良い天気の長岡京市でした
朝のコーヒー至福の時のために
ベランダに手を出し始めました
せっせと掃除しシート敷いたりして
キャンプ用の椅子とテーブル
せまっっっ、、、狭いわ、、、
でもね、これをそのうちカフェ
みたいにしていこうと思ってます
みなさんこんにちは
京都・長岡京市で
自己否定・対人恐怖の悩みの
問題解決をしています
セラピスト橋屋です
私も友人ママも子育てをしている人は
本当にこの悩みが多いんじゃないかと
子供が可愛いのに辛い
子供が好きなのに苦しい
そして現実的にお母さんの時間と
自由を奪う子供という存在
私もこの悩みにどっぷりでした
世の中の風潮は自己実現!!
女性企業!女の時代!!
も流行っていました(今もか)
自分の事をしたい
自由にしたい
そんな思いを持ちながら
自分がお腹が空いていなくても
ご飯を作って洗濯して迎えに行って
ほんのちょっとの隙の自分の時間に
ママ!ママ!ママ!ママ!
子供が小さい時ほど
目の前にパパがいても
ママがいい!とご指名されたり
心の中は
邪魔しないで!
邪魔しないで!
私も自由にしたい!
ひとりの時間を頂戴!!!
好きな事をやりたい!
結局私がやるしかない!
雑誌のような笑顔でゆったり子育て
とは無縁で泣き怒りの感情感覚が
入り混じってそれを我慢して
そんな気持ちになる自分を責める
そんな時がたくさんありました
いつも困ってた、、、、、。
でもこれ、目の前の子供や夫に対する
気持ちだけじゃなかったんです
どうやって子供を受け止めていいか分からない
どうやって子供と繋がっていいか分からない
何かあげたいのにうまくいかない
心がうまく開かない作動しない
私は子供を愛せているのか?
私の愛情は不健全なのか?
愛情という目に見えないものが
これでいいのか分からない
事実上自由にならない目の前の現実と
世の中から置いていかれるような感覚と
私自身の個人的な愛着の問題を
たっぷり抱えていました
昔の写真を見ても可愛い子の写真
を通して、その頃の悲しかった気持ち
の方が多くて写真を見るのも
辛かった時もあったし
もっとこうしておけば良かった
もっと遊べば良かったとか
後悔や自責の念もありました
同じ日に撮った写真の夫との
記憶とも全く違ったんです
自分自身の自己否定が
長い間拭えなかった
自己否定の元々の根本は愛着という
自分の土台から発生しています
愛着って何?って所から
私もスタートしました
子育てを通じて自分の感情や感覚を
ひとつずつセラピーで解決してきました
数年たった今気がついたら
過去の写真を見た時の自分の
感情や感覚も変わっていた事
に気がつきました
未熟な親だったけど
その時の精一杯をやった
悩んで悩んでその時の最善を
頑張ってやってきた
そう思えるようになったんです
子育てを通じて自分自身の中身と
向き合っていく事で過去の記憶に
まつわる感覚が変化したんです
自分の人生の過去に起きた出来事は
変えられないけど記憶に基づく
感情や感覚は自分の未完了を
終わらせる事で変わっていく体験
をたくさんしました