本日もとてつもなく寒い京都です
もう毎日言ってますw
クリスマスが終わり年末突入ですよ
家の大掃除も腹を括らねばなりません
みなさんこんにちは
心理セラピスト橋屋かなこです
愛されていると思いたい
そんな証拠を探していませんか?
先日夫婦の会話の防衛合戦
について書きました
よかったら合わせてこちらも
読んでみて下さいね
防衛機制とは字の如く自分を防衛しています
自分を守っているという事ですね
守る事ではあるのですが防衛の仕方や
防衛の時間よっては自分の人生を止めたり
事実が見えないという事を生み出していきます
防衛機制にもいろんなパターンがありますが
私の例でいうとこんな感じです
私は小さい頃からずっとお母さんが
嫌いだったし怒っていたんですね
父親が家を出て行ってから
思春期以降は顔を合わせれば口ゲンカか
お互い睨み合いで
敵対的依存だったなと思うのですが
お父さんがお母さんはダメだダメだ
本当は結婚したくなかった
と子どもの前でも本人の前でも
年がら年中言っていたんです
小さいながらに何がダメなのか分からず
いつしかお母さん嫌い!
お父さんの言う通りにしてよ!
とお母さんにいつも怒りながら
ほんのりずっと悲しいという感覚が
私は馴染みになっていきました。
なぜ父が母をダメだ!というのか?
女は家で家の事せい!外に出歩くな!
といつも言っていましたが母はずっと
仕事にでていました
なんでお父さんの言う事聞かないの!!
と私は母に怒っていましたが
母は仕事を続けていました
そして仕事以外は家に居ました
仕事をしていたけど私達のお弁当もご飯も洗濯も
欠かした事はありませんでした
それでも父はずっと怒り続けました
家にいろ!何でワシの言う事聞かん!
と怒鳴りちらし時々叩いていました
何で母は父のいう通りにしないのか?
理由は簡単でした
父が働かず転職を繰り返し家族を養うのに
必要なお金がないからです
仕事してないのに家には何故かいない不思議
家にいる時はずっと怒鳴り
家族みんなが萎縮するのが日常でした
母が稼いできたお金やコツコツ貯めたお金を
これに使うこうすると決めるのはなぜか父
そしてそれを受け入れる母
最後は愛人作って借金つくって出て行きましたが
また帰ってくるもうね、地獄です
今思うと、お父さん、頭おかしいんか?
お母さん、なんでそんな事受け入れるんや?
なんですが、長い間私はずっと
お父さんの味方でお父さんが好きだったんです
昔はお母さんにだけ
私は怒り狂っていたんです
お父さんはお母さんの事をダメだダメだと
いう人でしたが
お母さんはお父さんの事を悪くいわない人で
なぜかお父さんに感謝してると
ずっと男の人を支え立てていたと思います
私にはよく怒るけど、父の事になると
貝のように話さなくなるもんだから
余計に私は腹が立ってお父さんと一緒に
なってお母さん嫌い!と怒っていました
ここです私の防衛機制
本当はお父さん、それあかんやん
本当はお父さん、無茶苦茶やん
本当はお父さん、めっちゃ無責任やん
お父さん、あんた何してんの!
なのに、父は私を大事だ大事だと
口では言うから愛されている
必要とされていると思いこもうとしていたんです
愛されているはず
愛されているにちがいない
だってあの時優しかったから
だってあの時こうだったから
これが防衛機制のひとつですね
お父さん、子どもを愛してないんです
お父さん、家族を愛してないんです
お父さん、お母さんを愛してないんです
悲しい
愛されていないって
孤独感やさみしさや惨めさが
取り巻いていて色んな感情感覚が付随しいます
お母さんを見るとなぜか惨めにみえるし
私自身も惨めに感じるし
私の家族自体が惨めな感覚になっていたのは
父に愛されていない人達の集まり
だったからかもしれません
それを家族みんなで深い所では受け入れて
玄関の表札だけはいつも綺麗に拭いては
表面では隠すという事をしてきました
愛されていないこと
崩壊している事を恥とし隠す
孤独感に付随する惨めさや恥って
こんなところからもきていたりします
愛されていない事を否認し
本当は父への怒りも母にぶつけ
母と敵対依存で繋がりながら
自分と同じように惨めな感覚で家族が見える
境界線がぐっちゃぐちゃで
どれが自分の感情や問題で
どれが相手の感情や問題なのか訳がわからない
これでは自分が確立できません
境界線は自分の愛着と密接に関係しています
心理セラピーでは
家族の中で何が起きていたか
夫婦の中で何が起きていたか
自分の中で何が起きているか
ひとつひとつ紐解いて自分を知っていき
自分で解決に向かいます