今の「関東地方」という呼称は江戸時代の「関八州」という呼称がルーツです! | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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鎌倉時代まで今の関東は、「坂東」と呼ばれていました。そ

の「坂東」という言葉は消え、「東国」という振り分けに組

み込まれて行きます。

 

やがて「関東」という言葉も生まれますが、それは今の三重

県関市に相当する「関所」を境界線にして東西に分け、「関

西」と「関東」という言い方をするようになったからです。

 

従って「関東」の範囲は広く、今の愛知県である尾張までも

「関東」に含まれていました。

 

ただそれとは別に、江戸時代には「関八州」という言い方が、

存在していました。箱根峠の東に位置する幕府周辺の八カ国

のことです。

 

領国の支配は本来それぞれの国単位で行なうものですが、こ

の八州は幕府が直接権限を持っていたのです。

 

西から、相模、武蔵、上野、下野、常陸、上総、下総、安房

の八州です。これを「関八州」と呼んでいました。

 

この「関八州」、つまり八つの領国は、現在の神奈川、東京、

埼玉、群馬、栃木、茨城、千葉に相当します。上総と下総は

共に千葉県になっていますので、数は七州に減っていますが。

そして東京は、多摩地区のことです。今の23区はほとんど

が「江戸」でしたし、「武蔵」は主に今の多摩地区と埼玉県

の一部でした。また、八王子は関所が設けられていて、ほぼ

独立国家的存在でした。