「憎まれっ子世にはばかる」を地で行った「江戸南町のサイコパス奉行」鳥居耀蔵 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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江戸時代後期に老中・水野忠邦による俗に「天保の改革」と

言われる悪政が敷かれたことがありました。「改革」とは本

人たちの勝手な言い分にしか過ぎず、実際には弾圧に次ぐ弾

圧で「改悪」でしかありませんでした。

 

この改悪は当然ながら失敗し、老中の水野忠邦は失脚後完全

に抜け殻のようになって無気力な後半生を送ったそうです。

 

この改悪を積極的に後押しした南町奉行の鳥居耀蔵も、やは

り失脚します鳥居は無実の者に罪を着せることも厭わず、多

くの者を牢獄につないで拷問にかけたそうです。

 

「耀蔵(ようぞう)」という名前と官位の「甲斐守(かいの

かみ)」に引っ掛けて、「妖怪(ようかい)」と世間では呼

ばれていたといいます。

 

しかし失脚し、四国の丸亀での謹慎処分を命じられます。こ

の処分には、多くの人たちが喝采を送ったそうです。

 

この謹慎処分は、5年10年と時が続いても許そうという声

が全く起こらなかったということなので、よっぽど嫌われて

いたのでしょう。

 

ただし水野忠邦らと違うのは、強靭なメンタルを持っていた

ことです。24年の処分に耐え続けた後、1868(明治元)

年に赦免されます。72歳でしたが、江戸に戻った耀蔵は、

堂々として、常に自分のかつての暴挙を悉く正当化する発言

をしていたということです。

 

今の世の中には「サイコパス」という言葉がありますが、こ

の鳥居耀蔵はそのタイプでしょう。そして憎まれっ子世に憚

る」を地で行った人物かもしれません。