ここ最近、いろいろな事がありすぎてとてもハードな日々をおくっていました。
まず、夏休みに帰省したとき母の体調が芳しくなく、とても気になっていたのですが、東京に戻って4日後に母が危篤だと父から連絡がありました。
その日、何か胸騒ぎがして早朝に電話をしたところ、何度かけてもいるはずの母が電話にでてくれず、不安は募るばかり・・・
しばらくして、父から母が意識がないと連絡がありました。
珍しく父が少しオロオロした様子だったので、まず救急車を呼ぶようにと電話番号を言って指示をだし、一人だと大変だと思いすぐに近所の親戚に連絡をして助けを求めました。
その2時間後に病院から家族を呼ぶようにと言われたそうで、午後着の身着のままであわてて新幹線に飛び乗りました。
といっても、主人、息子の事もあるし、もし亡くなった時の事を考えて、その準備もしなければいけないしで、頭の中はパニック状態。
名古屋で兄と合流し、名古屋から車で病院に向かいました。
新幹線の中では、いろいろな母との思い出が走馬灯のように目に浮かんで、もっと親孝行すればよかったと自分への反省点ばかり浮かんでしまって。
病院に着くと、母は意識が戻ったものの、やはりぐったりしていて、話す口調も弱弱しく、力がなく・・・
すぐに担当医に呼ばれ、病状を説明されました。
もともと肺気腫の母は、自宅で酸素療法をしていたのですが肺炎になってしまい、その菌が全身にまわり、腎不全、肝不全の多臓器不全をおこしており、その上低血糖にもなっていたそうです。
先生曰く、病院に運ばれてきた時には、死ぬ人の息(呼吸)だったそう。
父も「もっと大事にしてあげればよかった」と私と同じような気持ちになっていました。
母は父じゃないと絶対ダメだったと兄と一緒に言ったのですが、入院中もそれはそれは献身的な看病をしていました。
担当医から、今後延命治療をするかしないかの選択をせまられ、人工呼吸器による延命治療で、そうなると本人は全く意識もなく、植物人間状態になるそうです。
家族で話し合った結果、延命治療をしないという選択をしました。
辛い時間でした。
その後小康状態が続き、4日ほど母の看病、そして父の身の回りのことをやってきましたが、ひとまず東京に戻る事にしました。
生きている母と会えるのはこれが最後なのかなっとなんとも言えない気持ちのまま東京に戻ってきましたが、その後多臓器不全の方は良くなり、危篤と報告を受けてから20日ほどで奇跡の退院をしたのです。
東京から病院に電話をして、担当の先生に詳しい話をきいたのですが、肺気腫の病気はもう治らないのですが、多臓器不全の方も落ち着き、肺炎もよくなったので、病院に縛り付けてストレスためるよりは自宅でリラックスして過ごされたほうがっとおっしゃってくれました。
退院してから父はより一層大変になりましたが、毎日母のために料理をつくり、家事もこなし、そして仕事もがんばっています。
母が入院中、45年間続けてきたお店、仕事を辞めて母の看病に専念すると言い、シャッターに張り紙をしていた時の父の背中は、心なしか寂しそうでした。
がっしかし、母が退院したら仕事頑張ると言った一言で父の気持ちが変わり、母の目標を無くしてはダメだということで、一大決心をして一度張った張り紙をはがし、心機一転仕事を頑張っています。
仕事と母の看病、家事で今度は父が倒れるのではと心配ですが、本人が決めたことなので、とやかく言うのはやめておきます。
実は母が退院した日というのが、和歌山県に台風が上陸した日・・
私の実家のある和歌山県新宮市は、甚大な被害を受け町中浸水をしたとの事。
避難勧告がでたそうですが退院したばかり、そして酸素療法をしている母をあの嵐の中外に連れて行く事ができず、両親は家に待機していたそうです。
幸い、最小限の被害におさまり、両親、家とも無事でした。
新宮に住んでいる友人からのメールを読んで、被害の大きさに驚くばかり。
腰までの濁流に流されそうになり死を感じたとか、非現実的な内容・・
私の知り合いに片っ端から安否を確認したところ、皆無事で心から安心しました。
今断水になっていて給水車がきて必要な量の給水を受けられるそうですが、仲良しの友人がわざわざ私の実家にお水を持ってきてくれたと父からききました。本当にありがたく、感謝の気持ちで一杯です。
そして今日もたくさんのお水を持ってきてくれたそうです。
私にもメールで「お父さん、お母さんに必要なものがあればいつでも言ってね」と・・
涙がでそうになりました。
そして、こんなにやさしく、頼りになる友人がいるという事に感謝しなければいけないと改めて思いました。
それから、実家の心配をしてたくさんのメールをくださった友人、この場をお借りして本当にありがとうございます。大切な友人、私の宝です。
母のこと、台風の事、ここ最近いろいろな事がありすぎて、心配事が尽きません。
長い長い報告になってしまいましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございます。