藤原氏は奈良時代にも1度繁栄を築きましたが、天然痘の影
響や長屋王の怨霊に泣かされるなどして、1度は没落しかけ
ました。しかし平安時代に再び繁栄を築き、それからは長き
に渡ってその権力を放しませんでした。
その裏には天皇家と姻戚関係を築くなど政略的な巧妙さもあ
りましたが、藤原氏と従来の文人貴族たちとの間には決定的
な違いがありました。
文人貴族たちは儒教的教養を大事にし、現実主義を自認して
いたそうです。ここで断っておきますが、「儒教」というの
は宗教ではありません。道徳書です。なので「神」の類は出
て来ませんし、目に見えない世界に対する考え方はありませ
ん。身の回りの人間同士のあり方や人として心がけることな
どが、中心となっています。
従って、そんな儒教を大事にしている文人貴族たちは皆、い
たって現実主義者でした。宗教は勿論、今で言うスピリチュ
アルや占いなども、興味があまりなかったようです。
対して藤原氏は、陰陽道をとことん取り入れていて、当然な
がら陰陽師を大事にしたのです。結果、優秀な陰陽師が多く、
藤原氏によって引き立てられました。
その結果、陰陽道を中心に「目に見えない世界」を大事にし
た藤原氏が、現実主義で儒教を大事にした文人貴族を退け、
権力をつかんだのでした。
従って平安時代は陰陽道が全盛でして、呪術や易占の時代で
した。ただしそれがエスカレートし過ぎ、迷信の時代でもあ
りました。そのことが藤原氏だけでなく、貴族社会を堕落さ
せたといえるでしょう。