土佐東部の安芸氏といえば、古代より郡司として君臨した超
名門でした。しかし戦国時代に長宗我部氏との戦いに敗れ、
滅んでいます。
両者は前から衝突を続けていましたが、決戦が本格的に始ま
ったのは、1569(永禄12)年7月のことでした。長宗
我部元親が7千の兵を率いて出陣すると、安芸国虎は5千の
兵で籠城し、迎え撃とうとします。
この時国虎は、長宗我部軍団が迫って来たら援軍を頼んでい
る一条勢が後方から挟み討って倒す予定だったのですが、裏
切りというか寝返り者が安芸氏の中から出て、城の搦め手か
ら長宗我部の兵を招き入れてしまう事態になってしまいまし
た。
それでも何とか安芸勢は城を守り続けていたのですが、一条
勢の援軍が来ません。これも、裏切りです。
籠城兵たちは何とか井戸水で命を保っていたのですが、ここ
でタイトルにあるような史上最も残酷で卑劣ともいえる裏切
りが生じたのです。
安芸軍に仕えていた横山民部という男が、井戸に毒を投げ込
んだのです。安芸の兵たちは次々と死んで行き、ついに名門
安芸家の落日となったのです。
この横山民部ですが、すでに長宗我部側と通じてもいたそう
です。ただしその後長宗我部元親にどのような迎えられ方を
したのかは、定かでありません。
横山民部という男、「土豪」だったとされますので、安芸家
の正式な家臣ではなく、有力豪族、もしくは忍者だった可能
性も低くないです。有力家臣だったら、同じ寝返るにしても、
それまで仲間だった者たちをそこまで残忍な殺し方は、しな
いでしょう。フリーな立場だからこそ、このような残酷さを
実行出来たものと思われます。