これは、対外情報機関設置への反対論ではない。それどころか、私自身は、数十年前から その必要性を主張している。
 今朝の某紙の見出しに、「9機関4000人、でも指揮系統バラバラ・・・」とある。あたかも、対外情報の指揮系統は統一されるべしという意見に味方しているようだ。しかし、その考えは、必ずしも世界で普遍的なものではないことを知っておくべきであろう。
 
 対外情報機関で最も典型的なのは、米国のCIA(Central Intelligence Agency)とか英国のSIS (Secret Intelligence Service - 通称MI6)で、国内の防諜活動を行う米国のFBIや英国内務省に属する保安局(Security Service - 通称MI5)と対比され、わが国で言えば、公安にあたる。
 さらに、日本には、内閣情報調査室があり、内外の情報を取り扱っている。米国にCIAとFBI、英国にMI6とMI5とあるように、通常内外は峻別されており、両者を一本化している のは、主として旧共産圏諸国である。
 
 もともと、内閣情報調査室の前身である内閣調査室(通称内調)は、戦前・戦中の官僚組織 解体を受けて、国の安全に関わる内外情報を分析整理する部署を内閣に置くべしとの考えが優先されて設立されたものだ。
 しかし、国の安全にかかわる情報は、時に極めてデリケートである。スパイ情報も入ろう が、政敵情報も入る。そして、それらは、権力の濫用に直結する。
 米英等多くの民主主義国で内外を峻別してきたのは、歴史的産物でもあるが、人類の智慧で もある。特に、片方だけでも大変機微であるのに、内外ともに一本化するのは、権力濫用を一層助長する危険を伴う。いずれ、日本も内外を分ける方向に進むのが賢明だと思う。
 
 その関連で想起したいのは、イスラエルの初代首相、ベン・グリオンである。
 独立してまもなく諜報機関モサッドを創立した時、側近が首相への情報提供ルートを一本化 することを主張した。
 ベン・グリオンの答えは、NO。「一人の人物が複数の対外情報機関からの情報を全て首相に上げはしない。彼は、膨大な情報資料をフィルターにかけ、選択した情報を首相に上げる。その際、人間だから、必ず見落としが生ずる。しかし、それは、一朝有事の際、首相が致命的な判断ミスを犯す直接的原因になるかも知れない。従って、首相への情報ルート は、常に複数でなければならない」と述べたと言われている。
 忘れてはならない見識である。いわば、ルートの重複は、一種の保険と捉えるべきものである。
 
 もう一つ重要と思われる諜報の要件は、対外情報機関員の資質である。
 一昔前、英国の元国防相情報局長Sir Kenneth Strong 少将は、退官後上梓した著作「トップにおける諜報(Intelligence at the top)」の中で、機関員には、警察官的資質よりは、外交官的資質が重要であり、また、通常の外交官以上のsecurity mindが必要であると述べている。その外交官的資質とは、資質文化の理解力、客観的観察力、洞察力、勘などであろうか。

 今からでも遅くはないと思う。少なくとも、内外を分離する体制を構築すべきであろう。対外情報機関と防諜機能(counterintelligence)の分離である。
 その芽を、「血税の無駄遣い」とか「組織の効率化」とか「予算の削減」とか一見最もらしい理屈づけで、あるいは、権力闘争によって、今から潰してはならない。それこそ国の安全を自ら脅かす存在になる恐れがある。人間の癖やヒューマン・エラーを踏まえ、権力濫用の危険を最小限に抑える体制造りこそ然るべきものだと思う。