今年も桜が綺麗です

天気の良い日に洗濯物を干す時

私はいい気分になります

平日の忙しい時はただの業務で

めんどくさい極みになるし

 

 

心の状態はいつも今の自分を

教えてくれますが自分の幸せを

感じるられる自分やそんな時間の感覚を

1秒でも濃く感じたい(笑)

 

 

どんな時も自分を感じられる

自分でいたいと思う今日この頃

 

 

みなさんこんにちは

京都・長岡京市で

対人恐怖・自己否定の悩み

解決しています

心理セラピスト橋屋奏古です

 

 

 

4月の個人セッションと

電話・オンラインカウンセリング日程

4月の個人セッション

電話・オンラインカウンセリング日程

 

4月10日(月)11時

4月11日(火)11時

4月15日(土)11時  

4月17日(月)11時

4月18日(火)11時

4月24日(月)11時

4月25日(火)11時

 

 

 

今日から4月ですね

私は桜が咲いて天気が良くて

3月までの怒涛の日々に一区切りがつき

落ち着いて今この記事を書いていますが

 

 

娘は大の仲良しのお友達が転校してしまい

隣でピエンの日々が続いています

 

 

自分の楽しい事ややりたい事

他のお友達と遊んだりもしていますが

やっぱり寂しいよな、、、

 

 

そんな姿を見ながら思ったんです

昔、引越しを考えていた時期に

私達夫婦は娘の今の学区内を第一優先に

考えて決めました(特に私が)

 

 

夫の現家族は転勤族で小学校の頃の

度重なる転校の悲しさはできる事なら

体験させたくないと以前から話していました

 

 

私は娘が悲しむ事は自分達ができる事は

したくないと思っていて自分の生い立ち

や過去にも向き合って時間がかかりながらも

ひとつずつ解決してきました

 

 

今でも大人や親が自分に向き合って

夫婦でどうやって家族、子育てを日々

していくかは親としてその時の最善の

選択をしていきたいと思っています

 

 

なので当時の娘の学区を優先にして

自分達の住む家を決めた過去の自分に

後悔はありません

それが仮に間違っていたとしてもその時

夫婦で納得するまで考えて話しあった

から。

長岡京市は田舎で桜が綺麗で

良いところなんですよ

 

 

でも、今回また改めて感じたのは

いくら私が娘に悲しい思いをさせないように

と色々やっても、本人の体験は誰にも

操作できないし娘の人生で起きる事は

娘に起きるんだなと

 

 

当たり前のことですが相手や外側

環境を変えたとしても

起きる事は起きる

 

 

親子であっても人生はそれぞれに

進んでいくんです

 

 

そう思うと私達夫婦も自分の悲しみ

や寂しさにあの頃は今よりも

触れたくなかったんだなと思ったんです

 

 

できる事なら避けたい事が起きてしまった

事実、目の前で娘はピエン、パオンの日々

 

 

子供本人は感じてそれを見守る親側の

反応や気持ち、これが親が自分の内側を

見る時ですよね。その時

 

 

自分の感情を感じる事を避ける

自分の気持ちを感じる事から逃げる

 

 

これをしていると目の前で感情を

あらわにしている相手に自分が反応

を起こして思わずこんな言葉を発して

いませんか?

 

 

・いつまでも泣くな!

・泣いてないでご飯食べ!宿題し!

・泣いてもしゃーない!

 

 

子育てで当たり前にある光景かも

しれません。実際に昭和育ちの私達

世代はスタンダードですよね

 

 

でも時代や育児スタンダードが変わっても

泣く子を前にとっさの反応で

 

・笑顔の方がいいよ!

・笑顔でサヨナラ!

・泣いてたら相手はもっと悲しいよ!

 

 

こういう言葉も最後は

泣くな!泣かないで!

という親の非言語が詰まってる

 

 

発する言葉の後ろ側に含まれているのは

泣き止んで!私を反応させないで!

私の感情揺さぶらないで!

早く笑顔になって私を安心させて!

 

 

これが自分の感情の抑圧と

目の前に人に投影を起こす

と言いますが

 

 

泣かないで!って感情の否定です

感情を否定されて育つ子供はこんな

気持ちはダメなんだと自己否定していき

感じてしまう自分に罪悪感も覚えます

 

 

自己否定と罪悪感はセットだなと思います

 

 

本当の自分を否定して罪悪感を人知れず

感じながらそうしていればお父さんや

お母さんはやさしい、喜ぶ。それが当たり前

 

 

自己否定していたら居場所がある

自己否定していたら愛される

自己否定していたら生きていられる

 

 

自己否定ベースに生きるって

毎日が不快苦痛で本当は絶望的な感覚

を身につけていきますが

自分も同じ生き方をしていませんか?

 

 

感情の否定を拗らせると

生涯にわたってあとを引くなと思います

 

 

感情や感覚を言葉にすると

本当に多くの種類があります

恐怖、罪悪感、絶望感、孤独感、無能感

無価値感、恥、不安、苦悩、嫉妬、復讐心

憎しみ、怒り、失望、挫折、疑い、心配

不足感、怒りまだありそう、、、。

 

 

ネガティブと呼ばれる感情や感覚の否定や

排除をしていると自己否定はどんどん

深くなっていきます

 

 

かといってポジティブと呼ばれる感情や感覚

だけを感じるってできてますか?

感じているような?ふわっととした錯覚?

というくらいに一瞬でなくなりませんか?

 

 

 

そもそも「感じる」という事を

否定や拒否しているので自分に残らない

無感情無感覚の世界で生きると

ふと虚しくなったりさらに無価値感が

膨らんでいったりある日突然無気力

になったりしていきます

鬱状態ですよね

 

「感じる恐怖」ってセラピーでも最初に

扱いますがどこまで行っても

本当は自分が感じる事に感じている事に

自分が許容できるか、受容するかだなと

最近思います

 

 

恐怖や無価値感は1秒感じるだけで解消

という話しもあるそうですが本当かな?

と私は思います

 

 

結局抑圧の量は変わらないし終わらない

自分の受容は浅くなると思うのです

 

 

怒りや嫉妬、恥や恐怖、孤独感

絶望感、ネガティブカテゴリーの

感情や感覚も自分のものです

 

 

自分のものを自分が感じる事は

安心感がないとできない事だと

子供を見ていて、よくわかります

 

 

安心して自分の中のものを感じていい

安心して自分の中のものを表現していい

 

 

自分の中にあるどんな感情や感覚も

自分が受け入れにいく時

ありのままの自分に初めて

自分がOKを出す事ができるのだと思います

 

 

受け入れるのは相手ではなく自分なんです

 

 

嫌な感情や感覚を避ける事を続けると

避ける回避の行動を第一優先に

選ぶようになっていきます

 

 

あっちもこっちも嫌な事が増えて

避ける事を目的にすると自分の人生が

逃げる人生になって、自分の本当は選びたい事が

選べず、いつも不満の人生を自分が作っていきます

 

 

最近ますます思います

感情感覚ってすこぶる大事

 

 

今日は感情感覚について

語ってみました

 

 

自分の感情や感覚を大切にする事は

自分と人生を大切にする事です

そのための時間を作りませんか?

 

 

それではまた!!