「川中島の戦い」で上杉謙信VS武田信玄の一騎討ちに関する情報が錯綜する理由 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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武田信玄と上杉謙信が繰り広げた「川中島の戦い」ですが、

全部で5度も相まみえたこの戦いで最も激戦となったのが、

4度目の戦いです。

 

そしてこの時には、大将の上杉謙信と武田信玄による直接の

一騎討ちがあったとも言われています。ただし最近の見方で

は、実はなかったという説が多くなっています。実は情報が、

錯綜しているのです。

 

武田家について語られた『甲陽軍鑑』には、「馬上から切り

つける謙信を、信玄は床几から立って受け止めた」と、比較

的リアルに一騎討ちの様子が綴られています。

 

『川中島五戦記』では、「川の中での太刀と太刀との一騎討

ち」だったと書かれ、『甲越信戦録』では「謙信はただ一騎

で信玄の床几の元へ乗りつけ、三尺一寸の太刀で切りつける。

信玄は腰を掛けたまま軍配団扇で受け止めた」とあります。

描写はバラバラですが、一騎討ちはあったということで、ま

とめています。

 

ただこれらはいずれも、武田家側の視点で書かれたものです。

上杉家の史書である『上杉年譜』には、「信玄に傷を負わせ

たのは、謙信の家来・荒川伊豆守だ」と記されているのです。

 

これ、どっちを信用すれば良いのか、わかりません。確かな

のは、信玄が傷を負わされたことです。従って武田側にすれ

ば、家来に傷を負わされたのでは格好が悪過ぎるため、謙信

本人にやられたということにしたのではないかという説が、

大きく広がっているわけです。