突然ですがクイズです
「一朝一夕」
これなんて読むか知ってますか?
答えは「いっちょういっせき」です。「いっちょういちゆう」ではないですよ〜
では、次のクイズ
「的を得た質問」「的を得る」これは表現として合っているでしょうか?
答えは「No」
正解は「的を射る」です。
最近、SNSで見かける上記のような言い間違い、書き間違いがとても気になります。(他にも気になることが色々ある)
SNSでサラッと出てくるリアルでは関わらない人たちに向けてわざわざ「的を射る」が正解ですよ、正しい読み方は「いっちょういっせき」っですよってDMするのも違うのでアクションはしないですが、個人的にはこういう日本語の間違いについて、すごく気になるタイプです。
もちろん、私自身の日本語も全然完璧でないし、この前なんて「顆粒だし」って何と読むんだっけ?(正解はかりゅうだし)ってなることもあるので(自分の日本語力の劣化も感じます)お互い様ではあるのですが。
子供時代に母語である日本語を正しく(ここでいう「正しい」は広辞苑などの辞書に定義されている言葉)しっかり教わって、間違っている時はその場で教えてもらって正しい書き順、読み方、慣用句の使い方を習ったり本を読んだり読み聞かせてもらうことの大切さを強く感じます。
大人になったらよほどのことがないと誰も間違いを指摘してくれないからね。
高校時代に仲良しグループで「鐘がなるなる法隆寺」なのか「鐘が鳴るなり法隆寺」なのかで議論が分かれたことがあり、国語便覧で調べようとなって「鐘がなるなり」が正解だったね、なんて会話をした記憶もありますが、今、正しい日本語を正しいシチュエーションで使うことを大事にしている人ってどれくらいいるのかなってふと気になりました。
もちろん、スラング的な言い回しはあっていいと思うし、同年代でラポールを築いたりすることもできるのでスラングを使うのもありだと思います。
さらに言葉も時代の変化に伴って進化していくものだとわかっていますが、個人的には「美しい日本語」を使える自分でいたいなと思います。
子供たちに継承する日本語もなるべく美しい表現で教えていってあげたいなと思いながらアメリカに住んでいる我が子やスクールの生徒さんとお話しする時にはとても気をつけて言葉を選んでいます。
(夫が、「これでかいね」とか言うたびに「大きいね〜」、「やばいね」というたびに「〇〇なところがすごいね」と言い直している私)
ただ、"スラングもあり"、とか言いながらどうしても私が気になってしまうのは
「ってゆうことがあって」といった書き方をされる人がいることです。
話し言葉では「〜とゆうこと」と発音しますが、書き言葉は「〜ということ」が正解と習ってきた私はどうしても大人が「こうゆうこと」「こうゆう感じ」と書いていることに違和感を感じてしまいます。これも時代の進化なのでしょうか。
小学校でこのように作文に書いたら100%直されると思うのですが、今は違うのかしら??
私たちが学生の頃に議論になった「ら抜き言葉」の是非と同じ感じなのかな?とも思いますが、
海外で日本語を教えてる(スクールを運営してる)身からすると、正しい日本語を適切な時期に教わる(教える)ことってすごい大事なことなんだなって強く感じています。
日本語の面白さ、美しさをこれからも伝えられる自分でいたいな!スラングも使いこなしながら