江戸時代に「タクシー」の役割を果たしていた「猪牙舟」という存在 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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まだ電気やエンジンがない江戸時代、当然自動車も電車もな

いので、場所の移動は大変でした。今よりはるかに健脚でな

いといけなかったですし、どんなに健脚でも徒歩では用が足

せないケースが多々ありました。

 

ということで当然「交通手段」が必要になるわけですが、有

名で誰もが思い浮かべる交通手段は「駕籠」になりますね。

しかし駕籠以上によく利用されていたのが、「猪牙舟(ちょ

きぶね)」です。

 

日本は古来物資の輸送手段として、水路が大きく開発されて

いました。元々河川が多い所にさらに人工の河川をつくり、

さらにはその河川を改修して掘割を整備したため、水路が盛

んい利用されたのです。物資の輸送だけでなく、人間の移動

手段としても、水路や河川は利用されていたのです。

 

従って短時間で遠くに行ける手段としては、舟がより有効だ

ったのです。時代劇によく登場する、船頭が漕ぐ舟なのです

が、長吉という小舟造りの達人がいたことから「長吉舟」と

書いて「ちょきぶね」と当初は称されていました。やがて、

舳先がイノシシの牙に似ていることから、「猪牙舟」という

字が当てはめられたそうです。

 

料金ですが、江戸前期で、浅草と水道橋間が2匁で、今に換

算すると2000円ちょっと。浅草と新橋間だと、3匁で今

だと3000円ちょっとでした。

 

速度が速いため、武士にも町人にも、人気があったというこ

とです。