江戸時代中期まで「瓦版(かわらばん)」を「読売」と言っていた理由 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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新聞の原型とも言える「瓦版」が最初に出たのは、1615

(慶長20)年の「大坂夏の陣」で大坂城が落城した時だっ

たそうです。

 

ただし「瓦版」という呼び名になったのは幕末のことで、し

ばらくは別の呼び名でした。主には「読売(よみうり)」で、

他に「辻売絵双紙」などと呼ばれていました。

 

主に「読売」と呼ばれたのは、それを売る商売人たちが「読

売り」と呼ばれていたからで、売っている商品も「読売」と

されるようになって行ったということです。

 

では何故売る人たちが「読売り」と呼ばれたかというと、読

みながら売っていたからです。といっても時代劇のように棒

を使ってたたき売りのようなことをしていたのではなく、歌

っていたそうです。

 

三味線を使い、時に伴奏を入れながら、内容を節をつけた歌

にして紹介していたということです。

 

内容は、敵討ちや心中といった大掛かりなものからコソ泥ま

でを扱った事件、逆に美談や珍獣が出たという話、そして幽

霊が出たという奇談など、様々なニュースが紹介されていま

した。

 

値段は1枚4文ほどだということで、庶民にも気軽に買える

ものだったため、人気でした。雑談のネタとして貴重で、庶

民にとって貴重な存在だったようです。