先日米国人の友人親子が久し振りに来日して、靖国神社と広島を見たい、昇殿参拝を経験したいし、附属する戦争記念館「遊就館」も見たいという。かつて日本に長期滞在したことのある二人だが、神社参拝も遊就館も初体験だそうだ。この時期に来日するとは勇気ある米国人だが、見学先に広島に加えて靖国神社を選ぶとは米国流チャレンジ精神か。
 二人とも40年来の親しい友人だが、彼らは米国民主党支持者で、中道派だ。
 父親の方は、国際問題に関する非営利団体で、アメリカの対外政策決定に大きな影響力を持つCouncil on Foreign Relationsに深く関与している。
 息子は金融問題及び世界の海戦に造詣の深いドキュメンタリー作家で、今秋には、日露戦争、第二次大戦を含めて、太平洋における戦史の著作が刊行される予定だ。

 当日、神社で落ち合い、皆で玉串料を納めたあと、控え室で神官から幕末以降の二百数十万人の戦死者の魂をまつっているとの説明を受け、手と口を清め、お神酒を頂き、お祓いを受け、本殿に昇殿し、暫し黙祷、参拝した。私は、戦死した海軍の伯父を思い、鎮魂を祈った。
 その後、2時間余りをかけて、遊就館の20室もある展示室を見学。時間の関係上、1本1時間弱の記録映画は割愛。正直に言って、私は、昔の展示とは大違いに改善されていて、全体として好意的印象を持ったが、二人には黙っていた。

 数日後、家内も入れた4人で夕食をともにした際、こちらから話題を持ち出す前に、靖国神社と遊就館訪問の感想を語り出した。
 カトリック教会の入り口では、水に浸した指を額にあて、祭壇ではひざまづき十字を切るのとは全く異なる神道儀式に、特に違和感はなく、非常に興味深かったし、神官との対話も初体験だがリーゾナブルな受け答えで好印象を受けたと述べた。また、闘った戦争を他国がどう批判しようと、自国民の戦死者に名誉を与えるのは当然と思うとも付け加えた。
 遊就館については、二人とも異口同音に、「戦争の写真は、いつ見ても快いものではないが、噂に聞いていた展示内容とは全く違った。第二次大戦の展示も、バランスがとれていて、フェアだと思った。例えば、いわゆる南京虐殺問題について、中国側の主張を併記していたが、戦争記念館として他国の主張を記すのは珍しい。この問題の機微さに配慮した気持ちが伝わってきた。なぜ外国が騒ぐのかよく分からない。また、日米関係については、特に不快感を感ずる場面は見当たらなかった。」と語った。正直、内心ホッとした。

 記録映画については見ていないので分からないが、現在の展示に関する限りは、いわゆる国粋主義者の牙城といった印象はなかった。勿論、完璧なものなどこの世になく、改善の余地はあるかも知れない。噂に聞く記録映画は、噂が正当なら、改善の余地があるのではないか。
 また、昔は、展示には英訳がなかったと記憶している。これも改善だと思う。

 今や、ネトクラシーの時代。ネット上で、各国の伝統文化さえ国際的な批判の対象にさらされる時代だ。でもこのような展示なら、安心して誰にでも見せられるのではないだろうか。