室町時代に犬猿だった3代将軍・足利義満と4代将軍・足利義持の父子が共に信頼を寄せた高僧 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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室町時代前半、仏教界では天台宗と真言宗が2大宗教として

君臨し、権力を持っていました。

 

そして当時、三宝院満済という真言宗の高僧がおりまして、

真言宗と天台宗を合わせた中でもトップに立つような地位に

おりました。

 

この三宝院満済は、3代将軍の足利義満に大いに可愛がられ

たそうです。そして4代将軍の足利義持は、父である義満と

仲が悪く、父がやったことを悉く否定することを前提に全て

を推し進めていました。

 

そんなわけですから、父の義満が取り立てた側近やお気に入

りは、ごとんど失脚させていたようです。あの世阿弥ですら、

そのような経路をたどっています。

 

しかしこの満済だけは、例外中の例外だったそうです。義持

は父の死後も、満済を重用しました。

 

最初のうちは義持も満済にも、宗教的な相談だけをしていた

ようです。しかし或る時、満済に政治的な話をしてみたとこ

ろ、驚くほどに的確な意見を述べたというのです。

 

以来義満は満済に積極的に政治的な意見を求めるようになり、

やがて満済は義持の最重要顧問のような立場になって行った

ということです。

 

その三宝院満済は後に、室町幕府最大ともいえる重要行事を

司ることになるのです。それについては、明日やろうと思い

ます。