しばしば戦国武将は出家をし、名前の中に仏教にちなんだものを
入れますね。これは別に副業で坊さんをしているわけでなく、教
養があることを誇示するためでした。
というのは、当時最高の知識人というのが、漢籍を読みこなすこ
との出来る僧侶だったからです。そして上級の武士たちは、寺で
学ぶのが風習でした。
最も優秀とされた学府は京都五山で、そこで学んだ禅僧は、地方
の大名に招致されることが多かったそうです。大名は子弟を禅寺
に預け、読み書きから仏教の経典、四書五経や兵法書などの中国
の古典、そして日本の古典や書道までも、学ばせたそうです。
要するに武士たちは、寺で僧侶から「学問」を教わっていたので
す。そうして「高等教育」を受けた証しとして、出家を経験した
わけです。いわば学歴を示すようなものでした。
戦国大名の子となると、養育係として傳役がつきました。これは、
信頼のおける家臣が任命されたそうです。この傳役は、勉学を直
接教えることはしません。学問は、禅寺に任せますから。
こちらは教養とは別に、人格形成を担当したそうです。人間とし
て、そして後の大名としての心構えや政治のノウハウなどを、叩
き込んだのでした。また、剣術の指南もこの傳役が行なっていた
そうなので、文武両道でなくてはこの大役を任ぜられることはな
かったでしょう。