本日秋晴れの京都でした
朝は寒く日中は暑い
寒暖差は苦手ですが
晴わたる秋空を見ると
自分の体や心にも
空気がたっぷり入る気がします
みなさんこんにちは
セラピストの橋屋かなこです
さて本日のテーマは
「執着と敵対依存」
生きずらさの原因を私自身が振り返って見ても
やっぱり根っこは「執着」
なのではないかなと思います
昔から執着は苦しみを生み出す
執着は手放そう、許したら終わる
こんな本を読み尽くしたと思います
だけどどうやったらその執着を手放せるのか
どうやったら許しが自分の中で起きるのか
全くその答えには頭でも心でも体感でも
自分が得た事はなかったなと思います
例えばこんな気持ちや悩みがある時
自分の心の中には執着があるかもしれません
・過去に言われた事が許せない
・過去にされた事が許せない
・特定の相手に認められたい
・パートナーや子供の全部を知っておきたい
心の中の共通感覚としては
「どうしても」とか「こだわっている」
「諦められない」とか「愛されたい」
こんな言葉と感覚が浮かぶかもしれません
この感情や感覚や自分の中から出てくる言葉
過去の親子関係でもありませんでしたか?
勿論私はあったし
セラピーの現場でもとても多いです
もしその感覚がないとしたら
生きずらさは抱えていないんじゃないかと思います
そんな人はこんな幼少期を
過ごしているかもしれません
・心理的ネグレクトで育った
・両親との関わりが奇抜な関係だった
・罵倒や否定が関わりだった
・親に捨てられた
他にもたくさんありますが
ここで私がフォーカスしたいのは
子供の頃の欲求です
自分を愛して欲しい
自分を大切にして欲しい
自分を認めて欲しい
自分を見て欲しい
お父さんとお母さんと
繋がっていたい
お父さんお母さんの目の中に
自分を入れて欲しい
子供ってピュアな心で
親を愛しているのでその気持ちを
受け取って欲しいし
親からも愛情をもらって
相互したいんです
その相互感が愛着という繋がり
だなと私は思います
大好きでたまらない人に
嫌いと言われ続けたらどう?
大好きでたまらない人に
粗末に扱われたらどう?
悲しくて苦しくて
きっと心が爆発してしまうし
そんな爆発も蔑ろにされたらどう?
もう何をやっても無駄と
諦めていくしかないかなと思います
だけど本当は大好きだから
いつか自分を好きになってくれるんじゃないか
いつか分かってくれるんじゃないか
いつか振り向いてくれるんじゃないか
諦めてもいつか。。
諦めてはいつか。。
諦めと期待という相反する思いを
同時に抱いているのかもしれません
本当に諦めてしまったら残されるのは
悲しい虚しい絶望感と
誰にも愛されない孤独だけ
これ以上絶望したくない
そんな思いで自分を奮い立たせてみたり
奮い立たせるために必要な
ガソリンに自分の怒りを使ってみたり
相手に怒っているのに
相手の事で頭がいっぱい
相手を思い出すたびに
傷ついた気持ちになり
また怒りが増幅し
記憶に振り回され
記憶に傷つき続け
記憶に怒り続ける
だけど過去の事だから
「今、現在」の現実世界ではないから
なぜかぐったり疲れる
その間、今現在の自分の生きる世界の事は
何もやる気が出てこなかったり
過去にエネルギーをどっぷり奪われて
今の人生が止まってしまう
傷ついては怒っては
自分の脳内で相手と繋がっている
こうやって過去に親と繋がり
こうやって今も親と繋がる
許さない事でおこる事で
繋がっていられる
怒りながら分かって欲しい
怒りながら認めて欲しい
怒りながら愛して欲しい
怒りながら見返したい
多かれ少なかれ多くの人は
未完了な感情や感覚はあると思います
だけど私が思うのは
執着って結局自分を損なう行為であったり
自分で自分を傷つけるんだなと思うのです
自分を傷つける事を自分が終わらせる
自分を損なう事を自分が終わらせる
自分以外誰も終わりにはしてくれない
だからこそ、自分の中の孤独感や
愛されなかった絶望感
同時に愛されたい欲求
そんなネガティブな感情や感覚ほど
自分自身で受け入れて癒していく必要が
あるんだと思います
自分の癒しが進むほど
もう許そうかな。。
とふと湧き上がってくるからです
だけどこの癒しを自分がしない限りは
やっぱり止まったままだし
自分の人生って進めるエネルギーが
出てこないのも事実です
執着を終わらせる時
本当の精神的自立が始まるのかもしれません
セラピーではそんなお手伝いを
一緒にしていきます
それではまた!