台風が来ている京都です
お盆真っ只中なので
移動など皆さんお気をつけ下さいね
お盆なので実家に帰省する人も
多いですが実家に帰る前後になると
なんだか億劫でドヨーンとする事って
ありませんか?
実家は心地が良いですか?
本日は【毒親から卒業する心理】
というテーマで書いていきます
私自身はと言いますと
実家が心配で離れられない
離れてみたらしんどくなった
葛藤・悶絶期間数年
実家は実家、うちはうち
こんなふうに変化してきました
実家に帰るのが億劫だなと思う時
他にもこんな悩みはありませんか?
不満がスタンダード
・言いたい事をいつも我慢している
・人との関係でその時は気がつかないけど
後から後から腹が立って煮え繰り返る
・人といるとなんだか疲れる
・いつもどう生きていいか分からない
上記のような悩みがある時って
ある共通点があります
それは自分の怒りという感情や感覚を
知らんぷりしたりかき消したり
分からないという事にしている事
怒りを絶対に表現しない事
私の経験でいうと自分の怒りに
自分が向き合えない時って
結局いつも人に譲ったり
人の下に入ってご機嫌伺ったり
あと、自分の家に帰ったとたん
なんか違和感、なんかムカつく
え、むっちゃ腹がたつんやけど!!
プンプン!!
え、まって、胸糞悪いんじゃ!!
なんやねんあいつ!!
でも、きっと私が悪かったのかな?
とだんだんと怒りが濃くなり
口も悪くなってやさぐれる
そしてなぜその時に
自分は気が付かないんだ????
このタイムラグはなんだ?
他の人はもっと早く気がつくのに
他の人はその場で対処するのに
私は遅い、私は頭悪い
結局自分が悪いのかな、、、、
ガックシ
みたいなパターンを長年繰り返していました
皆さんそんな事はないですか?(笑)
人の前ではニコニコ我慢して
何も起きないように
揉めないように
嫌われないように
自分の怒りという感情感覚が
出てこないように収まるように
自分が悪い事にして(自己否定)
自分の感情や感覚を抑圧している
という図式です
これがひどくなると
相手に対しての怒りという
エネルギーを自分自身に向けて
自分はダメだ自分が悪いんだ
そんな自分嫌い!!
自分を責める事に怒りのエネルギーを
自分に向ける事をします
これを心理用語で反転と言います
こうなるととてもきついです
頭の中がでも!でも!でも!
相手が正しくて自分は間違ってる
という止まらない声に悩まされます
トラウマですね
毒親育ちの人はいろんな所に
トラウマが点在しているのも特徴です
そしてトラウマというのは
暴力だけではありません
一番ダメージがきついのは
長期にわたる心理的ネグレクトです
本気で嫌われ続けた子供たち
こんな親子関係はなかったですか?
・あんたは可愛くないブスといつも全否定されていた
・体調を崩すと毛嫌いや怒られたりしていた
・女は下僕扱いをされていた
・他の兄弟姉妹は可愛がられていた
・親の見栄や飾りが基準の家庭だった
中でも他の兄弟姉妹には愛情を注ぎ
自分には一切愛情をくれない図を
見せつけられているというのはきついです
親に愛する能力があるにもかかわらず
自分にはもらえない
そんな人は
自分だけは大切にされない
自分だけはできない
他の人には可能でも自分には不可能
という感覚が体に入っていたりします
でも子供って自分ひとりでは生きていけない
家を追い出されたら生きていけない
と本能でわかります
親にいじめられたり嫌われてる事を
受け入れないと居場所がない
嫌な事を受け入れないと
自分はひとりになって誰とも繋がれない
という居場所の恐怖や
孤独の恐怖を抱えるようになります
めちゃくちゃ悲しい
そしてこうやって視覚化すると
あり得ない!!と思いませんか?
悲しいし本当は
怒っていいやつなんです
本当は自分の怒りを
認めていいやつなんです
でも怒ってはいけない
反抗してはいけない
そんな事をひたらもっとひどいめにあう
という体験をしてきた人も多いです
今もしんどいし不快
かといって反抗したり自分が変わると
もっと酷い目にあって
結局追い出される恐怖
ひとりになる恐怖
動けないやん、、、
でもこれあなたは悪くない
子供は悪くないんです
生き延びる方法が悲しい方法しかなかった
もう一回言います
あなたは悪くない
こう教えてくれる大人がいなかった
セラピーにはそんな人がたくさんこられます
過去が終わっていないから苦しい
こうやって恐怖を抱えるからこそ
居場所がなくならないように
親のいじめや意地悪を黙って受け入れたり
ひとりにならないように
親のご機嫌を伺って自分の怒りを
かき消す事で一緒にいられたり
平和という現状維持で繋いだり
そんな生き方そんな繋がり方
というのを体得し社会に出ると
「親」というポジションに今度は
「上司」や「先輩」「姑」「友人」
がすり替わっていき
気がついたら
なぜかいつも人の前で我慢して
怒りをため込んでいたり
なぜかいつもいじめられて
怒りを持ち続けていたり
なぜか突然無気力になって
塞ぎ込んだりしていく
という悩みが出てきます
なので親元から離れていても
親との関係性が未解決のままだと
芋づる式に過去にシナプス経路が
繋がったままで過去に囚われて
恨みや復讐心なんかが膨れ上がるんですね
今は中傷誹謗やアンチコメントを
匿名でこれでもか!と鬱憤バラシ
のように憂さ晴らしをする人が多いのは
恨みや復讐心になるまで
自分を放置したままの人が多いのかなと
個人的には思います
さて私は成人して実家から出ましたが
出てからの方がモヤモヤモヤモヤ
いつも実家で問題が起きるし
実家で何かあると優先して駆けつけるし
心配事が終わらなかったんですね
セラピーに出会いひとつずつ
居場所がない恐怖や孤独の恐怖
怒りを表現できない自分
というのを受け入れて癒してきました
なぜ恐怖を取り扱うかというと
行動レベルで言いたい事を
言いぱなしても
嫌われて孤独になる恐怖が
結局は襲ってくるからです
嫌な事をやめて自由にしても
結局責められたり攻撃される恐怖が
襲ってきてずっとずっと恐怖に
追いかけられる人生が終わらないからです
逃げても終わらないからです
どこかで自分で立ち上がらないといけない
自分のために。
自分で自分を本当の意味で守って
行かないといけない
その時に必要なのが自分の中に閉じ込めた
怒りの感情感覚です
怒りって本当は自分の尊厳や
大切なものを守るために使う
エネルギーだなと思います
セラピーでは自分の中に安心や安全という
暖かさや信頼という感覚を体に入れる事で
安心感という自分の土台を作っていきます
安心感という暖かさが入って初めて
恐怖という感覚が薄くなったり抜けていきます
夏場湯船に浸かると
あーあったかい、、、
エアコンで体が冷えていたんだなと
わかるのと同じです
安心して初めて恐怖って薄まる
家に帰ってから怒りが出るのも
家という安心安全の場に身を置いたからですね
なのでまずは1人で抱えず
セラピーを体験してもらう
という事もおすすめしています
そしてリトリーブサイコセラピーが
提供するセラピーは
ネガティブな自分からポジティブになる!
ダメな自分からいい自分になる!!
マイナスからポジティブに振り幅でかく
いく事ではありません
自己否定しか知らない人は
ネガティブのマイナスポイントから
ポジティブのプラスポイントにいく事が
解決だと思い込んでいますが
ちゃうちゃうちゃうんです
自己否定が強い人ほど
誰にも嫌われない自分になりたい!
失敗しないいい自分になりたい!
みんなに愛される自分になりたい!
これは過去の叶わなかった願いが今でも
続いているという事です
このズレが遠回りになって
結果自分を苦しめます
ふりこの両サイドではなく
真ん中です
どんな自分も受け入れる
どんな自分もある、いる
ありのままの自分で存在する
ありのままの自分で人と繋がれる
いい事も悪い事も
いい自分もブラックな自分も
嫌われる事も好かれる事もある
失敗する事もうまうくいく事も
両方ある事を自分が許して
そんな自分を丸ごと愛している
ここが真ん中ですね
この真ん中に自分が戻った時
自分の本当の生きる力が湧いてきます
なんでも自分が選べる・自由に選べる
愛され女子、選ばれ女子って
チヤホヤいい感じ風だけど
わたしが選ぶ
の方が個人的にはいいなと思います
我が子にはこの背中を見せれる
母ちゃんでいたいですねw
変えられる生き方と未来
私は過去の親子関係はいいものでは
なかったと思います
いいものに変えようとしていた時は
とっても苦しかった
自分の恐怖や不安に向き合って
セラピーを活用しながら解決していくたびに
過去の恨みや親に変わってほしい
という執着が少しずつ薄くなってきました
そうするとだんだんと自分の人生のことを
自分のことを考える時間が増えて
自分のやりたい事に動けるようになりました
今実家の父親とは縁を切っています
会うたびに金をせびられる関係って
私はいらないなと自分で選びました
兄弟や母親は父とは距離をとっています
自分で自由に関係性も選んでいます
母は月に1度会いますが
言いたい事は言えるようになりました
嫌な事は嫌だと断れるようになりました
母に嫌われても私は生きていける
父がいなくても私には大事にしたい人がいる
この安心感の土台ができ定着したから
生きる事がすごく和らいできました
今でも、父の事を聞くと相変わらずだな
母の頑固さや押し付けを見ると
あーそういう所やっぱり嫌やわー
と思う事は普通にあますw
父は変わらないし母も変わらない
でも自分が受け入れなくなった事で
私は自由になりました
自分を表現するようになった事で
相手の違う側面も分かるようになりました
ありのままの自分を受け入れていく
というのは自分の等身大に戻るという事
それは相手の事も等身大で
見れる事ができるようになる事
父と関係性をまた築こうとは思っていないけど
命尽きた時には顔を見に行って
後の整理や家族を手伝う事は
してもいいなと思っています
母は相変わらずで
孫を連れ回そうとしていましたが
私に止められふてくして
諦めずに孫にトライした結果
孫に断れ少ししょんぼりした後
友人と遊んでいますが楽しそうです
お互い自由になったなと感じます
今は五分五分です。楽になりました
お互いが自立するって楽になるんです
でもお互い無関心な訳ではありません
断っても親のいう事を聞かなくても
いつもこっちにくる時や実家に帰った時は
お米を持たせてくれます
私の母方の祖母もそうでした
老後はいつも会いにいくと
お米やスーパーで食料を買って
ここぞとばかりに持たせてくれて
一緒に買いにくのが祖母が楽しみで
孫の私も楽しくて嬉しかったので
それはありがたくいただいています
この家系の文化は私がおばあになっても
取り入れようとかなと思います
私が言いたい事は
なんでも自分で選べるという事です
自分と向き合う事で関係性も変わるし
縁を切る事も選べるし
また繋ぐ事もできるし
自分で決めれるっていいなと思います
自分で決めれる事で自由が手に入ります
自由が手に入る事で自分の人生に集中できます
土台がしっかりしてくると
人は自分の人生を生きてみたくなります
毒親に執着している暇がなくなってきます
なので毒親育ちだと自負する人ほど
セラピーを活用していただけたらなと思います
それではまた!!
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