幼稚園卒園しましたが、明日はお預かりで幼稚園へ行く予定の6歳娘です。
卒園してからも30人くらい集まって公園へ行ったり、場所を借りて子供たちも一緒にお食事会をしたり、王様戦隊キングオージャー王の秘宝展に行ったり、スイミングや体操教室へ行って習い事先のお友達と遊んだりと、楽しい春休みを過ごしております。
先週図書館へ行ったときには、久しぶりにヨシタケシンスケさんの絵本を借りていました。
「ぼく」は宇宙飛行士。いろんな星を調査するのが仕事です。
そして、いろいろな星で、いろいろなひとに出会います。
ある星で出会ったのは、前にも後ろにも目がある宇宙人。
「ぼく」が後ろを見えないことを知ると可哀想に思って、ものすごく気を使ってくれるので、なんだか変な気持ちになってしまいました。
地球では、後ろが見えないのが当たり前ですが、他の星には他の星の「あたりまえ」があるのです。
例えば、足が長いのが当たり前、空を飛べるのが当たり前、体が柔らかいのが当たり前……。
どこの星にも、その星の「あたりまえ」があり、どの星でも「珍しいからだ」になってしまう人間は、色々と苦労していたことを思い返しました。
前にも後ろにも目がある宇宙人のなかにも、生まれつき全部の目が見えない宇宙人がいました。
この宇宙人の「みえる世界」は、「ぼく」とは全然違うものでした。
例えば、自分の予定はメモの代わりに録音しておく、外を歩くときは杖を使う、自動販売機では買ってみるまで何が出てくるかわからない。
「ぼく」とはたくさんの違いがあるのです。
『ってことは、「べつのせかいにすんでいる」ってことなんだろうか。』
「ぼく」と後ろが見えない宇宙人は、目の見えない人の世界があるとしたらこんな感じなのかなと想像します。
例えば、声のいい人がモテる、手触りや匂いで服を選ぶ、粘土メモを使う……他にもたくさんの想像が膨らみます。
私たちは、みんながそれぞれ違っていて、全ての人が個性を持って生きています。
その違いは、自分で選ぶことができなかったり、変えることができなかったりするものがたくさんあります。
そして、他者と関わる時には、自分と似ているところに安心します。
自分と違うと感じて、わからない(理解できない)と思う相手に対しては怖く感じて、無意識に差別してしまうこともあります。
それでも、その人にしか見えない世界をお互いに話し合えば面白いし、興味深いし、お互いの違いを一緒に楽しめばいいことに気が付きます。
『おなじところを さがしながら
ちがうところを おたがいに おもしろがれば いい』
どうやら身体だけではなく、心も考え方も著しく成長したような娘。
年中さんの頃に読んだ時とは異なった感想を云っていました。
娘「おたがいにかー。どっちかじゃなくて、ふたりとも面白がるんだねー。どっちかだけじゃ、一方通行の面白さだもんね」
Oh!!軽く読んでるかと思ってた娘だけど、私が思ったより深く読み込んでるわ。