織田信長が岐阜城にいた時の話です。彼は中山道を通ってよ
く京都と行き来をしていたそうです。その中山道に、山中宿
がありました。
いつものように信長が中山道の山中宿を通過しようとすると、
通の傍らに体の不自由な乞食がいました。彼が雨に濡れなが
ら物乞いをする姿が気になり、信長は村人に訊ねます。
「乞食は大体、場所を転々とするのに、あの者がいつも同じ
場所にいるのは何故か?」
すると村人は、
「昔、あの者の先祖は、この山中宿に泊まった源義経の母の
常盤御前を殺した因果によって、下半身が不自由で乞食をし
ているのです。この辺りでは、『山中の猿』と呼ばれていま
す」
それを聞いた織田信長は、次に京都に向かう際、20反の木
綿を持って山中宿に立ち寄り、村人を集めて
「木綿の反物10反で、誰か自分の家の隣りに小屋を建て、
この者が餓死せぬよう、情けをかけてやって欲しい」
と頼んだのです。
さらに、残る反物10反を広げて、呼びかけたそうです。
「隣郷の者どもよ、この乞食のため、麦のできる時に麦を一
度、秋の後には米を一度、つまり一年に二度ずつ、毎年この
者が安心できるように、少しずつやってはもらえぬか。そう
してくれればこの信長は満足に思う」
織田信長の意外な「温情エピソード」は数多いのですが、特
に弱者に対しては、すこぶる優しかったのです。