明治以降の教育では、徹底した天皇制教育が施されたのは知
られるところです。そしてそれを推進するための一環として、
「武士は悪者」「江戸時代は酷い時代だった」という洗脳が、
命題だったのでした。
なのでかなりの捏造も成されたのですが、そういう教育だっ
たために殊の外「英雄視」された人物がいます。
武士は悪者だった。天皇は素晴らしい。しかし悪い武士に天
皇は抑えられてきた。という教えだったわけですが、そんな
歴史の中で例外的に「武家社会に戦いを挑んで討ち負かした
天皇」がいます。そう。後醍醐天皇でした。
後醍醐天皇の人となり、政治家としてのやり方、セックス教
団・真言立川流との関わりなどの真実はそっちのけで、とに
かく「後醍醐天皇は英雄」として神格化を徹底していたとい
うことです。
かなりの無理があって、武士たちの反発が強くて失敗したこ
とが明確の「建武の新政」にしても、その失敗の原因が「教
養のない武士にはついていけなかった」ということしか説明
していなかったということです。
だからこそ、その後醍醐天皇を裏切って室町幕府を開設し、
再び武士の世にした足利尊氏をひたすら「国辱的な悪者」と
して扱ったのも、当然です。
しかしそれらが大きな間違いだったことは、今では完全に判
明しています。それらが判明したのは、決して第二次世界大
戦に負けたからだけではなく、いや、それも間接的に影響は
していますが、残存している数多くの史料をしっかりと見直
し、検討する作業が進んだからなのでした。