先日一月分の肉と魚を

仕入れに行ってきましたwww

 

 

 

うちは共働きなのでご飯に関しては

冷凍庫にさえ何かあれば

なんとかなるみたいなノリです

 

 

 

 

スーパーに寄るのがもうストレスww

でもコストコでっかくては好きww

 

 

 

みなさんこんにちは

橋屋です

 

 

 

 

さて、私は結婚・出産が遅かった

のもあって子供が生まれてから

旦那と話しあい、毎日の生活の中で

どちらか1人にしかできない事

なるべく作らない事にしました

 

 

 

 

どちらかが明日死んだとしても

この子を育て抜くのじゃ!!という事で

 

 

 

 

この人にしかできない事

この人しか知らない事

を作り上げていく方向性で

いくのはやめました(我が家はね)

 

 

 

 

 

どちらも協力しながら

お互いにできるえる限りは協力し合う

これはからはチーム戦だ!!

みたいなノリで初めてかれこれ10年です

 

 

 

 

 

なのでお互いに得意不得や

バランスはありますが

 

 

 

 

 

旦那も男飯ですがご飯を作るし

私も自分が仕事をしてお金を稼ぐ

というスタイルでやってます

 

 

 

 

 

 

パートナーシップ

 

 

 

 

 

 

夫が育児を手伝ってくれない

妻と分かり合えない

パートナーシップの悩みや問題は

家庭内だけではありません

仕事でもパートナーシップを組んで

人と仕事をしていきますよね

 

 

 

 

 

夫婦問題やパートナーシップで

よく問題になる人に共通するのが

 

 

 

 

 

手伝ってもらえない

いつも1人でしんどい

という悩みと同時に隠れ併せ持つのが

 

 

 

 

 

だからといって実際に自分の

仕事や役割を任せられない

というWバインド状態

の人も多いかなと思います

 

 

 

 

 

根底には役に立たない自分には価値がない

ありのままの自分で人と繋がるのが怖い

 

 

 

 

 

などという恐怖心や孤独感、無価値感

などが隠れている場合が多いのですが

 

 

 

 

 

そんな人が持つ生きる前提(信念)は

自分の気持ちは分かってもらえない

という事を信じてやまない事と

本当は相手に分かって欲しい

という願望がたくさんあります

 

 

 

 

 

その願望がいつまで経っても叶わないから

諦める感覚と同時にいつも

怒りながら生きています

 

 

 

 

 

 

うまくいかない"原因"はここ

 

 

 

 

 

 

こういう前提は幼い頃から

自分の思いを根こそぎ否定され続けたり

自分なんてどうでもいい様に扱われたり

放置を通り越して

家族に好きな様に動かされる

ちょろい存在として道具にれたり

 

 

 

 

 

 

どれも自分の存在自体を

簡単に軽く扱われ

真面目に扱われる事を

知らない環境で育ち

そんな感覚で親と繋がりを育んできた人は

 

 

 

 

 

 

私は大事にしてもらえない

私の気持ちはわかってもらえない

私の気持ちは伝わらない届かない

 

 

 

 

心の中が怒って癇癪を起こしているのを

隠しながら生きています

 

 

 

 

 

 

 

そしてしんどい、助けて欲しい

と思っていても実際に人に助けを

求めたり任せたりすると

 

 

 

 

 

自分の存在感の必要のなさや

寂しさがブワッと出てきそうで

キツくて絶えられなくなるから

 

 

 

 

 

自分が人の手を借りたりするのを止め

ひとりで頑張る事をまた選んでいき

 

 

 

 

 

ああ、やっぱり誰も(あの人は)

わかってくれない

と最後にここまできてまたLOOPします

 

 

 

 

 

過去の原因に振り回されて

今の現実で新しい選択を出来ずにいるんです

 

 

 

 

 

解決の為に"見る所"はここ

 

 

 

 

心理セラピーでは過去のトラウマ

恐怖や不安という孤独や絶望感を

解放していきますが

 

 

 

 

 

わかってもらえない私は

恐怖があるから恐怖の解放!

といった事だけでは解放の

プロセスを踏めません

 

 

 

 

わかってもらえないという気持ちを

根強く持っている時は

怒っています。ふてくされています

 

 

 

 

 

だからといって助けて欲しい

協力して欲しいという一言を簡単には

言いたくない

(負けたくない負けるもんか)

という自分もひっついていたりします

 

 

 

 

 

惨めさや恥の感情や感覚が

自分の存在価値とがっつり

紐付いて自分は惨めな存在

というのを握りしめていたり

 

 

 

 

 

人との繋がり(関係)の中で

惨めさという感覚に敏感になって

惨めな自分をどこかで感じながら

惨めでない自分でいれる様に

探しながら避けながら

 

 

 

 

 

自分のポジションどりを

しているかもしれません

 

 

 

 

 

怒りや惨めさで親と繋がってきた人は

今の現実世界でも怒りや惨めさの感覚で

人と繋がっていこうと自分が選択していきます

 

 

 

 

 

自分が何を選択しているか?

自分がどんな感覚で繋がりをしているか?

セラピーで本当に大事な所はここだと

私は思っています

 

 

 

 

自分が何をチョイスしているか?

自分が何を採用しているか?

ここの視点なのです

 

 

 

 

 

この視点とこの立ち位置に立たない限り

 

 

 

 

 

自分が変わっていく

自分が変化を起こしていく

自分が人生を作り出していける

自分には変化していく力がある

という所に到達しないからです

 

 

 

 

 

私達には本当は力がある

 

 

 

 

この本当の意味を知ろうとしないから

体感でもわかろうとしないから

 

 

 

 

 

相手に任せればいいものを

相手の体験や経験、責務まで

自分が奪う事で

相手を無能化し自分を有意に立たせたり

 

 

 

 

 

自分の恐怖や不安から逃げるために

相手を支配コントロールしている自分

ここをしっかりと見れるかどうかです

 

 

 

 

コインに表裏がある様に

光と闇がある様に物事も表裏一体

 

 

 

 

 

 

自分の闇を見つめるというのは

自分のやっている事を

どちらの面からも知っていくという事です

 

 

 

 

 

 

 

幼少期に親との繋がり感が

不信感や不満感だと

私達は人と健全な感覚で繋がっていく

という能力が育ちにくくなっていきます

 

 

 

 

 

満足していないから卒業せず

次の成長段階へいく事に

だだをこねます

これを心理学では幼児退行と言いますが

 

 

 

 

わかってもらえないという人が望む

わかって欲しいという感覚は

 

 

 

 

 

言語レベルではなくて

自分と同じ行動で

自分と同じ感覚で

自分と同じ体感覚や温度で

自分と同じ熱意や量で

自分と同じ世界観で

という所に長い間こだわっていたり

 

 

 

 

ぴったりきっちりフィット

密着感をのぞんでいたり

一体感・同一感を心の奥で

渇望していたりすると私は思います

 

 

 

 

 

この感覚わかってよ!

この感覚になってよ!

この感覚になれよ!

この感覚でやれよ!!

 

 

 

 

 

と未解決のままだと支配性や攻撃性

敵意や依存の欲望が増えていきます

 

 

 

 

 

だだをこねて受け入れてくれる人を

わかってくれる人、味方な人という

カテゴリー分けをしていきますが

 

 

 

 

でも本当はこの意味合いは

自分が思うように支配ができる人と

自分が望んだようには支配できない人

の違いです

 

 

 

 

 

都合のいい自分だけを

見ていく事ではなく

どんな自分も受け入れていく

というのが自分の内側と向き合うという事です

 

 

 

 

自分の支配や依存というのは

幼児性が未解決だからこそ出てくるのです

 

 

 

 

分かり合える世界観とは

 

 

 

 

 

 

さて我が家では私と旦那で

どちらかにしかできない事は作らない

という作戦で始めた家族運営ですが

 

 

 

 

 

私が仕事で夜遅い時など

旦那の洗濯のほし方は雑だし

洗い場に鍋や食器てんこ盛りです

 

 

 

 

 

 

私と同じようにやんなよ!!

やれよ!!!と幾度も話ましたが

全く1ミリも通じませんでした

 

 

 

 

 

 

子供のおもちゃが散らかっていると

幸せを感じるそうです

 

 

 

 

 

 

キッチンでは料理の鉄人気分で

やると自分も子供も楽しいらしいです

後でまとめて洗う方がいいらしい

 

 

 

 

私はひとつずつ終わらせたいし

片付いている部屋が気分がいい

 

 

 

 

 

全く違うわけです

 

 

 

 

 

旦那ともたくさん衝突しましたが

私達には子育てという同じ目的があるので

たくさん話してたくさん試してきました

 

 

 

 

 

とことん話し合えば分かり合える

というフレーズがありますが

 

 

 

 

腹を割ってとことん話し合えば

「私とあなたは違う」

という事がお互いにわかる

ということだと私は解釈しています

 

 

 

 

 

相手との違いをお互いに理解し

尊重し合う事を

自分もするという事です

 

 

↑これをやってる時は自分の世界のみで

相手のことはお構いましなんです

 

 

 

 

 

相手は違う意見や気持ちがある事を

わかっていなかったり否定や非難しているのは

自分自身だったりします

 

 

 

 

だけど

違う人間同士だからと言って

繋がれないわけじゃない

 

 

 

 

 

違う人間同士だからと言って

大事にされていないわけじゃない

 

 

 

 

 

自分の依存や支配という

こだわりが乗っかるからもつれていくんです

 

 

 

 

 

相手との違いを受け入れる

相手を尊重するという事は

 

 

 

 

自分を尊重していないとできません

自分の見たくない部分も受け入れていないと

結局できないのです

 

 

 

 

 

自分自身を受け入れた範囲と

相手への許容範囲は比例します

 

 

 

 

 

だからまずは自分を受け入れていきましょう

という話になるのです

 

 

 

 

 

 

そうする事でお互いの世界観を

知っていきながら時々共有しあいながら

少しずつ許容範囲が広がって

違う世界が自分にも

広がっていく増えていく

 

 

 

 

意識が広がった状態ですね

 

 

 

 

 

これは私が思うにピースな世界です

なぜなら思いやりとありがとう

というベースでつくる世界観だからです

 

 

 

 

 

育児をしながら好きな仕事ができている事

家族や周りが協力や応援をしてくれる事

だからこそ私も家族の応援や協力もしたいし

 

 

 

 

 

そして意外にも料理の鉄人になったつもりで

キッチンへ入るとなんかおもしろかったんです

確かに鉄人は時間との勝負だから

いちいち片付けたりしないw

 

 

 

 

鉄人ステートで料理すると

それだけでも子供が笑うし

確かに自分でも笑える

家の中でクスッと笑いあえる事は

私の人生の中では嬉しい事でした

 

 

 

 

 

違いを受け入れるというのは

切り離して自分の世界が

狭くなっていく事ではなくて

知らなかった自分の世界が

広がっていくという感覚です

 

 

 

 

 

これが私が思う人とのつながりの中で

違いを受け入れられない

分かり合えないという悩みが

解決した世界観です

 

 

 

 

 

 

人間関係で悩む時は

切り捨ての前にご相談くださいね

 

 

 

 

 

それではまた!!