朝晩が一気に寒くなってきました

いかんせん毎年この時期は体調崩すので

私は体調管理ババアになります

 

 

 

 

みなさんこんにちは

京都・大阪で自分を責めてしまう

トラウマや人間不信の

悩みや問題を解決しています

橋屋です

 
 
 
 
先日は地域の運動会に参加してきました
今月はもう一本運動会がありますw
 
 
 
 
運動会めんどくせーと思いながら
綱引きに人数たりないから出て!
と駆り出されて嫌々出ましたが
だいぶ喜んでやってる写真を
ママ友が送ってくれました
 
 
 
 
びっくりするわ、、自分、、、。
次の日全身筋肉痛でしたw
 
 

 

 

  いつもどんな時も不安

 

 

 

 
 
さて、子供の運動会や行事にいくと毎回
我が子の変化と成長にじわーっときます
 
 
 
 
我が子は今年4年生なんですが
もうずっとお友達と一緒にいて
私のところに来るのは用事のある時か
必要な荷物を取りに来るだけww
 
 
 
 
以前はずっと私の側をまとわりついて
幼稚園の頃は運動会の行事は何もやらず
先生に手を繋がれてしかめっ面の写真ばかり
 
 
 
 
一体この子はいつになったら
みんなと同じ様にやるんだろう
なんでこの子はみんなと同じ様に
積極的にやらないんだろうと
いつも悩んで落ち込んでいました
 
 
 
 
今思うとあの頃の私は
いつも自分は
間違えると思っていたし
いつも自分は
誰にもわかってもらえないと思っていたし
いつも自分は
人よりも劣っていて何もない
 
 
 
 
 
そんな自分に対する自分への
ジャッジと価値観でいっぱいで
心の中は孤独感や無価値感で
いつもどんな時もw不安でした
 
 
 
 
孤独感の中にいるくせに
外側の誰かや何かと比べたり
外側の正解や不正解を探したり
一体何を見てどこに向かって生きているのか
さっぱり自分でわかりませんでした
 
 
 
 

 

  無価値感が生み出す強い劣等感と孤独

 

 

 

 

 

 
そんな体験は私だけでしょうか?
似たような感覚があるとするなら
もしかしたらこんな幼少期の親との記憶が
まだあなたを縛っているかもしれません
 
 
 
 
・自分の発する言葉はいつも否定された
・親の機嫌や都合に振り回されていた
・兄弟で比較やひいきが強かったた
・親に嫌われていた
・失敗すると攻撃された
 
 
 
 
こんな体験が日常になると
ああ、自分はひとりぼっちなんだな
ああ、自分はいらないんだな
ああ、自分ってどうでもよくて
欠点ばかりでいいところなんてないんだな
という孤独感や無価値感が
自分自身なんだと錯覚していきます
 
 
 
そうすると、じゃあ親がOKくれる
できる自分になっていこう!
じゃあ、親が優しくしてくれる
弱った自分になっていこう!
 
 
 
じゃあ、が、、、、
親という自分の皮膚の外側
に正解や基準を合わせにいく事が可能になれば
親に愛されて褒められて受け入れられて
幸せになれるんじゃないか???と期待し
無意識に学習を積み重ねていきます
 
 
 
 
 
でも、親がOKを出してくれる日は
残念ながらきません
そして自分が満足する日も
残念ながらきません
 
 
 
 
 
なぜなら親は親自身の都合や
親本人の不安や恐怖という
本当は親本人にしか解決不可能な
悩みや問題を抱えているので
本人が解決しない限り親本人も
満足も納得もしないのです
 
 

 

 
だけど子供はあんたのせいだと
親に教え込まれるといとも簡単に
飲み込み自分のせいだと受け入れて
しまうんですね
 
 
 
 
 
これが自己否定の始まりです
自己否定を解決していく上で
大事な事は表層の意識で
自分が嫌い、自分を責めてしまう
と捉えられる場所のものではなくて
 
 
 
 
もうはっきりとは思い出せないけど
受け入れざるを負えなかった
飲み込まざるをえなかった
そんな状況下に自分がいたと
認めてあげる場所まで自分自身が
いく事で根元がゴロっつと出てきます
 
 
 
 
セラピーはその場所から始まります
なのでね、深いんですよ
安全に扱う必要があると私は思っています
 
 
 
 
 
ここまでいくと本当は不安だった事
こわかった事、むなしかった事
悲しかった事、惨めだった事
寂しかった事、そして自分の生きる
世界に絶望した事などがたくさん
たくさん出てきます
 
 
 
 
本当は自分が感じていた気持ちが
蓋を開けるとドバーっと出てきます
 
 
 
 
 
なので、いやな感情や感覚って
本当に消し去る事というのは
できないんだなといつも思います
 
 
 
 
親のために自分のために蓋をして
いるだけでその蓋自体が自己否定
という分厚い蓋になっています
 
 
 
 
 
それくらい子供は自己否定しながらでも
親が好きで親と一緒にいて繋がっている
暖かさに包まれる感覚が欲しい
 
 
 
親との分離感を必死に埋めようと
頑張るのです。とても健気に。
 
 
 
 
大人になって、いろいろ頭では
思考ではわかっていても
なんだかうまくいかないという
不全感がいつまでもあるのは
体が覚えているからなんですね
 
 
 
 
なので自分は親に
愛されている受け入れられている
という感覚がない、わからない
というのは人に愛されている
受け入れられている大事にされている
という感覚自体がわからない
 
 
 
 
なので満足とか満たされる
という感覚も同時にわからないのです
 
 
 
 
わからない、わからない
いつもこんな言葉が頭の中に
自動的に鳴り響くのも特徴です
 
 
 
 
ずっと孤独でどうしていいか
わからない
欲しい答えや欲しい感覚が
どこにいけばあるのか
わからない
 
 
 
これを愛着不全と言います
 
 
 
 
 

 

  どう解決していくか

 

 
 
さてこの愛着不全によって
様々な悩みや問題を作り出していきます
 
 
 
 
いつも人の顔色を伺ったり
嫌われるのが異常に怖かったり
劣等感が解決されない事で
人を見下したりバカにする事で
自分を正当化したり
いつも我慢して怒りを溜めては
ブチギレる時は全て捨てる覚悟だったり
 
 
 
 
でも、ご安心ください
解決していく事は可能なんです
 
 
 
 
私もセラピーでひとつひとつ
自分の中の恐怖や不安や絶望感
惨めさや恥、孤独感、寂しさ
途方にくれる無価値感や罪悪感
虚しさや怒りや憎しみや無力感など
 
 
 
ネガティブと呼ばれるあらゆる感情や
感覚を受け入れてきました
 
 
 
思い出したくない過去や
うまくいかない現実を
ひとつひとつ向き合おうと思ったのは
 
 
 
こんなに自分を否定していては
我が子に愛情を渡せないと限界を
感じた時からでした
 
 
 
 
ネガティブな感情や感覚を
これも自分のものなんだと認めて
受け入れていく時、自分の一部が
戻ってくる様な感覚になります
 
 
 
 
手放すというのは切り離したり
捨てたりするのではありません
自分の中に受け入れていく事です
 
 
 
 
 
そうするとネガティブもポジティブも
自分の中にあるんだという新しい感覚
なのに落ち着いた感覚にもなります
 
 
 
 
ネガティブ、ポジティブと
どちらかを行ったりきたり
振り幅ででかく振り切るのではなく
両方を含めた真ん中にいられる場所を
中庸ともいうし統合されたとも表現されます
 
 
 
 
そしてこの場所が
一番意識状態が緩やかで広いと感じます
セラピーでは中庸を目的地とします
 
 
 
 
劣等感を抱え持ったまま
有能感の自分に振り切っても
心はしんどいからです
これは自己肯定感は高まらないし
解決ではないのです
 
 
 
ここが自己否定の落とし穴で
多くの人が苦しむところかなと
思います
 
 
 
 
さて、今年の地域の運動会でふと
私は分かった事がありました
 
 
 
 
ずっと不安だった子育てと自分自身
でも今この場所から過去を振り返ると
 
 
 
何も参加できずしかめっずらの我が子
のそばにはいつも先生が手を繋いで
いてくれた事
 
 
 
私ひとりで子育てしている気で
いたけどいつも旦那と協力して
生活をしていた事
 
 
 
私の写真を撮ってくれる
ママ友ができていた事
 
 
 
 
娘の過去の姿と今の姿を見て
大きくなったなと私達の過去を
記憶してくれている友人がいる事
 
 
 
失敗だらけの仕事でも
フォローしてくれる仲間や
見守っていてくれている上司がいた事
 
 
 
 
ひとりでやっているという
世界観で生きていた私、、、、
思いあがっていたんだなと
感じたんです
 
 
 
 
まさに劣等感と自己愛の肥大化
という幼児万能感の中にいた
孤独の中にいると傷つかないけど
本当の成長や進化はしない。
 
 
 
 
そして親から愛情が
もらえなかったとしても
 
 
 
そもそも
ひとりでなんか生きていない
誰かの思いやりや優しい目も
あったんだなと分かったんです
 
 
 
 
 
そしたらありがたくなって
あ、なんか泣きそう!と
目の奥がじんじんしましたw
(あ、私すぐ泣くので)
 
 
 
そしてもうひとつ
とても満足しているという
感覚にもなりました
 
 
 
 
誰かに何かをもらう時の
ありがとうよりも
そもそもあったんだという時の
ありがとうの気持ちの方が
大きくて深いという事が
分かったという感覚になったんです
 
 
 
 
自分を取り戻す、思い出す
というのはこの体験が増えていく
事なんじゃないかと思います
 
 
 
 
何もない無価値な私が
そもそもあったんだという私に変る
これが私が思う無価値感が解決した
世界観です
 
 
 
そして満足している満たされている
というのは感謝とセットで起きてきて
それは中庸という場所で統合された時に
見える世界でもあると感じます
 
 
 
そしてこれを私は恐れに向き合う事で
えられる人生のギフトだと定義しています
 
 
 
 
それではまた!!