みなさんこんにちは

橋屋です

 

 

 

 

対人関係で本音が言えない

今日はそんなテーマを深掘りしたいと思います

 

 

  嫌われるのが怖い

 

 

 

相手に本音が言えないという悩みは

大きくざっくりいうと嫌われるのが怖い

というテーマがある訳ですが

 

 

 

 

嫌われて傷つくのが怖いから

人と関わらないという選択をする人と

 

 

 

 

嫌われるのが怖いからいい人になって

人と繋がるという選択をする人に分かれます

 

 

 

 

 

人と繋がるという言葉は共通でひとつですが

意味合いは使う人によって違います

 

 

 

 

どんな繋がり方を本人が望んでいるか?

でその人の悩みや問題、テーマも変わってきます

 

 

 

 

 

お互いに対等に尊重しあったり

信頼や暖かさで助けあう関係を望む人もいれば

 

 

 

 

 

一切否定されず自分の意見は全同意されたい

自分だけが特別に愛される繋がりを望む人もいます

 

 

 

 

 

人と繋がると一言で言っても

深掘りしていかないと本意って出てこないんです

 

 

 

 

 

本音が言えないというお悩みは多くの場合

嫌われるのが怖くて

実際に幼少期に親から嫌われてきた

という事実がある人がほとんどです

 

 

 

 

 

否定されたり兄弟姉妹の中でも

自分だけがいじめにあっていたり

粗末に扱われたり

悲しい過去は実際にあるのです

 

 

 

 

 

親自身の問題も必ずあるので

セラピーでは親自身の問題は親の問題として

分けていく事をしていきますが

 

 

 

 

二次的に親がどんどん子供を嫌いになる

というパターンもあるなと思うのが

親子の役割逆転が行きすぎた場合です

 

 

 

 

 

親の精神的ストレスや慰め役を

子供が親の親がわりとして

立場が逆転していく事役割逆転と言いますが

 

 

 

 

 

役割逆転で有能感が増えた場合です

親の世話をやってやってる

親に華を持たせてやってる

自分の方が凄くて親の方がしょぼい

 

 

 

 

 

親を無力化してお世話をしながら

親を見下している場合

 

 

 

 

そりゃあ相手もうざくなります

あんた嫌い!!が強くなる

 

 

 

 

そして自分は親に嫌われている

粗末に扱われているとそこだけ見ても

解決はしないのです

 

 

 

 

 

 

  言えない本音とは何か?

 

 

 

親のお世話を見下しながらしてきた人は

その時点で自己有能感や優越感が肥大化

 

 

 

 

 

自己過信が大きくなっていき

ありのままの等身大の自分でいられないのです

 

 

 

 

 

実際に子供が物理的に大人を助けられる

人をなんとかできるという事自体

不自然な話なのです

 

 

 

 

 

親子の役割逆転というのは

深掘りしていくと親よりも

上から目線になっているというところです

 

 

 

 

 

さらに深掘りしていくと

あんたよりも自分はすごいという見下し

あんたはどうせできないという見下し

私に感謝しろという怒り

私を敬えという要求

 

 

 

 

 

怒りながら見下しながら

満足するまで終わらないという

親への執着でもあります

 

 

 

 

 

 

この本音を隠さないと

人に嫌われるのは必然です

どうせあんたできないでしょ目線って

フツーに不快ですよね

 

 

 

 

 

だけど解決していないと言動には

溢れ出てしまうので周りから見ると

マウンテラーだったり嘘つきだったりで

 

 

 

 

 

でも本人は嫌われるのが怖いという

根底の恐怖があるので

 

 

 

 

 

相手が自分を受け入れてくれるように

相手によってコロコロと自分を変えたり

話によってその場その場で嘘を重ねるので

 

 

 

 

 

変えすぎて演技しすぎて

自分でも訳がわからないという形になっていきます

 

 

 

 

 

自分がわかるようでわからない

防衛と自己否認が起きながら

ずっといきている状態です

 

 

 

 

 

 

  真の問題はどこか

 

 

 

 

自分の事が分からないのは

自分が自分の事を受け入れる気がないからです

自分が自分のいい所しか受け入れる気がないからです

 

 

 

 

 

自己否認ですね

 

 

 

 

 

白い、綺麗な、良い、善良な、正しい

素敵な、陽な、ポジティブな

そんな自分しかいないと信じてる

 

 

 

 

黒い、ずるい、悪い、間違った

根性わるな、陰な、ネガティブな

そんな自分はいないと信じたい

 

 

 

 

そんなわけあるかーい

そんなわけねーやんかー

 

 

 

 

なんですがどーしても

受け入れたくない!!

強い抵抗が起きているんですが

 

 

 

 

認めたら受け入れたら

統合のプロセスが始まるのに

ずっと拒絶しているから

どんどん自分が分裂していきます

 

 

 

 

 

自己分裂パッツーン。こんな感じです

 

 

 

 

 

 

自分の一部である悪や闇、ネガティブを

自分が許していないのです

 

 

 

 

 

これが本当の自己否定です

 

 

 

 

 

 

  自分にどんな体験を与えたいか

 

 

 

 

 

自分の闇や陰を認めて受け入れるというのは

そんな自分をなくす、排除するという事ではないし

 

 

 

 

また、闇があるんだからこれでいいやんけ!

と開きなおり人に使い続ける事でもないと思います

 

 

 

 

 

自分がどんな感情や感覚を

使い続けているか

どんな在り方を続けているか

 

 

 

 

 

本当に受け入れる事ができていれば

人との関係性で思いやりが出てくるはずです

 

 

 

 

人を見下さなくても成り立つ人間関係を望むし

敵意や我欲、意地悪やマウントをする前に

 

 

 

 

どんな自分でありたいか?を

選ぶ余白があるはずなんです

 

 

 

 

 

それは自分に対しての誠実さだし

相手に対しての真心になっていくと私は思ってます

 

 

 

 

私たちはいつも選べるし

自分の意志はいつも本当は尊重されています

どんな自分で在りたいか?

自分の人生にどんな体験を自分に与えたいか?

 

 

 

 

ここに人の動きは関係ありません

こののぞみが本当の欲求だと私は思います

 

 

 

 

相手に受け入れられるために生きるのも

幼児退行のわがままだし

相手を無力化してお世話するのも

自己過信の肥大化です

 

 

 

 

ありのままの自分というのは

等身大の自分で生きるという事です

 

 

 

 

等身大のありのままの自分の立ち位置から

本当ののぞみを放っていきましょうね

 

 

 

 

 

それではまた!!