信号機に対する態度を見れば国民性がよく分かる。
ドイツ人は、ルールを執拗に守り、緑になるまで渡らない。車が一台も走っていなくても。赤を無視して渡ろうとすると、皆で止める。
イギリス人は、ケース・バイ・ケース。
中国人は、色に構わず渡る。信号機は、いわば道路の装飾品に過ぎない。
ロシア人は、中国人に似て、いつでも渡る。警察官が見ていなければ。
我々日本人は、ドイツ人的で車が全然見えなくても赤信号で待つが、誰か一人渡ると皆渡る。
日本人は、人間「関係」を人一倍大事にするからだろう。ラッシュアワーのぎゅう詰めの時を除いては。

某フランス人学者いわく、日本は、縁(えにし)の文化であると。
私なりに敷衍すれば、一旦関係ができると、相手が誰であれ、関係を悪くしないように細心の注意をはらう。
時には相手の無理な要求も、縁を大事にするあまり、どうにか融通しようと腐心する。

これが外交にも反映される。わが国は、米国や中国との「関係」の重要性のみ語り、相手が何であるかをあまり問わない傾向がある。関係維持を大事にするあまり、所謂軟弱外交と批判されるような結果さえ生みがちである。
しかし多くの諸国は異なる。例えば米国は、昔から日本及び日米関係双方の重要性を説く。ある国が何者かということと、その国とどんな関係を持つかとは本来別物の筈である。

例えば、相手がどういう国かを知り、望ましい体制が何であるかを決め、その望ましさに取り組む程度で相互関係を深くも浅くもする。どんな国とも「友好」関係を持つべしとは必ずしもならない。
英国は、ソ連時代、決して英ソ「友好」関係という言葉を使用しなかった。国民をミスリードするからであった。

日本は、情と安定を求め、中国は、利と力を求める。そして、尖閣、レアアース、ステルス戦闘機、大型空母建造で、中国への「情」は、控えめに言って、懸念と懐疑に変貌した。
だからと言って、感情に走ることも、オタオタすることもない。まだ相手は、戦闘態勢に入ったわけではない。
むしろ、中国の本音と建て前を峻別する好機であり、対策も一層たてやすくなった。
本音と建て前の違いを大事にする日本文化に立ち戻れば、対中外交もそれほど難しい世界ではないと思う。