本日の京都はとても寒いです

いい天気ですこぶる寒い

こんな時は本気で寒いヤツくるぞ

と田舎育ちは体でわかりますw

 

 

みなさんこんにちは

セラピスト橋屋かなこです

 

 

 

 

12月になるとなんだか一気に

忙しいモードに投入していきますが

 

 

 

 

年中忙しい!忙しい!忙しい!

時間がない時間がない時間がない

いつも時間に追われ次から次へと忙しい

 

 

 

 

頭の中は子供のことが心配で

仕事のあの人が気になって

ほっとけなくていてもたってもいられない

 

 

 

いつも何かが困っていて

いつも何かを悩んでいる

悩みが永遠に尽きない

 

 

 

万年忙しくて万年疲れてる

そんな悩みはありませんか?

 

 

 

そんな時は自分が悩みや問題を

わざわざ作り出している

という生き方をしているかもしれません

 

 

 

 

そんな人は幼少期

こんな体験をしているかもしれません

 

 

 

 

・いつも親の慰め役だった

・家族の困った事を引き受けいていた

・家族に可哀想な人がいた

 

 

 

 

親や家族の悩みや愚痴を聞いては

慰めたりおさめたり

 

 

 

家族の中でトラブルが起きると

率先して自分が引き受けたり

 

 

 

そうする事で重宝がられたり

よろこばれたり褒められたり

 

 

 

そんな体験が積み重なると

トラブル事態は嫌だけど

自分が動いて家族の誰かを

支える事で自分の有能感が育っていきます

 

 

 

だけど本当はそもそも

子供って大人の事情を理解し

大人の手助けはできない

 

 

 

何もできなくても

家族の一員として迎えられ

手を繋いで抱きしられて

遊んで寝て時々怒られて

また抱きしめられてという日常の中で

 

 

 

自分は自分のままで

ここにいていいんだ

自分は自分のままで生きていいんだ

という欲求が満たされていきます

 

 

 

だけど親子の役割逆転というのは

子供が子供でいられない

という現象が日常になっていきます

安心感という感覚と無縁

 

 

 

だからと言っって子供が本当に

何かできているわけではありません

 

 

 

 

親の顔色を必死で伺いながら

不安と闘いながら

親の気持ちが一瞬スッキリするだけで

 

 

 

子供の不安や恐怖な感覚は増すばかり

そして不満や怒りも増すばかり

 

 

 

 

親の慰め役というのは両親共に

同じではありません

 

 

 

例えば支配的な父親の慰め役の場合は

父の怒りの吐口になる事で

母や兄弟からはさすがだと重宝がられたり

 

 

 

自己愛的な母の慰め役の場合は

ダメでできない自分でいる事で

母自体が喜びや生きがいを感じたり

 

 

 

祖父母のアッシーやお世話要員の場合も

やっぱり親にすごく褒められたり

 

 

 

慰め役というのは

家族の中でもいろんな種類があって

相手によって必要な用途が違うんですね

 

 

 

だけど共通しているのは

相手のストレスやネガティブなものを

自分が引き受ける

 

 

 

相手が自分を利用している事を

自分が受け入れる

 

 

 

ネガティブ処理班の様に

それが自分の家族の中での役割だったり

ポジショニングだったり

 

 

 

これをゴミ箱とも言いますが

用途の違うゴミ箱を

家族の人によって変わる

 

 

 

相手によってコロコロと

自分の顔が変わる

 

 

 

でもそれは自分が自分の気持ちを

押さえつけて我慢しないとそんな事はできないのです

 

 

 

自分の気持ちを押さえつけて

出てこない様に耐えないとできない事なんです

 

 

 

 

これを自分を殺すと言います

 

 

 

そうする事で不快な感覚だけど

役割を重宝がられる事で

家族の一員として認めてもらえる

家族で繋がっていられる

そんな自分に価値を見出せる

 

 

 

という心理的メリット

とても大きくなっていくのです

 

 

 

でもそれだけ本当は孤独が怖いし

価値のない自分を感じてる

 

 

 

 

 

その生き方は大人になると

わざわざ自分で相手の問題を背負ったり

 

 

 

わざわざ相手のできる事まで

自分がやってのけたり

 

 

 

困った人を作りだし

困った問題を作りだし

困った悩みを常に生み出し

 

 

 

困っている無力な人がいないと

自分の生きがいがまるでないように

身体の中は感じていてたりします

 

 

 

相手を無力にしないと

自分が成り立たない

 

 

 

いつも忙しくて大変だ大変だ

という感覚で自分の無価値感や

孤独感、不安、恐怖をわからなくさせたり

感じなくする事ができたり

 

 

 

またそうしていれば

自分の人生について

全く考えなくていいからです

 

 

 

そうしていれば

自分の人生を捨てられるからです

 

 

 

過去に自分を捨てて

親に自分の全てを捧げた様に、、。

 

 

 

 

 

自分を捨てる殺すという行為は

とても不快で嫌な感覚だけど

自分の人生に責任を持って生きる事に比べれば

自己否定って楽なんだなと思います

 

 

 

そして自分の人生を生きる事が

怖いんですね

 

 

 

親子の役割逆転や共依存の問題を抱えた時

ここから抜けて自分を生きるぞ!

をしたい時自立していく恐怖というのは

必ず出てきます

 

 

 

でも自分の中の恐怖を避けて

依存したまま自分の人生は生きられません

 

 

 

そんな時は自分の心理的メリットを

見ていくと良いと思います

 

 

 

しょうがないという諦めも

諦めていたら楽

私にはどうしようもないという無力感も

無力でいたら楽

 

 

 

 

諦めないって心の葛藤が常に起きるし

自分の力で生きる時には摩擦も起きるし

 

 

 

自分の人生を生きるって

楽ちんではないと思うのです

 

 

 

 

私達はいつも何かを選択しています

今日何を選ぶかで変わっていく事が可能です

 

 

 

 

 

自分の恐怖や不安、孤独感や

絶望感、無価値感などという

闇を受け入れて抱きしめる事で

本当に闇は小さくなっていきます

 

 

 

 

 

自分の中の闇を抱きしめる事も

自分を取り戻すことだなと最近思います

 

 

 

どんな自分も自分が受け入れる

自分が引き受けるって

自分に責任を持つ事にも繋がっていきます

 

 

 

続きはまた!!