貴婦人がNOと言えば、PERHAPS(多分)、PERHAPSと言えばYES、YESと言ったら貴婦人ではない。外交官がYESと言えばPERHAPS、PERHAPSと言えばNO、NOと言えば外交官ではない。
 これが常に真理であるかどうかは疑問だが、大昔から西洋社会での言い習わしである。
 例えば、これは、アジアでは必ずしも真理ではない。
 マレーシアの半島側では、一般的にPERHAPSと言えばNOであり、ボルネオ島のマレーシアでは、PERHAPSはYESと同義だ。
 日本ではどうだろう。よく日本人は、YESとNOがはっきりしないと言われる。確かに西洋人から見れば、そういう印象を受けるだろう。しかし、これは、日本を知らないからだと思う。
 
 日本では、相手の発言を肯定する時にハイと言い、否定する時にイイエと言う。不用だと思っている時に、 「これは要りますか」と問われればイイエと答え、「これは要りませんか」と問われればハイと答える。相手の言葉を肯定したからだ。
 ところが西洋人は、要らないと思っていれば、いずれの質問にもNOという返事をする。文章にNOTやNOが入れば、応答はNOとなる文法だからだ。彼らが日本人の応答に混乱する原因だ。

 加えて日本では婉曲な言い回しが伝統文化だ。先方の要求に対して、「善処する」と言えば、必ずしも要求を呑んだとは意味しないが、「善処」に相当する単語は、英語にはないから厄介だ。
 かつてニクソン米大統領が佐藤栄作総理に当時最大の懸案であった繊維問題で譲許を要求した際、総理が「善処したい」と述べたことが物議をかもした。通訳が何と訳したか不明だが、米側は、相当前向きの約束と捉えたようだ。
 これを「最善を尽くす」に近い言葉に訳したら、そう受けとるだろう。そういう場合には、「何も約束はできないが、自分に何が出来るか考えてみたい(I cannot promise you anything but let me see what I can do.)」とでも訳せば、日本語のニュアンスに近いかも知れない。
 約束ではないことを明言しながら、好印象を与えることができると思う。特に佐藤総理は、密かに英会話を勉強しておられたから、英語には、かなりの理解力があった。ご自分の言いたいことと異なる英訳をすると、必ず同じ言葉を繰り返されたから、通訳は、修正することもできた。
 
 総理も外交官も、自国の利益を代表していることは、どこの国も変わりはないが、お互いの信頼関係が基礎である。いわば「武士に二言はない」「貴方の言葉は貴方の義務」という世界だ。ロシアは、約束を幾度も反故にした 歴史があるから、約束違反の代償を高くすることがロシアとの条約締結の国際常識だが、日本も同類と目されない日頃の努力が肝要だと思う。