「ホンモノの文章力 -自分を売り込む技術」 樋口裕一
- 樋口 裕一
- ホンモノの文章力―自分を売り込む技術
「頭がいい人、悪い人の話し方」で最近話題になってる樋口裕一の2000年の作品。
この人の名前は以前から耳にしているが、実際どんな人物かは知らなかった。
プロフィールによると、某予備校の小論文講師であり、フランス語の翻訳もこなすらしい。
それ故、文章が全体的にクセがなく、伝えたいことがはっきりと分かる作品だった。
内容としては、
「意見文(小論文、レポート)の書き方」
「自己推薦書、志望理由書の書き方」
「作文、エッセイの書き方」
「手紙、Eメールの書き方」
とそれぞれの文章によって書き方に違いがあるとするも、「型」によって組み立てることを奨めている。
要は、どんな物事にもいえるだろうが、「起承転結」であることが重要だと言いたいのだろう。
これ以外に、最初の章では「『文は人なり』に物申す」と、現在まで続く、綴りかたによる作文教育を時代遅れとし、文章だけでその人物のすべてを判断することに意見を述べている。
そこから、著者は「文は自己演出なり」として、「見せたい自分」を表現する手段なのだとしているところには同感できる。
文章にすべての事実を表現することはもちろん無理だし、単に事実だけを述べても読み手にとっては物足りないと感じてしまう。
また、最後の章は「文章は現代を救う」と、現代人の活字離れが、国語力の低下、さらに学力低下、社会問題の発生につながることを指摘している。
確かに、自分も含め現代人は「日本語」に対して向き合う姿勢が感じられないし、「正しい日本語」を話せる人などほんのひと握りとなってしまっているのが現状といえる。
だからこそ、著者が「書く力こそが思考力だ」「文章はアイデンティティを拡大する」と述べていることには説得力が感じられる。
最後の、「ゆとり教育」に「作文教育」を、としているのはそんな著者の真なる訴えなのだろう。
「歴史/修正主義」 高橋哲哉
- 高橋 哲哉
- 歴史/修正主義
「靖国問題」でも話題になった東大助教授高橋哲哉の作品。
今週のゼミの予習として読んだものである。
岩波書店の「思考のフロンティア」シリーズの1冊なので、概説的な内容なのかというイメージで読んだ。
まず、章立てとして ①歴史と責任 ②歴史と物語 ③歴史と判断 という組み立てとなっている。
「①歴史と責任」では、近年話題となっている「新しい歴史教科書」に代表される、「修正主義」「自由主義史観」に対する反論を展開する。
この「修正主義」とは、先の大戦に対して子や孫にまでは責任は無いとするところから、それ故に「当事者」の責任ももう無いのだという論旨に基づき、他国の押し付けの無い「国民」の歴史が必要と述べている。
それに対して、著者は子や孫に責任が無ければ、当事者の責任は無いとする考えに疑問を呈する。
結局のところ、先の戦争に対する責任が誰であるのかというのをはっきり示すことの必要性を説いている。
これは、「慰安婦」問題をはじめとして、金銭面、政治面でもはっきりと解決できていない政府の動向に問題があるのではないかと個人的には考える。
「②歴史と物語」では、八割がた、「新しい歴史教科書」の代表的人物の坂本多加雄とその擁護者野家啓一の批判を徹底する。
しかし、概略的な内容を想像していたために、正直あっけにとられた。
「国民の物語」論を徹底する彼らに、これでもかと言うほど批判するのだが、そこは著者が「歴史家」でなく「哲学者」だからなのだろうか。
内容としてもいまいち理解しづらかった。
「③歴史と判断」は、①と②の延長線上として、私達が歴史に対してどのように判断を下すべきかを述べている。
ここでは、先の大戦で日本という国が犯した「罪」に対して、今どのように判断すべきかを説いているが、途中でドイツのニュルンベルク裁判との比較をしているが、個人的には、第二次世界大戦での「ドイツ」と「日本」は状況は似こそすれども、単純に相対的に比較するものではないと思う。それぞれの罪には、被害を受けたそれぞれの事情があることを考慮すべき必要があるからだ。
この作品を読んで、読む前にイメージしていたものと多少異なっていたために、読み終わっても、何か印象に残らない面があった。
しかし、この作品で述べられていることは、現在問題となっている「改憲問題」などを考えるのにもとても重要なものが含まれている。
それ故に、流して読むよりもじっくりと読み返しながらすすめていく方が良かったと思う。
「幸福論」 須藤元気
- 須藤 元気
- 須藤元気・幸福論
自分の関心のある格闘家である須藤元気による初のエッセイ。
この人物は、格闘家ながらガツガツしたところがなく、そのファイトスタイルからしても何か他とちがうところを常に見い出そうとするエンターティナーの要素を多分に持っている。
内容としては、四国八十八ヶ所遍路の様子を自分の人生とも照らし合わせながら展開していく。
これを読んでいて特に印象に残ったのは、比喩・例えのうまさあるいは妙と言ったらいいんだろうか。
決して、作家のような文体のうまさはない。
けれども、趣味を「読書」「精神世界の研究」といっているからこそ、できる例えだといえる。
この本の最後には、彼が常日ごろから述べている「We are all one」(すべてはひとつ)についての示されていたが、なぜ彼があえて「格闘技」というサディスティックな世界に生きるのかを認識できる。
彼は、「メッセンジャー」として我を犠牲にして動くことで、このネガティブな世界からの脱却を考えているのだという。
一般に、人間は自分中心に主観的にならざるを得ないのが性ともいえるが、彼のようにこのように視野を広く持つことが世界に今求められているのではないかといえる。
さらに、この本はただ読むというだけでなく、フォトブックとして見ても楽しめると思う。
とにかく、この本は自らの凝り固まった考えをほぐすという意味で意義があるのではないか。
自分の観点を拡げる為にもいいのではないか。
これを読んで、ますます彼の人間としての深さを知ることもでき、応援したくなった。
