おはようございます
いつもお読みくださり
ありがとうございます

さて🌸

團菊祭五月大歌舞伎
昼の部
四世市川左團次一年祭追善狂言
歌舞伎十八番の内 毛抜

感想です
ちょっと悩みを抱えて向ってしまったので
さらっとしてます


オメッティのユーモラスさを味わえた毛抜でした。花道の出のお声は左團次さんそっくりでした。意識を感じる【似】でしたがそうすることでご自身を鼓舞したのではないかと思いました。回数を重ねてオメッティの粂寺弾正が伸びやかにある意味で自由になっていくのを見ていきたいです。

男寅さんは凛と見えました。

松也さんはこちらにも出演で忙しそうでした。秀太郎役いつかだめですか。

萬次郎さんの味わいが運んでくれる軽やかさがとても魅力的でした。どこか楽しげでこちらもウキウキとした気分になりました。

梅枝さんのビビビを味わえたと思ったら今月はお父様の時蔵さんのビビビを味わえて色っぽくてかわいかったです🌸

梅枝さんに絡む男女蔵さんは腰の動きがあまり無くてセクシィぶりは控えめに感じました。おおらかで好きな味わいでした。
苦悶に歪んだような梅枝さんの表情、色っぽいよね。ふふふでした😁

松緑さんの難癖ぶりは可愛く感じました(誉め)

鴈治郎さん(柔らかみが光になるのよ)、権十郎さん(お声が好き)、又五郎さん(玄蕃のお顔ぶりが何か彼独特の妙があって面白く思いました)

菊五郎さんの登場が嬉しくて尊くて彼の登場で空気が変わるのあったかくて幸せ
スックリと立ってくださって
左團次さん追善に闘い舞台に生きる姿目にできてよかったです

團十郎さんの後見は登場でさすがに場をさらいますが男女蔵さんを背後でお支えでした


今日も素敵で無敵な一日と
なりますように


では、また






連日こんなでごめんなさい
他のおうちに憧れる時があります
うちのやり方は難しさもあります
そのことはたくさんの人たちにも心に留めておいてほしいなと寂しくなることもあって
彼女の在り方が私達へ背負わせた負担もあるし
ねじれ構造のようなものも発生してる感じとか
私の推しをセンターにする意志の集合体で運営ができているわけじゃない難しさみたいなのを感じててそうしてぐっと呑み込まなきゃいけない場面がいっぱいあるから
彼も長年周囲にはわかりにくくそうだったのかな、と思うと・・・
私は、敢えて意見偏ることにしたです

一門が自主公演を開催できた芝翫の喜びとか単純に会員に伝えてもくれないんだなって。一言でも欲しかった。公演案内のついでででも番頭さんの一言で出演はなくても芝翫も喜んでいましたよと添えてくれるとか。芝翫の一門のことだし芝翫を中心に集まった会の会員なのに彼が喜んでいるかどうかも橋渡ししてもらえないなんて。
色んなことがずっと応援してた会員真っ先じゃないんだなって。女将である彼女に資格がないわけじゃないから文句も言い難く
そんなさみしいが積み重なって苦しくなるときもあってやっぱり他はうちらを凄い特別扱いしてくれることを思って比較した時地味にでも確実な寂しさが降り積もる。会員はいつも2番手3番手みたいな。私達も応援してるのにな、て


やんわり見えにくいところで芝翫に意地悪な采配に思えてしまうこともあって(←芝翫が結局自分自身のファンに自分自身を伝えてもらえてない感じが)大丈夫なのかと心配で心配で
広く伝わる投稿の場があることは良いことなのだと思います。でも違和感もあって。ほかのおうちが羨ましいです

芝翫を応援している達成感を、ファンそのものにはくれない感じというのか。ママのイベントにされちゃう感じというのか。美味しいとこ食べに来る人です。シズカの顔したジャイアンみたいです。それは獲らないでと頼んでも穫っていってしまうような。多分タレントとしてのママを運営する存在達が手練なのだと思いますしその人たちにとって私達は価値が低いのでしょう。

何かバランスが・・・他のおうちがしてくれることと違うです。何かが苦しくて助けて欲しいです
シンプルな、他のおうちのようなやり方が、羨ましいです
わかってもらえないでしょうけれど
とても苦しくなってしまって

一般公開出来る芝翫そのものをメインに発信していく場が欲しかったショックもあって(ずっと後援会を通してお願いしていた)

ママたちのやり方をするなら彼と彼のファンがメインの場が無いとバランスが悪く感じてしまうのに彼はそういうことに慣れている人ではないから、そんな時、ああ、彼女が普通の人だったら良かったなって、悩んだり

彼女にSNS始めてもらいたくなかったのが
正直な気持ちでした
また私達は後回しになるのだろうなとこわくて嫌だった
表現者としての彼女に利用されるようなさみしさや違和感や彼女のやり方は表現者としての彼の力になるのか緊張して仕方なくて

【梨園で頑張る彼女】という【商品】をいつだって私達は優先させられているような不安がのしかかってきて
開放されたくなります
商品である彼女から開放されたくなる
彼女という商品を背負ってるのはこっちもなのに
彼女に尽くされてるねをやたらに周囲から押し付けられたくもないです

更新はスタッフの人たちがして彼女は裏で見守るパターンであくまでもメインは彼で。そんなアカウントほしかったです。そのアカウントをママのアカウントで紹介していくようなやり方とか、そんなのが良かったです

推しをどセンターにしたいのがファンでしょう。厳しい道になってもそんなのを彼と一緒につくってみたかったです

今度の自主公演では
芝翫の喜びを私達にも伝えてくれるでしょうか
もしまたなかったら、さらに私壊れてしまいそうです

推しをセンターにする力になってくれるはずの人がセンターの座を奪ってしまってるような苦しさ本末転倒な違和感。誰にもわかってもらえないと思うけど
苦しいです
彼女という商品のために背負ってる負担がこちらにもあります彼女のファンのために譲る場面も彼女に見せ場を作ってあげなきゃいけない感じも全部疲れてやんなっちゃうこともあります

彼女を見せるためのイベントになっちゃったなで終わらないように
もっと工夫を
彼女が発信すればそれでおしまいみたいなのはやめて欲しい。そこはママの表現者としての場所なのに

大切なことでも外へ向けての発信と宣伝ばかりに偏らず今居る彼のファンも大切にしてほしいです
もっと地味で些細な積み重ねも惜しまないで欲しい
公演案内のついでになってもいいから芝翫の喜びを伝えてくれるとか何故自主公演はそれを会員に向けてこそ出来なかったのか今も謎な気持ちでいます
彼が居るからこの後援会はあって一門が存在しているのに

彼女を見せるための道具みたいに終わりがちなのはなんでだろうどうしたら改善できるのだろう

役者のためより
彼女をセンターにすることに慣れてきたスタッフさんたちのチームだからとかなのかなあ
今も実は私達のためじゃなく
【梨園で頑張る三田寛子】(←実は頑張ってない、という意味じゃない)という作品をよく見せるために動いてるからとかそれが違和感になってるとか
宣伝や発信と
私達の手元に届く実際と
何かが違うような

きっとチームそのものが彼女をセンターにすることが普通すぎてわかってないのかも見えなくなってしまってるのかも彼のファンのこととか

わからない

何か違和感に
潰れてしまいそうで

この微妙な違和感を三十年以上抱えてきたのなら彼と彼のファンの我慢強さにも驚きます
頑張ってきたのだと
めちゃくちゃ褒めたいくらいです
労われたいです
彼と彼のファンもこそ
この【作品】を支えてきたと

わかってもらえないでしょうけど😂