。タクシー代出してくれるんだから
いいじゃんか…。
…って、なんか冷めた感じでキレ客の横をすり抜けて兄貴の車に乗りまし
て。
時間はもう深夜の一時半。
確かに他の客はどうしようもないか…
…でも、あんなにキレなくてもさ。
家に着いたら…いつもおじちゃが寝ていた部屋に…
やはり…棺桶がありました。
あるんですね、やっぱ。
お母さん、パパちゃん、兄貴がその側に寝ています。
顔を見ます。そりゃみます。
死化粧ってのかな…綺麗になってました。
…あ~あ、おじちゃです。
とても良い顔してます。
少しして
ここ数週間数ヶ月、朝昼晩とほぼ毎日ご飯を食べさせてあげてたのが
パパちゃんだったから、僕は、労いのつもりでこう話しました。
「ま、パパちゃんも毎日大変だったしね。疲れたべ?」
だって、仕事の合間を塗って…
大変だったはずだし。
正直疲れてるはずだと思ったしね。
すると、パパちゃんから意外な言葉が帰って来ました。
「…だばって(だけど)おじちゃの死に目には会えなかっだも
の…。だめだべ。
昼も…まんまかへに(ご飯食べさせに)行けば良かったのに
な…。あ~あ…。」
パパちゃんは独りっ子。
おばあちゃんは…つまりパパちゃんママは27年前に急に亡くなりま
した。
本当に急でした。
僕が小3かな…優しくて楽しくて…大好きで大好きで堪らなかった
おばあちゃんだったから事細かに鮮明に覚えています。
余りに訳が分からず…火葬場で遺骨になる迄
…涙が全く出なかったです。
でも、今から焼きます…って時に
ぶち壊れて泣きました。
なんか…焼こうとする人達に怒りすら覚えました。
俺なんかより…大人達は…
それを見てるのが辛かったのも覚えています。その死から27年。
これで、パパちゃんの両親共旅立っちゃった訳で……
…寂しいでしょう…。
すごく痛感した。
おじちゃは享年92歳。
でも、亡くなるほんの数週間まえ、自分では「100歳だ!」と嘘をついておりました。
さすがはおじちゃです。
何が凄いっておじちゃ。
お医者さんは今回救急車で運ばれた時は
「長くは無いと思います。」
と、言った位。
それ位危なかったみたい。
で、今月RABまつりのお陰で実家にも帰る事が出来て…お見舞いに
行った時…
俺や弟や姪っ子のリオにスゲー喋ってた。
戦争の話やお得意の名言。
「悪い奴来たら逃げろ。喧嘩するな。早ぐ嫁っこ貰って見せろ。」
俺、
「ありゃ?こりゃ数年死なないぜ!さすが鉄人!」
って思ったし。
慌ててお医者さんが説明しに来ましたもんね。
「…今、信じられない程良い状態なんです。…本当に運ばれた時は…」
ってね。
すげ。
おじちゃはすげーです。
変幻自在です。

僕等が東京に帰って…まだ少し調子良かったみたいで…
そこら辺でどうやらゴンボほり(愚図り)始めたらしく…内容は
自分のウチに帰りたいと。
ずっと住んでた家に帰らなきゃって。
でも、おじちゃは病室から出られる様な状態じゃない訳だし…
そこで、ウチの兄貴とかお母さんとかパパちゃんがお医者さんと話して…
何時間かだけ帰って来たらしいんです。
45年住んだ俺らん家に。
…いや、おじちゃ達の家に。
兄貴曰く、
「その日はもうさ、朝早く目覚めて…今日帰れるんだな!早ぐ、行ぐべしや!」
と、ワクワクした子供みたいだったって。
おじちゃは、孫の俺等から見てもたまに…子供のようでしたね。
らしいらしい。
で、家に帰って来て…こう言ってたらしく、
「…あれ?かんちゃんは、いねんだが(和仁は、いないのか?)
まっちゃん(弟)は?」
…まだ、俺達が住んでいると思っていたみたい。
何時間かして兄貴が「そろそろ帰るよ…」と伝えたら
何かを悟るかのように…静かに頷いた様で…。
おじちゃ…ごめん、いなくて…。
東京に行くよ…って言ったんだけど…な…。
耳、遠いからな…。
ごめんごめん。
20日…僕にとっては通夜や葬式なんかより…ずっと重くて
おばあちゃんの時…とても嫌だった…
火葬場で…体が消える日です。
……詳しくは…書くの嫌です。
92ったって…大往生…ったって…
おじちゃです。
焼くんじゃねぇよ!!
…って。また、思っちゃいます。
…すみません…不謹慎で…勿論、合掌して…沢山のお花と…親戚に見せる
のはとても…男として恥ずかしい…大泣き顔を…手向けました。
…サウスポーの
…オシャレな
…帽子が大好きな
…日曜大工が巧すぎる
…嘘つきの
…足の指が一本欠けた
…ピストルの弾を雰囲気で避けれた
…鉄人の
…老人幼稚園で賞状貰ってた
…ひ孫のリオの名前を覚えれなかった
…茶色の自転車に乗った
・・・小さかった弟の肩…トントン…ってして知らんぷりしてた
おじちゃは…
天国へと旅立ちました。

そです。
絶対天国です。
確証はあります。
だって、リオが言ったみたいです。

「おじいちゃんは出掛けたよ。外に出掛けたよ。
でも、暗い外じゃないよ。
…明るい外に出掛けたんだよ!」
リオはまだ二歳。何かを感じているのでしょう。
羨ましいです。
ま、明るい外で…
27年振りに、おばあちゃんとお茶っごでも…飲んでゆっくりしてさ…。

へば。
和仁

(写真:今年正月に帰ったときに。孫、ひ孫と。このときのおじちゃを遺影にしました。)
長文読んで頂き有り難うございます。
これ書いたら…
まだまだお仕事は沢山ありますぜ!
古坂サーティーROCK…ウンポコウンポコ!!…で、爆進致します
わ!
取り合えず…これはこれでおしまい!
ほじゃまた!!!