昨今のスピリチュアル界隈や自己啓発界隈で

マインドフルネスとかご自愛とか、

自己肯定感を高めることに重きが置かれています



その中でよく誤解されがちな

【本音を正直に伝えること】について

勘違いしてる人が多くいるから、

書いてみたいと思います



心屋仁之助さんの本で、私も知ったことがあります



本音は人を傷つけない】

ということ。



相手に正直に伝えた時に、

相手が傷ついた時、


受け取り手の解釈が悪いと、

相手の自己肯定感の低さや

認知の歪みのせいにして、


自己正当化に走る人もいます




ですが、そもそも

【本音は誰のことも傷つけない】のです




正直に伝えるって聞くと、どう思いますか?


思考

感情

脳内に浮かぶ言葉



実は、これらは、

本音でも正直な気持ちでもありません




自己防衛、生存本能による攻撃的な反応

エゴ(他者の価値観)などが含まれています。





例えを載せてみましょう





「私は謝りたくない!感謝してない!」

と思ったとしましょう。


事情がどうであれ、謝りたくないのです。


相手がアドバイスしてくれたことに関して、素直に受け取れなかったり、

相手が傷ついたことに関して、自分は悪くなかった!と思いたかったり。




でも、これ、エゴです。表層の思考です。

パッと見でわかるように、これ、プライドが邪魔しているだけです。



愛の視点があれば、これをそのままぶつけたら戦争になるのは理解できますよね?


でも、本音と、表層の思考の区別がつかない状態で、正直にありのままに、を採用すると、こんな愛のないセリフを相手にぶつける、敬意のない人間になってしまう。




だから、それに気づいた人達は、もっと小賢しく、相手の否定にならないように、今はこういう文言でやんわり線を引きます。




「それぞれの真実があるよね」

「あなたはあなた、私は私」

「それはあなたの真実ですよね」

「みんな違うよね」

「あなたはそれでいいんじゃないですか?」





これは一見尊重に見えますよね。

でも、理解しようともしてない。




リアルでこれ使うことあります?w

なくないですか?

相手を大切に思っていたら、やっぱり共感してあげたいし、理解したいと思いませんか?


それが自然な愛の状態だと思います。





ええ、そうです。

これらのセリフは、実際は、自分の境界が汚染されたり、打ち負かされそうになったりしたときとか、理解し合えないと踏んだ時に出てくる、自己防衛的なセリフでしかないのです。


相手を突き放すセリフです。

壁を築いて身を守っているんです。




自分が相手を理解できない、する余裕がないことを正当化する時に使います。



だって、こんなセリフ、昔はなかったですよ。


同調圧力から逃げたくて、使う人が増えただけなんですよね。

今はそうやってでも、自分を守りたい人が増えた。





でも実際対話を拒否するための壁として機能しています。


これを多用していたらどうなりますか?


一生相手を理解する視点、ソースの視座など得られません。



対話したくて、理解を諦めたくなくて、共感したい時、わかって欲しい時、こんなセリフ言いませんよね?


求めているのは共鳴、共感。


視点を重ねて、一緒に考えて、わかり合おうとする姿勢。


それを「それぞれでいいじゃん」で片付けるのって、果たして本当に高次の愛と言えるでしょうか?





では、さっきの例に戻ります



謝りたくない気持ち、相手に寄り添いたくない気持ち、ありがとうと言いたくない気持ちの、裏に隠された本音って、何でしょうか?




「あなたの言い方嫌だった」

「素直に言いたくない」

「相手が良かれと思ってるのはわかる」

「自分がまずかったのは認めたくない」

「私は悪くない」

「でも傷つけた」

「相手が正しいと思うと自分が間違っているみたいで気分悪い」


こんな思考や感覚、身体感覚がぐるぐるします。

これもまだ本音ではない。




「本当は分かり合いたい」

「わかって欲しい」

「そんなつもりではなかった」

「図星だったのはわかっていた」

「今プライドが邪魔している」

「自己防衛的になっている」


こういう所まで自分を分解していく



「あれを言われた時、まるでこう言われているように感じた」

「あの言い方されたら、自分がこうな気がした」

「自分はこう思っていたのに否定された気がした」

「謝らないとならないのはわかっていても、謝ればこれがこうなると感じてしまっている」

「そっちが良かれと思ってるのはわかっていても、苦しかった」

「あなたの愛や苦しみは理解しているけど、返せる余裕がない」




そしてさらに

「愛されていない感じがして嫌だった」

「分離感じたくない」

「あなたとひとつになりたかった」

「大切にされたい」


こんな素直な言葉が出てくる





ここまで掘れて、本音なんですね。


これを言われて、傷つく人はいません。

ここまでのことを伝えられて、やっと人は理解し合えるんですよね




表層の思考、脳内の言葉を、本音だし、伝えるべきと思って伝え、その結果大喧嘩、火に油注ぐなんてざらにあります。




「面倒臭い」

「正直にいたいだけ」

「そっちも言いたいこと言えばいいじゃん」

「忖度したくない」

「これが私なんだけど」




どうですか。

この言葉たちは愛ではないんです

壁です、武器です。


でもあなたは愛の存在なんです




あれはあなたではありません。

愛から遠のいた、誰かの価値観に染まった、生存本能が騒いでる、あなたではない何かなのです。





本音を正直に伝えるっていうのは、



今の状態を静かに見つめること

自分の中に起きている状態を紐解くこと

脳内の声や反応を自分と思わないこと

弱さズルさエゴを認める強さ

それを言語化する力

相手への敬意を履き違えないこと


これが揃って始めて

可能になることなんです




あと、


共感しなきゃならないと思っていると苦しくなる


理解というのは、相手の視点を自分の中に育てること

共感は、似た感情体験がないと起きないこと





ここ切り分けないと、


「は?無理に共感しろってこと?」

「自分に嘘つけってこと?」

「相手の望むこといい続けろってこと?」

「忖度しろってこと?」


って、またまた攻撃的になってしまう。

プライドが大暴れ、エゴが大爆発

上のセリフをそのまま相手にぶつけちゃう




これ、本音でもなんでもないよね

正直さって、相手への敬意や尊厳無視して脳内垂れ流せってことではないんです


こんな伝え方したり、喧嘩別れして、

気持ちよくなれる魂はいないはず




正直さや本音は、

あなたという大切な存在を

相手に理解してもらうために

伝えるもの


発散して気持ちよくなるために

することではなく

相手とも気持ちよくなるために伝えること


だから、

相手が正しく受け取ることと

セットなの


つまり相手の価値観や嫌う表現、

理解しにくい伝え方に固執することは愛ではない


相手の理解力に合わせる


相手を突き放して終わるのは

魂の望みではない


自分への冒涜だ


今は無理でもそのうち必ず理解し合える


壁や境界線、線引きというのは、

その時を待つために使うべきもので、

相手と世界を分かつために使うべきではない…



もっと言っちゃうとね☆


自分が本当に間違っていないと確信していたり、自分がブレないとわかっている人は、平気でどんな人の中にも飛び込んでいけるよ


相手への愛も、自分を強くする

失いたくない相手とは、とことん話そうと思うでしょう?




「どういうこと?」

「どういうつもりだった?」

「こっちの受け取り方はこうだったけど、ズレてた?」

「なぜあんな言い方したのか教えて」

「私はてっきりこうだと思っていたけど」




でね、昨今のこういう、スピリチュアルの、

開き直りブームってゆーのかな

人それぞれですよね、を、線引きに使うブーム


実際分離のために機能してたりするよね




それを使ったことある方は、

そのあと、相手を理解する努力をしましたか?


理解していると、こんな線引き

不要になるんですよね


相手が自己防衛的にはなって噛み付く時

理解している側は、


何も出来なくなってしまう…

距離を置くしかない…





私は、いつもソースそのものであろうとしているから、理解しようと思っている


時に相手以上に相手が見えていることもある

相手のことがよく理解できるんですが、相手の認知が追いついていないと、

「考えすぎ」「認知が歪んでいる」って取られる。




そーじゃないんですよ

こういう人他にも少ないがいると思う。


これ、全次元の因果が瞬時に流れ込んでる現象。


魂の同期が起きていて、情報の洪水が起きてるんだ。




魂があっても、

「面倒臭い」

「理解できない」

「どーでもいい」

で済ませる人まだまだいるんだよ。




日本人が、不安が強くて、考えすぎて動けなくなるのは、この因果読み解く力がすごいからなの。


これを、世間一般の浅い解釈に合わせて、

「起きていないことを妄想で過大にしている」

「考えすぎて脳内完結している」

みたいに取られると、不本意だね。


私だけではないと思うよ。




相手を理解してあげられない自分を正当化するための免罪符に、使わないでほしい




あと、「この言い方はこういう気持ちになるからやめてほしい」と伝えると、少し前なら、「分かった」ってなるところが

「それは、私を変えようとしています?」


ってなる人いるのも、今の世の中やばいなって思うw




殴った相手からやめてと言われたら、

「無意識に殴るのは自分らしさなので認めろ!」って理屈。。


自分らしさを間違って解釈している。。




相手と分かり合いたいなら、

相手の視点に立った言葉を使うんだよ。


言葉を尽くして

相手がそれでも理解できなかったら、

「それでもあなたを大切に思ってる。価値観は違っても、理解し合える。尊重し合える。」って伝え続けることだよね。




「あなたと私は違う存在だから」

「それぞれ別の真実があるよね」

は、その視点に立つことを拒否しているの。




もっともっと言うとね、


「人それぞれ真実が違うから

分かり合えない」は怠慢笑い泣き


分かり合えるよ。




日本人、殺人しなくても人を殺すことのやばさはわかるよね?


でも、殺人した人の気持ちになること、理解することとなると、急に心に壁ができる人は多い。



なぜ?

人を殺した人を理解しきったら、

自分が殺人鬼になる気がするから?



そんなの幻想。

人を殺す気持ちが、手に取るようにわかった時、自分を否定しきってくる人の気持ちが手に取るようにわかった時、あなたは誰とも分離しなくなるのよ。




相互理解を怠るな

自分が消耗するなど幻想だ

あなたは無限だ

昨今のご自愛ブームを人と分離することに使うな

言葉が通じなくても愛の波動は伝わる





線を引いたままにするな

それはあなたが弱いということと同じだ




あなたはソースだ

消えない、壊れない、飲まれない

存分に相手の懐に飛び込め




あなたと私は違うから

じゃねーのよ

あなたは私、私はあなた!!!


あの人は私、私はあの人!!!


違う視点から同じものを見ているの。

違うものを見ているわけではないの。




ひとり一宇宙なんて比喩が出てくるくらい、一人一人認知や認識の仕方が変わるってことから、いつの間にかパラレルワールド説やホログラム説が当たり前になっているけど。




宇宙も世界もひとつ。

視点が違うだけなの。

フィルターが違うだけなの。


相手がどう見てるか理解するために、言語があるの。言葉があるの。脳があるの。口があるの。耳があるの。




おひとり様を楽しんだあとは、また愛し合おう。